【格闘技】絶体絶命からの信じられないような大逆転劇

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格闘技の醍醐味である逆転劇。 今回はそんな中でも、まさに絶体絶命の窮地から、奇跡の大逆転を演じた試合を紹介します。

目次

【格闘技】絶体絶命からの信じられないような大逆転劇

バダ・ハリ vs アーカディウス・ゾセク

最初に紹介するのは、誰もが目を疑ったKO寸前から一瞬でひっくり返った試合、バダ・ハリ vs アーカディウス・ゾセク。
キックボクシングの試合です。

2021年におこなわれた試合ですが、バダ・ハリは2000年代中盤に台頭してきたK-1のトップスターで、かつてルスラン・カラエフに大逆転劇を演じた選手です。

2016年にGLORY世界ヘビー級タイトルマッチで、リコ・ヴァーホーベンと戦いますが肩を脱臼してTKO負け。
2019年に再びタイトルをかけ戦いますが、2度のダウンを奪うも足首を捻り、またもTKO負け。
翌年にはアデグバイにTKO負けを喫するなど、不運と年齢により負けが込み始めていました。

一方ゾセクは戦績12勝5敗7KO。
アデグバイには負けたものの判定までいき、直近の試合はTKO勝利を飾っています。

バダ・ハリは36歳、年齢的にも復活をかけた再起戦。
29歳のゾセクは勢いに乗って勝ち上がりたいところです。

試合が始まるとバダ・ハリが距離を詰めプレッシャーをかけていきます。
前蹴りやジャブで距離を取るゾセクですが、バダ・ハリがボディストレートやミドルで攻め立てます。
台頭し始めた2000年中盤よりもかなり身体がビルドアップしているバダ・ハリ。
凄まじいパワーです。

そして、ゾセクをロープ際に詰めると強烈なボディを叩き込みダウンを奪います。
悶絶するゾセクですが、すぐに立ち上がり落ち着いてファイティングポーズを取ります。

試合再開するも、再びバダ・ハリのボディに沈むゾセク。
両膝両肘をつき、かなりのダメージを受けている様子です。
かなり辛そうですが、なんとか立ち上がり試合続行。

レフェリーがゴングを聞き逃すハプニングもありますが、1ラウンド終了。
立て続けに2度ボディでダウンを喫したゾセク。
ダメージは残っているでしょうが、2ラウンドに望みをかけ試合を続行します。

ゴングが鳴り積極的に攻撃をしかけるゾセクですが、ロープ際に詰められるとバダ・ハリの強烈なボディ攻めにダウン。
立ち上がるゾセクですがなにやら右腕を気にしています。
どうやらバダ・ハリの左ミドルで痛めたようです。

まさに満身創痍のゾセクですが、ファイティングポーズを取り試合続行。
決して試合を投げないファイティングスピリッツには驚きです。

再開直後、ボディを攻め試合を終わらせにいくバダ・ハリ。
『ゾセクはもう数秒も持たないだろう』
見ている人たちはそう思ったでしょう。

しかし、数秒後に倒れるのはゾセクではなかったのです。

ロープに寄りかかりながら、コンパクトに振ったゾセクの左脚がバダ・ハリのテンプルを捉えると、バダ・ハリは切り落とした大木のように倒れ込みます。

必死に立ち上がろうとするバダ・ハリですが体がいうことを聞かず、そのままカウントアウト。
なんということでしょう、2ラウンドで3度もダウンを奪われ腕まで負傷しKO寸前だったゾセクが、たった一振りでKOしたのです。

選手は晩年になると打たれ弱くなることがあり、バダ・ハリも例外ではありませんが、ゾセクのコンパクトでクイックな蹴りが意表をつき、テンプルを捉えたからこそ生まれたのも事実で、なにより最後まで諦めなかったファイティングスピリッツが呼び込んだKOでした。

この大逆転劇は、この年のノックオブ・ザ・イヤーに選ばれました。

ウェイン・アレクサンダー vs メルダッド・タカルー

続いては、わざとではないかと疑ってしまうほどの逆転KO。
ウェイン・アレクサンダー vs メルダッド・タカルー、2004年におこなわれたボクシングの試合を紹介します。

アレクサンダーはイギリス人でアマチュアの国内タイトルを獲得後、プロではWBOの世界タイトルに挑戦し獲得はならなかったものの、ヨーロッパのタイトルを獲得しています。

一方タカルーは、イランに生まれ、幼い時に国王が失脚した後、家族でイギリスに逃亡という、過酷な境遇を過ごしてきたイラン系イギリス人です。
WBUというマイナー団体の世界王者で、この試合はWBUライトミドル級(スーパーウェルター級)タイトルマッチです。

試合が始まると、アレクサンダーがプレッシャーをかけ、ジャブの差し合いからパワーパンチを振るっていきます。
タカルーは落ち着いてフットワークでいなし、途中右フックをヒットしますが、距離の探り合いが続きゴング。

そして2ラウンドも、アレクサンダーがプレッシャーをかけジャブの差し合いの展開が続きますが、次第にタカルーがロープにつめられる場面が多くなります。

そして1分半過ぎ、タカルーがコーナーにつめられると、すきを突いてレバーブローを叩き込みます。

腰が折れ、ボディを抱えるアレクサンダー。
顔面のガードもせずボディを守り続けます。明らかに効いています。

ここぞとばかりに打ち込んでいくタカルー。
アレクサンダーは腰を曲げながら後退します。
そして、タカルーが弱りきった獲物を仕留めようとした瞬間でした。

突如、アレクサンダーの左フックがカウンターでジャストミート。
タカルーが大の字に倒れ込みます。

一瞬、何が起こったか理解できないほどの展開に、会場は騒然となります。
タカルーは全く立ち上がれず、アレクサンダーのKO勝利となりました。

タカルーが左ボディを打ってきたタイミングで放ったアレクサンダーの左フック。
タカルーのボディは空振りし、タカルーを迎え撃つ形でドンピシャのタイミングでヒットした見事なカウンターです。

強烈な一撃をくらったタカルーはしばらく立ち上がれませんでした。

あまりの完璧な流れに狙っていたようにも見えましたが、アレクサンダーは試合後

「あのボディショットは本当に効いた。あと一発でももらっていたら私は倒れていました。
あのノックアウトショットは、プロになってからずっと練習してきたパンチだった。
何年も練習してきましたが、最も必要な夜に完璧に決まりました。」
と語っています。

窮地に立たされたときこそ、普段よく練習している動きが出るといいますが、この一撃もそれだったのでしょう。

アレクサンダーの冷静さと、長年の努力が生んだ逆転劇でした。

ディエゴ・コラレス vs ホセ・ルイス・カスティージョ

続いてはボクシング史に残る伝説的な逆転試合を紹介します。

ディエゴ・コラレス vs ホセ・ルイス・カスティージョ。
2005年に行なわれたボクシング、WBO・WBCライト級王座統一戦です。

コラレスは元スーパーフェザー級王者で、前回の試合でWBOのライト級タイトルを獲得し、2階級制覇を達成した選手です。

一方、カスティージョの世界タイトルはWBCのライト級のみですが、フェザー級からキャリアを始め、コラレスに完勝したメイウェザーに敗れたものの、最もメイウェザーを苦しめた一人と言われている選手です。

試合が始まると、両者積極的に手を出していきます。
初回から激しく打ち合う両者に、ゴングが鳴ると観客は拍手を送ります。

そして、2ラウンドになるとインファイトで頭をつけての打ち合いに。
そこからは終始打ち合い、コラレスが効かせればカスティージョが効かせ、ダウンとなってもおかしくない場面が何度もありますが両者倒れません。

6ラウンドにはコラレスが大きくぐらつくもゴングに救われます。
かと思えば7ラウンド、コラレスの左フックでカスティージョの膝が折れ、ダウン寸前になりますが今度はカスティージョがゴングに救われます。

これだけでもすでに名試合ですが、両者一歩も引かずハイペースで打ち合いを続けます。

次第にコラレスの目は大きく腫れ上がりますが、カスティージョの目も腫れ、カットが見られます。
まさに死闘と呼ぶに相応しい試合です。

そして、この試合は10ラウンドに劇的な幕切れを迎えます。

開始25秒、カスティージョの左のショートがコラレスのアゴにヒットし、ついにダウン。

エイトカウントでゆっくり立ち上がるコラレス。
試合続行となりますがレフェリーがタイムを取ります。
実はダウンした時、コラレスがマウスピースを吐き出していたため、レフェリーは急いでマウスピースを装着させたのです。

しかし、コラレスのダメージは明らかです。
すぐにカスティージョの追撃をくらうと、ヨロヨロとダウン。

カウントギリギリで立ち上がるも、再びレフェリーがタイムを取ります。
ダウン時、またもコラレスがマウスピースを吐き出していたのです。
会場からはブーイング。
カスティージョとしてはすぐに追撃のパンチを浴びせ試合を終わらせたかったでしょう。
この時間稼ぎ行為は、波紋を呼ぶことになります。

試合が再開されると、すぐに試合を終わらせにいくカスティージョ。
ロープ際に詰められ絶体絶命のコラレスは意を決して打ち合いに挑みます。

そして、コラレスの右フックがカウンターでヒット。
カスティージョが大きくぐらつきます。

そして、左フックを追加すると今度はコラレスがカスティージョをロープ際に詰めます。
なんとか打ち返すカスティージョですが明らかにダメージがあります。

なんということでしょう、数十秒前まで2度立て続けにダウンを奪われた選手が、今は相手をダウン寸前まで追い詰めているのです。
そしてコラレスのラッシュを浴び、ロープにヨロヨロともたれかかったカスティージョを見てレフェリーが試合を終わらせました。
9ラウンドダウンせずに殴り合いを続けた両者が、10ラウンドに堰を切ったようなダウンの応酬で膜が切れたのです。

この光景に、会場は歓声とブーイングが渦巻き騒然となります。
マウスピースを吐き出した行為が納得いかなかったファンは、コラレスの勝ち名乗りにブーイングを浴びせます。

この時間稼ぎの行為とレフェリーストップのタイミングは議論になり、5ヶ月後にダイレクトリマッチが組まれます。
しかし、今度はカスティージョが体重超過をしノンタイトル戦となった上で、カスティージョのKO勝ち。
さらに8ヶ月後にラバーマッチが組まれますが、またもカスティージョの体重超過により試合中止と、なんとも後味の悪い展開となりました。

しかし、この劇的な試合はリング誌のファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞し、未だに語り継がれるボクシングの歴史的な試合となりました。

パット・バリー vs シーク・コンゴ

続いては、まさに絶体絶命、KO寸前から奇跡の大逆転を紹介します。

パット・バリー vs シーク・コンゴ。
2011年におこなわれた総合格闘技の試合です。

バリーはキック出身で、2004年から2007年にかけてはK-1に参戦し、2008年からUFCで活躍。
2009年にファイト・オブ・ザ・ナイトおよびノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞。
2010年には、敗れたもののミルコから2度ダウンを奪った選手です。

一方、コンゴは空手から格闘技を始め、日本の格闘技イベント”一撃”に参加したことのある選手で、総合は2001年にデビュー、2006年からUFCに参戦しています。

両者100キロ超えの迫力のヘビー級戦です。

試合が始まると、バリーがジリジリと距離を詰めていきます。
そして、右のオーバーハンドがテンプルに炸裂。
コンゴは膝が折れその場にダウンします。

勝機とみたバリーは一心不乱に追撃で試合を終わらせにかかります。
パンチをくらいながらバリーにしがみつくコンゴ。

しかし、離れ際に右フックをくらい再びダウン。
止められてもおかしくないですが場面ですが、レフェリーは止めません。
意識朦朧の中、必死に組みにいくコンゴですが引き剥がされると、ふらつきダウン寸前です。

あとは息の根を止めるだけだと言わんばかりに歩いていくバリー。

しかし、コンゴの起死回生の右フックにぐらつくと、右アッパーを追加され失神。
コンゴが鉄槌を浴びせると、レフェリーは急いで試合を止めました。

KO寸前まで追い詰めてから、数秒後にまさかの目を見開いての失神。
このあっという間の逆転劇は、コンゴがダウンしてからバリーをKOするまで30秒もありません。

バリーが攻めている時点で、レフェリーのストップが遅いと思った方も多かったでしょうし、他のレフェリーだったら止められていてもおかしくありませんでした。
あそこで止めていたら結果は正反対だっただけに、格闘技におけるレフェリングの難しさが見えた試合でもありました。

この衝撃的な逆転劇はノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞。
UFCで未だに語り継がれる名試合となりました。

1990年に行われたWBC世界ミドル級王座決定戦です。

ムアンチャイ・キティカセム vs チャン・ジョング

続いては死闘の末、ギリギリで起きた逆転劇を紹介します。

ムアンチャイ・キティカセム vs チャン・ジョング。
1991年に行われたボクシングの試合です。

ムアンチャイはムエタイ上がりで、ボクシングわずか7戦目でジュニアフライ級王者になり、翌年フライ級タイトルを獲得した二階級制覇王者で、今回の試合がフライ級の初防衛戦です。

一方チャン・ジョングは、ジュニアフライ級のタイトルを15度防衛し殿堂入りした選手で、その防衛では渡嘉敷勝男選手や大橋秀行選手など多くの日本人を退けてきました。
しかし、王座を返上した後の直近2試合は負けており、この試合は前試合に続く2回目の二階級制覇への挑戦です。

試合が始まると、序盤は静かな立ち上がりでしたが、徐々に打撃戦になっていきます。
4ラウンドになるとムアンチャイが的確にパンチをヒットさせるようになっていき、流れを掴み始めます。

しかし5ラウンド、密着から離れ際にチャン・ジョングの左フックがヒットしムアンチャイダウン。
体勢を崩したようなダウンでムアンチャイは不服そうですがカウントは続きます。

畳み掛けてくるチャン・ジョングに打ち返しダメージは少なそうです。
しかし、チャン・ジョングの右アッパーで再びダウン。
膝が折れ崩れ落ちるムアンチャイ。今度はダメージがありそうです。
立ち上がったムアンチャイは、打ち返しながらこのラウンドを耐えきります。

そして、6ラウンドから再び打ち合いになっていきます。
徐々に回復し、リズムを取り戻していくムアンチャイに対して、みるみると体力が減っていくチャン・ジョング。
10ラウンドになるとダメージと打ち疲れから、なく足元もおぼつかなくなっていきます。

11ラウンド、このままいけばムアンチャイの逆転勝利だろうと思われた矢先でした。
突如、チャン・ジョングのワンツーでムアンチャイの膝が折れダウン。
この試合3度めのダウンです。

チャン・ジョングはチャンスとみたのか死力を尽くしてパンチを打ち込んでいきます。
しかしクタクタのチャン・ジョングは攻めきれずゴング。

この死闘に観客は拍手を送ります。

ムアンチャイとしては、2度のダウンから巻き返してきた矢先で3度めのダウン。
メンタル的にも窮地に立たされていますが、最終ラウンドに望みをかけます。

ゴングが鳴るとKOを狙いに行くムアンチャイ。
チャン・ジョングは疲労困憊でクリンチでしのぎ、力なく転げ落ちる場面も見られます。

ラウンド中盤になると突如猛攻を仕掛けるも疲れ果てた身体は言うことを聞きません。
チャン・ジョングとしては、このラウンドをなんとか耐えきりたい所。

しかし、残り1分を過ぎた時でした。
ムアンチャイの左アッパーを効かされると、追撃の右でチャン・ジョングダウン。

立ち上がるも、フラフラで立っていることもままならないチャン・ジョング。
しかし、試合終了まで残り30秒、レフェリーは試合を続行します。

ムアンチャイが軽いパンチを当てると、チャン・ジョングは簡単に倒れます。
根性で立ち上がりますが、全てを出し尽くしたチャン・ジョングはレフェリーにもたれかかり、死闘は幕を閉じました。

12R2分38秒レフェリーストップによりTKO。
11ラウンド耐え続けていたチャン・ジョングの執念は、残り22秒のところで潰えたのです。
セコンドに抱きかかえられる様子が、いかにチャン・ジョングがギリギリだったかを物語っています。

チャン・ジョングのファイティングスピリッツがあったからこそ、最終ラウンドまでどうなるかわからない試合となりました。

ジュリアン・ジャクソン vs エロール・グラハム

続いては、衝撃的な展開の一撃を紹介します。

ジュリアン・ジャクソン vs エロール・グラハム。1990年に行われたWBC世界ミドル級王座決定戦です。

ジャクソンはこれに勝てば2階級制覇、グラハムは初の世界タイトル栄冠になります。

ジャクソンはジェラルド・マクラレンと並んで、歴代の中量級ハードパンチャー。
グラハムは長いリーチを生かしたアウトボクシングで、マッカラムを2-1の僅差まで追い込んだことがある実力者です。

試合が始まると、グラハムが軽快なステップとスウェーでジャクソンのパンチをかわし、一方的にパンチを当てていきます。
リーチを生かしたアウトボクシング、見事なヒットアンドアウェイです。

2Rにはグラハムがパンチを効かせラッシュをかけますが、仕留めきれず。
ジャクソンの強打は見切られ、ことごとく空を切ります。
ラウンド終了時、腫れ上がったジャクソンの左目にドクターチェックが入ります。

3R、グラハムの華麗なフットワークと機敏なスウェーに、ジャクソンはジャブですら当てることができません。
そして突っ込んで行ったところに、グラハムの下がりながらの左フックをカウンターでもらいます。

ラッシュをかけるグラハムですが、ジャクソンの強打を警戒してか深追いせず、またも仕留めきれません。

3R終了時、これまでのジャッジは全ラウンド、フルマークでグラハムが取っています。
腫れ上がったジャクソンの左目はふさがり、再びドクターチェックが入ります。
ここまで一方的な展開。ドクターストップとなってもおかしくない状況でした。
しかし、ドクターはもう1R様子を見ることとし、試合は続行。

4R、ここでKOできなければ次のラウンドでドクターストップの可能性があるジャクソンとしては、なんとしてでも倒したいところ。
しかし、ジャクソンのパワーパンチは空を切ります。

そして中盤、このままグラハムが試合を支配して勝つのかと思っていた矢先でした。
グラハムがジャクソンをコーナーに詰め、左のダブル、返しの右を打とうとした瞬間、眠っていたジャクソンの強打が火を吹いたのです。

グラハムがジャクソンの距離に入ったところに、ジャクソンの右が顎にクリーンヒット。
脱力したグラハムの身体はその場でキャンバスに崩れ落ちました。

失神したグラハムは動くことなく、眠ったままテンカウントを聞きました。

理不尽なほどの破壊力。
11分間、圧倒的に不利だったジャクソンは、1秒でそれをひっくり返したのです。

驚異のハードパンチャーが見せた、大逆転の一撃でした。

ジェロム・レ・バンナ vs ピーター・アーツ

続いてはK-1史上最高の大逆転劇といわれる試合を紹介します。
ジェロム・レ・バンナ vs ピーター・アーツ

この試合は、K-1グランプリ99ファイナルの準々決勝でした。

3度の優勝経験があり、前年の98年大会を全試合1RKO勝ちで優勝した、乗りに乗っているピーター・アーツと、肉体改造によりビルドアップ、2ヶ月前にローキック以外でダウン経験がないマット・スケルトンを1RKOするなど、こちらも万全なバンナの対戦でした。

この時アーツは29歳、まだ腰を痛める前で一番強いと言われている時期でした。バンナもこの時26歳、左肘を痛める前で、互いに全盛期といえる時期です。
この試合は「事実上の決勝戦」と謳われていました。

試合前の組み合わせ抽選会では、誰もが最強のアーツとの対戦を避ける中、バンナは自らアーツを指名したのでした。

試合が始まると早々に打ち合う両者。
そして15秒、バンナの右にアーツがハイキックを合わせます。黄金の右脚はバンナの左側頭部をとらえ、バンナは思わずダウン。
これまで数々の選手を一撃で仕留めてきた、アーツのハイキックが早々に炸裂したのです。
バンナはすぐに立ち上がるも、その足取りは完全に効いています。

勝利を確信したアーツはガッツポーズをしながら、再開を待ちます。

再開され、KOすべくラッシュをかけるアーツ、おぼつかないバンナの足取り、バンナが倒されるのは時間の問題だと誰もが思っていたでしょう。

しかしバンナは立ち向かいます。アーツをロープ際に押し込むと左右のフックを連打。
左の豪腕がアーツの顎をとらえると、アーツは腰からキャンバスに沈んでいきます。
一撃でダウンを奪われたバンナが、一撃でダウンを奪い返したのです。

そのままアーツは立ち上がることなく10カウントを聞き、バンナの逆転勝利となりました。

このわずか1分での信じられない試合展開に、東京ドームは興奮のるつぼと化します。

この試合は多くのファンから、K-1史上ベストバウトに上げられており、K-1史に残る名試合となりました。

以降、バンナは人気No1ファイターとなり、K-1はバンナとともに更に人気を博していくのでした。

フリオ・セサール・チャベス vs メルドリック・テーラーⅠ

続いてはレジェンドが試合終了ギリギリで見せた逆転劇。
フリオ・セサール・チャベス vs メルドリック・テーラーⅠを紹介します。

1990年に行われたこの試合は、68戦全勝のチャベスが持つWBCのベルトと、24勝1分けのテーラーが持つIBFのベルトをかけた、無敗同士のWBC・IBF世界スーパーライト級王座統一戦で、様々な意味でボクシング史に残る逆転劇でした。

チャベスは当時、すでに3階級制覇王者で27歳の全盛期。ボクシング史における数々の記録を打ちたて、全階級通して最強の称号であるPFP号を思いのままにした伝説のチャンピオンです。

一方、テーラーも無敗といえど25戦の1階級の王者で、下馬評ではチャベス優位が圧倒的でした。

しかし、試合が始まるとスピードとテクニックでテーラーが優位に進めます。

11R終了時、107-102、108-101で二人のジャッジがテーラーを支持。一人は104-105でチャベスを支持していました。
つまり最終の12R、テーラーはダウンを奪われてもゴングまで逃げ切れば判定勝ちということになります。

最終ラウンドに入り、残り30秒。このまま時間が過ぎるのを待っていれば、テーラーの統一王者、伝説のチャンピオン、チャベスの連勝記録ストップという、偉業が確約されていました。

しかし、テーラーは逃げずに打ち返します。会場はメキシカンに有利にジャッジすると言われているラスベガス、相手はメキシコの大スター。
セコンドは判定に絶対の確信を持てず、テーラーに積極的に攻めることを指示したといいます。

テーラーの大偉業達成まで残り25秒、しかし世紀の大どんでん返しが起こります。
チャベスの右ストレートがテーラーの顎にカウンターでヒット。チャンスと見たチャベスがラッシュを仕掛け、再び右ストレートがテーラーの顎を貫き、テーラーが崩れ落ちます。
テーラーにとってプロ初のダウンです。

ここで10カウント(テンカウント)で立てなければチャベスの勝利ですが、テーラーはカウント5(ファイブ)で立ち上がります。
最終のゴングまで残り5秒、8カウントでテーラーの様子を窺うレフェリー。目線を外してファイティングポーズを取らないテーラーの様子を見ると、レフェリーは首を横に振りながら試合を終わらせました。

この劇的な幕切れに会場は、割れんばかりの歓声で包まれました。

チャベスの12R2分58秒TKO勝利。試合終了まで後2秒。おそらく試合再開されても直後にゴングが鳴り、テーラーは追加のダウンをせず判定勝利だったでしょう。

納得行かない表情のテーラー。猛抗議するセコンド。この判断は今でも議論の的となっています。

試合会場は、メキシコ系の選手に有利と言われているラスベガス。さらに相手は無敗の伝説のチャンピオン。
ここで負ければその記録に傷がつきます。忖度が働いていないとは言い切れません。

しかし、テーラーがレフェリーの確認に、ファイティングポーズを取り、しっかりと続行の意思を示さなかったことも確かで、解説を務めていた浜田剛史さんの
「レフェリーも時間を気にして(試合を)させるさせないということはない。」
という言葉もあったとおり、レフェリーのスティールも
「時間があろうがなかろうが止める時は止める。私は彼に大丈夫かと尋ねましたが、彼は何も言いませんでした。それだけでなく彼の状態をしっかり見極めて判断したのです。」
と、自分の判断は間違っていなかったと主張しました。

実はこの時、テーラーのセコンドはレフェリーに近づき、ニュートラルコーナーに戻らないチャベスに抗議をしていました。
テーラーはそんなセコンドに気を取られていたのです。
皮肉なことに勝利のために行ったセコンドの行動が、負けを導いてしまいました。

無敗記録を伸ばし続けるスターが、試合終了2秒前に試合をひっくり返した逆転劇でした。

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