【ボクシング】バチバチの打ち合いをした最強王者たち7選

ボクシングの醍醐味は何と言っても派手な打ち合いです。
後楽園ホールに行くと、前座の4回戦の試合などでも打ち合いになる試合があります。そんな試合の後は勝者、敗者に関係なく両者に惜しみない拍手が送られます。まるでそのリング上には勝者しかいないかのようです。
両選手の勝ちに対する執念、気持ちと気持ちのぶつかり合いには、見ている人々を熱狂させ、感動させるものがあります。
それが世界戦の舞台ともなれば尚更でしょう。見ているファンの魂を揺さぶる試合は時、としてボクシングの歴史に残る試合となり、後年まで語り継がれていきます。
そこで本日は、心の底から感動させられる魔力を持った「打ち合い」、を演じた最強王者たちの試合を振り返ってみたいと思います。

目次

バチバチの打ち合いをした最強王者たち7選【ボクシング】

ファン・マヌエル・マルケスVSマニー・パッキャオⅡ

WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ

最初にご紹介するのはこの試合です。
2008年に行われた試合ですが両者は過去に1度対戦しています。

4年前の2004年に行われた時は、1ラウンドにいきなりパッキャオが3度のダウンを奪う波乱の展開になりましたが、マルケスが追い上げ三者三様の引き分けに終わっています。

パッキャオは元々はフライ級で世界タイトルを獲得した選手です。
日本のジムに所属して活躍したロシアのユーリ・アルバチャコフからタイトルを取ったチャチャイ・ダッジボーイジムを8RKOに下して初めての世界タイトルを獲得。

しかし2度目の防衛戦で、メッグン・3Kバッテリーズに体重超過で王座を剥奪された上に、3RKO負けを喫しています。
東洋チャンピオン時代には日本のリングにも上がっており、ノンタイトル戦でしたが寺尾新(しん)選手を1R2分59秒でKOしています。

のちに寺尾選手は「パッキャオのパンチはメチャメチャ強かった」と語っています。
フライ級タイトルを失った後はアメリカに拠点を移し、名匠フレディ―・ローチにボクシングを教わります。


いきなり3階級アップして当時のチャンピオン、リーロ・レジャバに挑戦します。

レジャバはタイトルを5度防衛している安定チャンピオンでした。
そして予定されていた挑戦者が怪我で欠場となり、急遽2週間前に決まった試合でしたが、パッキャオはこのチャンスをものにします、
1ラウンドから攻め立て6ラウンドKOで見事2階級制覇に成功します。

さらには当時PFP最強の1人と目されていたマルコ・アントニオ・バレラを11ラウンドTKOで破り評価を上げます。
マルケスとの初戦の後も、メキシコの倒し屋エリック・モラレスとの3連戦に勝ち越す等、世界的な評価を得ていました。
一方のマルケスは長らく無冠の帝王と呼ばれ続けた選手です。
メキシコの名トレーナー、ナチョ・ベリスタインの秘蔵っ子です。
ナチョはあのリカルド・ロペスのトレーナーとしても知られており、元々はメキシコのアマチュアチームのトレーナーをしていただけあって、正統派のボクシングを教えるのが上手い人でもあります。
マルケスは22ヵ月も連続でランキング1位に居座り続けますが、指名試合を行えずに挑戦のチャンスは訪れませんでした。
1999年にはようやく初の世界挑戦でWBAフェザー級王者のフレディ―・ノーウッドと戦いますが判定負け。

2003年にIBF世界フェザー級王座決定戦でマヌエル・メディナを7回TKO勝ちで初栄冠を果たします。
そしてパッキャオとの1戦目を迎え、その後は2007年にバレラとの対戦にも勝利。WBC世界スーパーフェザー級王者となり、パッキャオとの再戦はそのタイトルの2度目の防衛戦でした。

パッキャオはここまで45勝35KO3敗2分け、マルケスは48勝35KO3敗1分けです。
負けん気の強い好戦的なボクサー2人が戦えば、いい試合にならないはずはありません。
立ち上がり、マルケスは慎重でした。初戦の1ラウンドに喫した3度のダウンが頭にあったのかもしれません。
しかし第2ラウンド、パッキャオがグイグイ前に出てプレッシャーを強めます。
しかしマルケスはパッキャオが入ってきた所に的確にカウンターを合わせ、パッキャオを勢いづかせません。
そしてこのラウンド終了間際に、左フックでパッキャオをグラつかせます。
第3ラウンド、試合が大きく動きます。
残り20秒というところでパッキャオの左のショートフックがヒットしてマルケスがダウンします。
しかし強気のマルケスは立ち上がり打ち合いに挑みます。
そこでパッキャオも効かされますが、マルケスがまたもロープ際に腰を落とします。この大歓声の中、第3ラウンドが終わります。
まだ序盤ですが、両者疲労とダメージが見られます。こんなペースで12ラウンド持つのかと心配になるほどです。
しかし両者は壮絶な打ち合いを続けます。5ラウンド以降はマルケスのカウンターのタイミングが合い始め、パッキャオの動きがやや直線的になっていきます。
そして8ラウンド、開始早々のマルケスの右ストレートでパッキャオはまぶたをカットし出血します。
そしてボディーを効かされピンチに立たされます。メキシカン得意のリバーブローです。
しかし9ラウンド、今度はマルケスが右目の上をカットして流血します。
そして10ラウンド、この試合終盤の山場が訪れます。開始すぐにすれ違いざまのパッキャオの左がヒット。
マルケスは明らかに効いています。しかし疲れからかパッキャオも攻めきれません。
試合は最終回まで打ち合い終了となりました。
ジャッジは割れましたが2-1でパッキャオの3階級制覇で幕を閉じました。
判定が下る前にパッキャオがマルケスの元に行き、握手を求めていたのが印象的でした。

この2人は結局4度戦いますが、4度目にマルケスは右のショートストレート1発でパッキャオをKOします。
この失神KOはボクシング史に残る伝説的なシーンとなりました。

どのボクサーも成しえなかったことをマルケスはやったわけですが、それも過去に36ラウンドも、パッキャオと戦った経験があったからではないでしょうか。
この第2戦を見返してみると、右のカウンターを何度も合わせています。それが4戦目のKOに結び付いたように思います。第
2戦後にマイケル・バッファリングアナウンサーが
「この試合はスーパーフェザー級史上に残るグレートファイトの1つだ」といっていたように素晴らしい試合でした。

ジュリアン・ジャクソンVSジェラルド・マクラレン

WBC世界ミドル級タイトルマッチ

続いてはこの試合です。チャンピオンのジャクソンはここまで46勝43KO1敗、マクラレンは27勝25KO2敗というお互い、強打者のレコードを誇っています。倒し屋同士の1戦として注目されていました。
この試合は1993年に行われましたが、ジャクソンはこの時点の現役チャンピオンの中で最も高いKO率の91%を誇っています。


元スーパーウェルター級のチャンピオンで3度防衛後、ミドル級に上げてタイトルを獲得した2階級制覇の強豪です。
スーパーウェルター級時代の防衛戦の相手には、後の世界王者テリー・ノリスも含まれており、わずか2Rでノリスを粉砕しています。

とにかく倒し方が派手で、一発当たればどんなにタフな相手でも倒してしまいます。43KOのうち36回は4ラウンド以内のKO勝ちです。この試合が5度目の防衛戦となります。
一方のマクラレンは名門クロンクジムの門下生で、エマニュエル・スチュワードトレーナーの秘蔵っ子です。アマチュアで62勝8敗のレコードを残していますが、勝ち星の中には後のPFP(パウンド・フォー・パウンド)、ロイ・ジョーンズ・ジュニアに勝った星も含まれています。

27勝25KOでKO率は86%です。元WBOミドル級チャンピオンで、そのタイトルはザ・ビーストといわれたジョン・ムガビを1ラウンドでKOして獲得しています。

2021年、日本のあるボクシング雑誌(ベースボールマガジン社が発行しているボクシングマガジン)が歴代最強のハードパンチャーTOP10を読者投票で選ぶという企画をやっていましたが、この2人は共に上位にランクインしていました。
試合は初回からファンの期待通りの打ち合いになります。
両者ともブンブン振り回して攻め立てますが、初回開始早々にマクラレンが右をヒットさせ、ジャクソンをグラつかせます。
しかしジャクソンも負けていません。2ラウンド目からマクラレンにプレッシャーをかけ、終盤には効かせるパンチを打ち込みます。しかし第3ラウンド終盤、ミルズ・レインレフェリーが両者を分け注意した後にマクラレンのパンチが炸裂します。ロープ際でダウンをするジャクソン。
レフェリーはスリップと判断しましたが、ジャクソンには明らかなダメージが見られます。
4ラウンドにはマクラレンが足を使いボクシングをし始めます。
それを追いかけるジャクソンですが、若干バランスの悪さが目立ち、ダメージを伺わせます。そして迎えた第5ラウンド、序盤にジャクソンのローブローで少しの休憩が与えられますが、再開後マクラレンは右でグラつかせ、返しの左でダウンを奪います。
バタンとキャンバスに叩き付けられるようにダウンしたジャクソンですが、すぐに立ち上がります。
しかしマクラレンの追撃で再びダウンを喫してしまいます。立ち上がりますが、ここでレフェリーが試合を止めます。こうしてKOキング対決は幕を降ろしたのでした。歴代のハードパンチャー同士の打ち合い。片時も目を離せない緊迫した一戦でした。

シュガー・レイ・レナードVSトーマス・ハーンズⅠ

統一世界ウェルター級タイトルマッチ

1981年に行われたこの試合ですが、いまだに歴代最高の試合、ウェルター級史上に残る試合、等と形容されています。
ハーンズ、レナード共に全盛期、最も充実していた最高の時期に組まれた試合でした。


WBCチャンピオンのレナードはアマチュアで145勝5敗の戦績を残し、1976年モントリオールオリンピックで金メダルを獲得しプロ入りした選手です。
モハメド・アリが引退したらボクシング界は終わりだ、と言われていた時期に。彗星のごとく現れたスター選手でした。
華がある選手で。彼のニックネームのシュガーは華麗なるという意味を持っています。
彼の名前レイ・レナードの由来は、彼の母親がレイ・チャールズのファンだったからと言われていますが、真意の程はわかりません。
レナードはデビュー時から、あのモハメド・アリのトレーナーを務めていたアンジェロ・ダンディーが専属マッチメーカー兼マネージャーとして就くなど、話題を呼んでいましたし期待もされていました。
77年のデビュー後、無敗のままスターダムを駆け上がっていきます。78年にはあのフロイド・メイウェザーの父シニアとも対戦しておりレナードが10回KO勝ちしています

(36分)

そして全勝のままウィルフレド・ベニテスに挑戦し、WBC世界ウェルター級タイトルを獲得します。
ベニテスは17歳で世界王者となったプエルトリコの早熟の天才でしたが、レナードは15回にダウンを奪い見事にKO勝ちを収めました。

14分25秒

2度目の防衛戦で石のコブシ、ロベルト・デュランに判定負けを喫しますが、再戦でリベンジに成功。そしてこのハーンズ戦が組まれます。

一方のハーンズはデトロイトスタイルの生みの親エマニュエル・スチュワードトレーナーの元で、10歳からボクシングを習っている選手で、ヒットマンのニックネームで知られています。
また、デトロイトスタイルを一躍有名にした選手でもあります。
普通、オーソドックスの選手は左手を自分の顔の前あたりに置いて構えますが、ハーンズは左手を下げて、L字型に構え、振り子のように左手を振りながらフリッカージャブを繰り出します。「はじめの一歩」に登場する間柴了のスタイルのモデルになっています。
非常に殺傷能力が高い反面、ガードが甘くなるという欠点を持ったスタイルです。
スチュワードトレーナーはハーンズの入門当初を振り返って「特に光るものを感じたわけではないけど、毎日休まず練習にきていた」と語っています。
練習熱心なハーンズはめきめきと成長し、76年のアマチュアのトーナメントで準優勝を飾っています。この時の優勝者は、後のスーパーライト級王者アーロン・プライヤーでした。
プロデビュー後も、レナードと同様に無敗のまま勝ち上がっていきます。そして世界挑戦、チャンピオンは恐怖のパンチャー、メキシコのホセ・ピピノ・クエバスでした。


クエバスはWBAウェルター級タイトルを11連続防衛中で、うち10回はKOで決めているハードパンチャーでしたが、ハーンズは初回からチャンピオンを圧倒して、2ラウンド、渾身の右の打ちおろしをヒットさせ、KO。
世界タイトルを獲得しています。(9分40秒)

そして1981年9月、ラスベガスで両者は激突します。
レナード30勝21KO1敗、ハーンズ32勝30KO無敗です。
特設会場に2万5千の観客を集めて行われました。
試合は初回から目の離せないものとなります。フリッカージャブを繰り出しながらプレッシャーをかけていくハーンズと、軽快に足を使いながらリングをサークルするレナード。
ラウンド終了時にはおどけた所を見せたり、随所に得意のパフォーマンスを見せるレナードですが、高い集中力が伺えます。
高速連打のレナードか、一撃必殺のハーンズか。3ラウンド目から激しい打ち合いになっていきます。
序盤はハーンズがジャブを効果的に使いポイントを奪っていきますが、第6ラウンド、試合が大きく動きます。
開始すぐにレナードがフック気味の右をヒット、ハーンズの膝が揺れます。
そして2分すぎにはレナードが大きく仕掛け、ハーンズはロープ際に追い込まれます。
さらに残り20秒のところで左ボディをヒットさせハーンズを追い詰めます。このラウンド終了後にハーンズがレナードに一瞥くれるところが印象的でした。
続く7ラウンド、ダメージがあるはずのハーンズが打って出ます。しかしレナードの右アッパーで攻勢が変わります。
レナードの連打でハーンズはロープ際まで後退します。
ボディーが効いているのも明らかです。しかしハーンズは根性で打ち返します。
8回、ハーンズは足を使ってのアウトボクシングに切り替えます。身長185センチに対してリーチ(両腕の長さ)が199センチという驚異的な長さを誇るハーンズは、自分の安全圏からジャブを打ちペースを取り返します。
一進一退の攻防が続きますが13ラウンド、再び試合が動きます。ラウンド中盤にレナードが右をヒット。
そこから怒涛の連打でハーンズをロープの外に追いやりダウンを奪います。しかしレフェリーはダウンと取らず、すぐに再開されます。
レナードはそこから連打で追い詰めラウンド終了間際にはダウンを奪います。
そして14ラウンド。開始からレナードが仕掛けます。ポイントで負けているレナードはここが勝負と感じていたのではないでしょうか。
しかしハーンズは足を使いながら回復を図ります。
しかし1分10秒を過ぎたあたりで、またしてもレナードが右をヒット。ハーンズが大きくグラつきます・
両手を挙げてアピールするレナード怒涛の連打でハーンズを追い詰めます。
世界戦の14ラウンド目に、ここまでの連打を撃てるのは凄まじいスタミナと精神力です。
そしてついにレフェリーが試合を止めます。
歴史的な激闘についにピリオドが打たれたのです。

その後、両者は計3回戦いますが、ライバルと書いて親友と読むような仲になっていきます。

近年マイク・タイソンがホストを務めるYouTube番組に揃って出演し、試合を振り返りながら楽しそうに談笑している2人が微笑ましかったのを覚えています。
レナードが「今のダウンは押されただけだ」と言えばハーンズは「押してねーよー」と返していました。(21分46秒)

マービン・ハグラ―vsトーマス・ハーンズ

世界ミドル級タイトルマッチ

この二人も、レナード、デュランらと共に黄金の中量級四天王のうちの二人で、歴史的なビッグマッチでした。
レナードとの統一戦に敗れたハーンズでしたが、その後1階級上げてスーパーウェルター級チャンピオンのウィルフレッド・ベニテスに挑戦し、判定勝ちで2冠目を手にします。

その王座の防衛戦ではロベルト・デュランとも戦っており3ラウンドで、戦慄のKOで勝利しています。
このタイトルを4度防衛後、ハーンズはもう一つ上のミドル級で3階級目を狙います。
そこに立ちふさがった相手がマービン・ハグラ―でした。
ハグラーはニュージャージー州で生まれますが、幼いころにマサチューセッツ州のブロックトンに移り住みます。
引っ越しの理由は当時全米で盛り上がっていた人種差別問題です。
ハグラ―のいたニュージャージーはニューヨークのすぐ隣にあり、凄まじい数の暴動が起こり、警察、治安部隊との衝突が相次いでいました。
ハグラーの家は母子家庭でした。そして母親はツテを頼り、マサチューセッツに移ることを決意します。
この移住こそがハグラ―の人生を変えます。
ハグラ―とその家族が移り住んだ、マサチューセッツ州ブロックトンはあのヘビー級王者ロッキー・マルシアノが生まれた町です。
1969年そこにボクシングジムがオープンします。そのオーナーはペトロネリ兄弟、あのマルシアノのおさな馴染みでした。
15歳で入門したハグラ―はアマチュアで経験を積み、プロデビュー。しかし苦難のプロ生活となります。
ペトロネリ兄弟は良きトレーナーでしたが、マネージメントは素人で、おまけにハグラ―の強さが圧倒的であったため、なかなかチャンスに恵まれません。
しかしハグラ―はずっとこの兄弟とキャリアを共にしました。ボクシングを教えてもらった恩を感じていたのでしょうか、義理堅いハグラ―らしいエピソードです。
50戦目にしてようやく巡ってきた世界戦のチャンス、ハグラ―はビト・アンツォフェルモに挑戦しますが、悲運のドローに泣きます。

それから王座はアラン・ミンターの手に渡り、ハグラ―は挑戦権を得ます。初回から攻めまくり、右ジャブでチャンピオンの目を切り裂き、ストップ勝ちします。
両膝をついて祈るように喜ぶハグラ―でしたが、地元イギリスのファンたちは暴徒化し、リングにものを投げ込みます。
なんとか暴徒から逃れたハグラ―は、晴れて世界王座を獲得しました。

8分16秒

チャンピオンになってからも、常に最強の挑戦者と戦い続けます。8度目の防衛戦ではパナマのロベルト・デュランの挑戦を受け、判定で避けていますが、この試合の他はすべての防衛戦をKOで片づけています。

そして11度目の防衛戦で挑戦してきたのがヒットマン、トーマス・ハーンズでした。
この試合は全米で、そして世界中で注目されました。
プレスカンファレンスではお互いKO宣言が飛び出し、試合前にはレナードもテレビに登場して予想を語っていました。
試合は初回から壮絶な打ち合いになります。
ハーンズがフリッカースタイルで高速のジャブを飛ばしていけば、ハグラ―は飛び込んでビッグパンチをふるっていきます。
ハーンズの強打を被弾しても怯まずに突進するハグラー。
ハーンズのパンチでハグラ―の額から血が流れます。それでも怯まずにハグラ―は前進します。
2ラウンドも変わらぬペースで打ち合いが続きますが、残り30秒を切ったあたりでハグラ―が左右フックを叩き付けハーンズをロープに釘付けにします。
そして3ラウンド。足を使ってボクシングを始めるハーンズですが、ハグラーのプレッシャーは止まりません。1分半がすぎたところで右をヒット、ハーンズをぐらつかせます。
すぐに追撃しこの試合初のダウンを奪います。辛うじて立ち上がったハーンズですが続行できず、ハグラ―のKO勝ちとなります。

今でも語り継がれる凄まじい打撃戦でした。
中量級を彩った4人のボクサー達、レナード、ハーンズ、デュラン、ハグラ―。この4人の関係を見てみると誰が1番強いのだろうと考えたくなります。
デュランはレナードとの初戦に勝っていますが、再戦で敗れ、ハーンズ、ハグラ―にも負けています。
ハーンズはレナードと1敗1分け、ハグラ―にKO負け、デュランにKO勝ちしています、ハグラ―はデュランに勝ち。
ハーンズにも勝っていますが、レナードに負けています。レナードは全員に勝っています。
しかしこのなかでレナードが最強という人はあまりいません、ハグラ―を推すひとも多いですが、デュランを推す人もいます。
フロイド・メイウェザー・ジュニアがメキシコの番組に出た際に、ボクシングの歴代PFPを尋ねられてデュランを2位に選んでいます。

1分7秒

しかしそれは決して答えが出ることはないのでしょう。
だからこそボクシングは面白いのかもしれませんね。

オスカー・デラ・ホーヤVSアイク・クォーティー

WBCウェルター級タイトルマッチ
先にご紹介したハーンズ対レナード戦から約18年後に行われた試合です。
クォーティーが直前にWBAタイトルを剥奪されたため、統一戦ではなくWBCタイトルのみをかけた試合となりましたが、無敗対決として注目を集めた試合です。

デラホーヤの持っているタイトルは18年前にレナードが保持していたベルトです。
奇しくもデラホーヤもまた、レナードと同じオリンピックの金メダリストからプロに転向しています、レナードのモントリオールから4大会後の1992年、バルセロナオリンピックライト級金メダリストでした。
アリが去ったあとに救世主のように現れ、スターとなったレナードに対して、デラホーヤはタイソンが不在となったボクシング界を救ったヒーローです。
デビュー戦のファイトマネーが100万ドルという破格のデビュー戦となり、デラホーヤは瞬く間にスターダムにのし上がっていきます。
デビュー前から「6階級制覇する」と語っていたデラホーヤはライト級でデビューしますが、初の世界タイトル挑戦は1階級下げてのスーパーフェザー級でした。
12戦目にデンマークのジミー・ブレダルに10ラウンド終了TKO勝ちで初の世界タイトルを獲得。
すぐにライト級に戻り、ホルヘ・パエスに2ラウンドKO勝ちで2階級目を手にします。
続く3階級目にはメキシコの伝説フリオ・セサール・チャベスに挑戦。

究極の栄光と銘打たれたこの一戦。
デラホーヤにとってもヒーロー的な存在だった、チャベスと戦うことになったのです。
メキシカンとの混血のデラホーヤはメキシコ人にもかなり人気者ですが、この試合ではすべてのメキシカンが彼の敵に回ったと本人は語っていました。
それほどチャベスの人気は凄いものがありました。
試合は4ラウンド、デラホーヤのパンチによるカットで続行不可能となりデラホーヤのTKO勝ちという不完全燃焼のものになりました。

そしてウェルター級タイトルは王者パーネル・ウィテカーへの挑戦です。ウィテカーはソウルオリンピックの金メダリストです。
この試合はオリンピックのライト級金メダリスト同士での試合となります。変則サウスポーのウィテカーのスタイルに苦しみますが、何とか判定を拾い4階級制覇を達成します。
その後、チャベスとの決着戦を含め5度の防衛に成功。これが6度目の防衛戦でした。

一方のクォーティーはガーナ出身のボクサーで、1988年のソウルオリンピックにガーナ代表として出場していますが、2回戦でオーストラリア代表のチェイニー・グラハムに敗れてプロ入りしています。
なんと27人兄弟の末っ子で、何番目かの兄はローマオリンピックで銀メダルを獲得していますが、クォーティーはその時まだ生まれてもいませんでした。
デビュー後は無敗のまま世界挑戦にこぎつけますが、立ちはだかるチャンピオンはベネズエラのクリサント・エスパーニャです。

「しばらくタイトルは移動しないだろう」と専門家に言わしめるほどの実力者です。
クォーティーは苦戦しながらも11ラウンド豪快なKO勝ちで王座を獲得します。


それから7度の防衛に成功しますが、その中には後のスーパーライト級チャンピオンのビンセント・フィリップスを実質、左一本で3ラウンドKO勝ちした試合も含まれています。
試合後にフィリップスは「右が強いとの話だったが、左ジャブがあまりに強くて、試合が始まった瞬間に何が何だかわからなくなってしまった」と語っています。
ちなみに今を時めく井上尚哉選手が初めてのアメリカでの試合で、アントニオ・二エベスにKO勝ちした試合で解説者が「イノウエのジャブはアイク・クォーティーのようだ」と絶賛されていましたが、井上選手は試合後にそれを聞いて「いやぁそこまでではないですよ、なんてったってクォーティーですから」と、謙遜も含めてと思いますが、語っていました。
圧倒的な強さで防衛を重ねていったクォーティーですが、7度目の防衛戦は大苦戦しました。

ホセ・ルイス・ロペスを相手にしますが、2ラウンドと11ラウンドにもダウンを奪われ辛くも引き分けで防衛しています。WBAから再戦命令が出ますが、クォーティーは決まりかけていたデラホーヤ戦に踏み切ります、当然デラホーヤ戦の方がファイトマネーは高いですし、勝てばすべてを手に入れることができます。
そこでWBAはクォーティーのタイトルを剥奪。そんな経緯でこの大一番を迎えました。

1999年2月にラスベガスで行われた一戦ですが、会場のほとんどはデラホーヤファンです。
クォーティー側のセコンドもおもわず苦笑いしていました。
試合のファイトマネーもデラホーヤが10億3千万円に対してクォーティーは三分の一でした。
試合は初回からクォーティーが得意のジャブで攻め立てます。
デラホーヤは開始数秒後にフットワークを使うのを辞めて腰を据えてのスタイルに変更します。
試合後デラホーヤは「相手のパンチがあまりに強かったから、腰が浮いたところにパンチをもらうと危ないと思った」と語っていました。
ジャブの差し合いの中、所々デラホーヤが連打をまとめますがクリーンヒットは見られません。
続く2ラウンドは打ち合いになります。ラスト10秒の拍子木が鳴ったところで、両者足を止めての打ち合いになりますが、お互いクリーンヒットは奪えません。
デラホーヤはクォーティーの固いディフェンスをどう崩すかを考えているのか手数は少なめでした。
試合が大きく動いたのは6回、開始早々にデラホーヤが左フックでダウンを奪います。
このままデラホーヤペースになるかと思われた矢先でしたが、今度はクーティーが左をヒット、デラホーヤがダウンします。
ダウン応酬になりましたがダメージはデラホーヤの方が明らかに大きかったでしょう。
ここでミッチ・ハルパーンレフェリーがクォーティーに何らかの注意を与えます。
わずか3秒くらいでしたがデラホーヤは救われたことでしょう。
回復を図るデラホーヤですが、クォーティーもダメージのためか深追いはしません。
ここから試合は緊迫した打ち合いの中に、お互いカウンターを狙いあうという展開が続きます。
そして最終回、この試合最大の見せ場が訪れます。
ポイントを獲ろうとデラホーヤが出ます、そして開始何秒かのところで再び左フックをヒット、土壇場でダウンを奪います。
ここからデラホーヤは相手をロープに釘づけにして怒涛の連打を見舞います。
約1分にわたりラッシュをかけますが、クォーティーもふらふらになりながら手を出し続けます。
1分50秒を残したところでデラホーヤが失速、おそらく持てるすべてを出し尽くしたのでしょう。
一発のパンチを打つのも辛そうです。父親のホエル・デラホーヤ氏は自分の席から立ち上がってリングサイドに行き、声を出していました。
しかしクォーティーも勝負をかけられません。あのラッシュを凌いだクォーティーの精神力は素晴らしかったです。
そして大声援の中試合終了となります。判定は2-1でデラホーヤが辛勝します。
リングアナウンサーのマイケル・バッファは試合後に「81年のハーンズ、レナード戦以来の最高の試合だった」とマイクでアナウンスしていました。それほど歴史的な1戦だったのでしょう。

ちなみに近年クォーティーは地元ガーナのテレビインタビューで「あの試合は今でも負けたとは思っていない」と言っていましたが、その顔は現役時代よりはるかに柔和で優しいものでした。

エリック・モラレスvsマルコ・アントニオバレラ

WBC、WBOスーパーバンタム級タイトル統一戦
ボクシング大国メキシコは常にライバル同士の戦いが盛り上がる国です。ルーベン・オリバレスVSチューチョ・カスティーヨ、カルロス・サラテvsアルフォンソ・サモラ等は代表的なライバル対決でしょう。
そして2000年代初頭のライバルと言えばこの二人です。バレラは1989年にプロデビューしていますが、モラレスは3年半遅い1993年のデビューです。

お互い無敗のまま世界タイトルを獲得していますが、バレラは95年、ダニエル・ヒメネスに判定勝ちしてWBOスーパーバンタム級のタイトルを獲得。
その後このタイトルを8度防衛した後、ジュニア・ジョーンズに不覚の2連敗を喫し、王座から陥落しますが、翌年には返り咲き、3度目の防衛戦としてモラレスとの統一戦に臨みます。
一方のモラレスは日本の辰吉選手の挑戦を2度退けたダニエル・サラゴサを11ラウンドTKOに下し、WBCのスーパーバンタム級タイトルを獲得。
これまで8度の防衛に成功していますが、その中にはバレラを
2度下したジュニア・ジョーンズを4ラウンドTKOに下した試合や
日本で薬師寺選手からタイトルを取った。ウェイン・マッカラーに判定勝ちした試合などが含まれています。

試合は2000年2月にラスベガスで行われます。
1ラウンドから様子見などは一切ない試合展開になります。
どう形容していいのか迷ってしまうほど、常に打ちつ打たれつの打撃戦になります。
5ラウンド半ばには、モラレスがバレラをダウン寸前に追い込んだかと思うと、あっという間に攻守交代して今度はバレラが優勢になります。
試合は終始このような展開で、めまぐるしく攻守が変わっていきます。
中盤には両者疲れとダメージのためか、スピードやパンチも落ちてきますが、終盤には再び盛り返す気力の強さを見せます。
10ラウンド終了時には、まだ試合中にもかかわらず観客が立ち上がり拍手をしています。
それほど素晴らしい打ち合いを演じているのでしょう。
最終回、バレラが前に出ます。
ここまで壮絶な打ち合いをしてきたのに、一体どこにこんな力が残っているのかと思ってしまいますが、ハードなトレーニングの賜物でしょう。
残り時間30秒を残した辺りで、スリップ気味でしたがモラレスがダウンします。
ポイントが競っているこの試合では痛恨のダウンです。
そして大歓声の中試合が終了。最終回のダウンが決定的となり、バレラ優勢かと思われましたが、判定は2-1でモラレスの勝利となります。
2人の因縁のライバル関係が本格的に始まった瞬間でした。
WBOは判定に不服を申し立て、バレラのタイトルの保持を認めていました。

(8秒)

この両者は結局3戦目までもつれ込みますが、2戦目の記者会見ではバレラがモラレスに殴り掛かると、モラレスもすかさず反撃。
ボクサー同士がリング外で拳で相手を殴るという事件を起こしています。

また2戦目の試合中には。モラレスがスペイン語で最低に卑猥な言葉を投げかける場面もありました。(バレラ、モラレスはメキシコで活動してる日本人ボクサーが言ってたことで確かではないですが


の23分14秒だと思います。)
第3戦目の試合後には、モラレスがバレラのコーナーに向かってペットボトルを投げつけるなど、両者の憎しみは消えることはありませんでした。

(58分20秒)


しかし時間は優しく、寛大に2人の間に合った憎しみを洗い流してくれます。
両者引退後にはモラレスがバレラを、地元ティファナに招き食事を共にしたり、

(1分37秒)


2人でラジオのパーソナリティーを務めるなど、すっかり和解した姿をファンに見せてくれました。

番外編:アーツロ・ガッティvsアイバン・ロビンソン

ライト級ノンタイトル10回戦
続いては番外編としてこちらのカードです。この動画のテーマは「バチバチの打ち合いをした最強王者たち」としていて、少なくとも1度は世界を獲った者同士の試合をご紹介してきましたが、こちらのロビンソンは元世界ランカーでチャンピオンにはなっていません。
しかし、激闘王ガッティをどうしても登場させたかったので、この試合を選出しました。
ガッティといえば、誰と戦っても派手な打ち合いになるという、特異な性質を持ったボクサーですが、数ある試合の中で最も有名なのは、やはりミッキー・ウォードとの3連戦だと思います。
しかし私の個人的な意見としては、ロビンソンとの第1戦が1番の打ち合いだったと感じているため、この試合を選びました。

ガッティはトレーシー・パターソンに判定勝ちして、IBFスーパーフェザー級タイトルを獲得。
3度防衛後ライト級に上がってきた選手です。1つ前の試合では、エンジェルマン・フレディ―に8回TKO負けしており、今回が再起初戦です。
現在のランキングはIBF6位。

一方のロビンソンはアメリカ出身の黒人ボクサーです。1度フィリップ・ホリデーの持つIBFライト級タイトルに挑戦しますが、判定負けを喫しています。
ランキングはIBF7位。
両者生き残りをかけたサバイバルマッチです。

試合は技巧派のはずのロビンソンがいきなり打ってでます。
ガッティももちろん引かずに打ち合います。
1ラウンド2分すぎのパンチの交換は迫力のあるものでした。
そして、『これはいい試合になる』と予感させるものでした。
2ラウンドになってもクリンチのない打ち合いになります。
ガッティという選手は勇敢なファイターですが、ディフェンスが苦手な面もありパンチをもろにもらってしまう場面があります。
2ラウンドにもロビンソンの連打をもらってしまいます。
しかし、得意の強打でやり返すのがガッティです。
ひるまずに打ち返します。ガッティの試合を観ていると彼は捨てパンチ等一切打たず、全て全力で打っています。
それが見るものを魅了するのでしょう。
3ラウンドも足を止めての打ち合いが続きます。
本来アウトボクサーのロビンソンも真っ向から打ち合います。
4ラウンド、ガッティの右の打ちおろしでロビンソンがダウンします。
6ラウンドにはロビンソンが連打をまとめガッティを効かせます。
思わずクリンチするガッティですが、残り20秒のところで今度は逆にダメージを与えロビンソンをグラつかせます。
その後も休みない打ち合いが続き、ロビンソンが足をもつれさせたところで試合終了となります。
判定は2-1のスプリットデシジョンでロビンソンが勝利しますが、判定が出た瞬間のガッティの悔しそうな顔は忘れられません。

この試合はノンタイトル戦だったにもかかわらず、リング誌の年間最高試合に選ばれています。
ガッティというボクサーは、世界中のファンを魅了したまさに激闘王でした。
ウォードとの3連戦、その後の2人の友情、ガッティが亡くなった時は世界中のファンが涙したのではないでしょうか。
時代を駆け抜けた偉大なるボクサーのご冥福をこころから祈ります。

井上尚哉vsノニト・ドネア

WBSS決勝戦
最後にもう一戦ご紹介します。考えてみればこれまでのランキングでは日本人選手が出ていませんでしたので、ここで1試合、日本人の関わった激戦をご紹介します。
もはや説明の必要もないかもしれませんが、この試合は2019年11月に行われたもので、ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズの決勝戦として行われました。
当時魅力的なタレントが揃っていたバンタム級のチャンピオン。
そしてランキングボクサーを一堂に集めて、階級最強決定戦をトーナメント式で行う大会です。
井上選手は当時すでにPFPランキング3位に選ばれており、この大会の優勝候補に挙げられていました。
周囲の期待通り、井上選手は一回戦を70秒KO勝ち。
2回戦を2ラウンドKO勝ちで飾り、決勝に駒を進めてきました。

一方のドネアは5階級制覇のレジェンドとはいえ、最近は衰えからか精彩を欠く試合が続いていました。
1回戦はWBAスーパー王者のライアン・バーネットと戦いましたが、バーネットが腰を痛め棄権してのTKO勝ち。
2回戦はWBO王者のゾラニ・テテが怪我で欠場したため、代役挑戦者のステファン・ヤングに6回KO勝ちで決勝に出てきました。

実はこの大会に先立って、ロシアの首都モスクワで行われた組みあわせ抽選会で、今思えば少しドラマティックだったことがありました。
4人の現役王者たちがシード選手として、1回戦での対戦相手を指名するという方式が採用され、それぞれ相手を選んでいきますが、実は井上選手は初戦の相手として、ドネアを指名するつもりでした。
理由は1番強いから、という井上選手らしい理由でしたが、第1シードのバーネットが先にドネアを指名したため、井上選手は次に実力のあるパヤノを指名しました。

(11分28秒)

もし井上選手が、初戦でドネアと戦っていたらどうなっていたかは誰にも解りませんが、イノウエvsドネアはこの大会の決勝に相応しい試合になりました。
試合前からメディア、関係者、国内、海外のファンの間では、井上選手の圧勝、早い回でのKO勝ちが予想されていました。
井上選手本人も「世代交代を見せる」と語っています。
2万3000人を集めて、さいたまスーパーアリーナで行われたこの一戦はWBAスーパー、IBFバンタム級タイトルの統一戦として行われました。

立ち上がりの井上選手の動きは軽快で、左ジャブを多用し、右クロス、左ストレートをヒットさせます。
ジムの大橋会長は「この調子なら早い回でのKOもあり得ると思った」と試合後に語っていましたが、同じように予感したファンも多かったのではないでしょうか。
しかし続く2ラウンド、ドネアのたった一発のパンチで井上陣営のプランは崩れ去ってしまいます。
2ラウンド序盤からプレスを強めた井上選手は、左ガードを下げてフリッカー気味のジャブを打つなど、少し余裕が感じられます。
前戦のロドリゲスとの試合では、互角の攻防を演じた1ラウンドから2ラウンド目にギアを上げ、あっという間にフィニッシュにもっていた井上選手。今回もそうなりそうな予感を抱かせる2回序盤でした。
しかし、2分過ぎにロープ際に詰められた井上選手が、左フックで応戦したその矢先、ドネアの左がクリーンヒット。
井上選手はまぶたをカットします。プロママ通じて初の出血を経験します。
そして井上選手は3ラウンド目が始まった時に相手が二重に見えることに気が付きます。
試合後に眼窩底骨折していたことが判明しますが、試合序盤にカットによるTKO負けの危機と、二重に見える、という2つのハンデを負ってしまいます。
ここでファインプレーを見せたのは、カットマンの佐久間トレーナーでした。実質50秒ほどのインターバルでピタリと完全に止血してみせます。
この2ラウンド目のインターバルの様子は、テレビでは放送されていませんでしたが、井上選手が信吾トレーナーに「血止まってる?」と聞いて、「止まってる」と答えた後に、佐久間トレーナーが大丈夫だという意味合いで「誰が止めてると思ってんだ!」と言う一コマがあり、信吾トレーナーが握手を求めていた場面がありました。
それほど素晴らしい止血の技術でしたが、試合後に佐久間トレーナーは「尚哉は本当に凄い、カットしても冷静で、呼吸も乱れない、気持ちが強いから血も止まったんだよ」と語っていました。
最小限に被害を抑えますが、やはり打たれれば傷は開き、また出血の恐れもあります。
しかも相手が二重に見えている状態です。井上選手は3ラウンド終了時にセコンドに目の異常を明かします。
そして4ラウンド終了時に「この試合ではKOは難しい。ポイントアウトする」、とセコンドに伝えています。
そして試合は一進一退の打ち合いになっていきます。
5ラウンド終盤には、井上選手が右クロスをヒット。ドネアの上体が大きく揺れます。
しかし追撃時、目のぼやけからミスブローしてしまいます。試合を見返してみると大ぶりの空振りが目立ちます。
ライブで観ていた時は「井上選手にしては、らしくない詰め方だな」と思いましたが、目のぼやけがあったことを知ると納得がいきます。
8ラウンドには右目の傷が再び開き、出血してしまいます。
そして9回1分過ぎ、ドネアが右ストレートをヒット。
井上選手の膝が揺れます、すぐにクリンチに行く井上選手。ダメージは明らかです。
しかしドネアは追いません。
試合後に「イノウエのカウンターを警戒していけなかった」と、この試合最大の反省点としてドネアは語っていました。
10ラウンド終了時には、井上選手が観客に向かって両腕を上げ、笑顔でガッツポーズをします。
この死闘の中で楽しそうにボクシングをする井上選手は、メンタルでも怪物ということがわかります。
そして11ラウンド1分過ぎ、渾身の左ボディーでこの試合初のダウンを奪います。
立ち上がってきたドネアに連打で、追撃する井上選手ですが、ドネアも耐えきります。
最終回も猛攻が続き、ついに試合終了を向かえます。
判定は3-0で井上選手が見事優勝を飾るとともにレジェンド、ドネアを打ち破る快挙を成し遂げました。
井上選手は、試合直後「楽しかったー!」と言い、大橋会長を驚かせたといいます。
ドネアもまた、後にこの試合を「最も困難で、最も楽しかった試合」に挙げています。
そしてこの試合は、この年の年間最高試合にも選ばれています。

この2人が今後どのようなライバル関係になっていくのか、現段階ではわかりませんが、早くも再戦を望む声もあります。
WBC王者に復帰したドネアが、ラスベガスで防衛戦を行った井上選手と再会し、井上選手がドネアのベルトを奪い取るようなジェスチャーを見せファンを喜ばせていました。

(5秒)

ファンとしては再戦も見てみたいところですね。

あとがき

最後までご覧いただき誠にありがとうございます。
以上が「バチバチの打ち合いをした最強王者たち7選」です。
どの時代でもボクシングの醍醐味である打ち合いを観るのは、ファンにとって嬉しいものです。
2人の男が魂のすべてを絞り出すような、力と力がぶつかり合うのが打ち合いです。
そんな素晴らしい試合を観たファンは、大いなる満足感と興奮を胸に家路につきます。
そして、なんとなく歴史の目撃者になったような気分になるものです。
独断で私の好みが強く出ているチョイスになってしまってはいますが、お許しください。
是非、皆さんの心に残っている”バチバチの打ち合いをした最強王者たち”をコメント欄にて教えていただけると嬉しいです。

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