ボクシング無敗の最強王者が敗れた日2000年~

無敗の最強王者が敗れた日2000年~

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ボクシングの歴史上、無敗のまま引退した世界チャンピオンというのは数えるほどしかいません。49勝無敗で引退したヘビー級チャンピオン、ロッキー・マルシアノ。46勝無敗のジョー・カルザゲ。34戦全勝のスベン・オットケ。マルシアノの連勝記録を破ったのは50連勝無敗のフロイド・メイウェザー。
引き分けも入れるなら、51勝1分けのリカルド・ロペス等も敗北を知らぬまま引退しています。

しかし、このような例外選手達を除けば、戦い続けるかぎり最強のチャンピオンでも研究され、敗れる日が来ます。
ある時は番狂わせで敗れ、ある時はチャンピオン同士の戦いで敗れ、ある時は衰えによって敗れた無敗の王者たちは数多く存在します。
そこで本日は、無敗だったチャンピオンたちの初黒星にフォーカスしてみたいと思います。
尚、全勝ではなく、引き分け込みの無敗の王者の負けた試合となります。
無敵のチャンピオンたちは、いったいどのようにして初めての敗北を味わったのでしょうか。

1970年代~1990年代の無敗の王者が負けた試合の特集はこちら

目次

無敗の最強王者が敗れた日2000年~

フェリックス・トリニダードvsバーナード・ホプキンス

統一ミドル級タイトルマッチ
トリニダードはカリブの天才パンチャーと呼ばれています。
島国プエルトリコ出身のボクサーで、ウェルター級、スーパーウェルター級、ミドル級で三階級制覇をしています。
WBAミドル級スーパー王者の村田選手も憧れのボクサーの1人に挙げており、日本でも人気のあるボクサーです。

デビューから19戦全勝16KOを記録し、IBFウェルター級タイトルに挑みます。まだ二十歳の若さでした。チャンピオンはベテランのモーリス・ブロッカーです。トリニダードは1ラウンドから攻めまくり、2ラウンド、右で相手を叩き付けるようにダウンさせ、レフェリーはカウントを数えることなく試合を止めました。

トリニダードはこのタイトルを計15回防衛します。4度目の防衛戦では56戦全勝51KOの戦績を誇るメキシコの次世代スター、ヨリボーイ・カンパスと対戦し、2ラウンドにダウンを喫しますが、それが目覚まし時計になったのか、その後、4ラウンドKOで試合を終わらせます。

この頃のトリニダードは、序盤にダウンを喰うことが多かったですが、ツボにはまると恐ろしい強さを発揮し、一発パンチが当たりだすとそのままKOしてしまう試合がよくありました。
13度目の防衛戦では4冠王パーネル・ウィテカーと対戦。ディフェンスマスター、ウィテカーを相手に2ラウンドにダウンを奪いその後も攻めまくり大差の判定勝ちを収めています。

そしてファイト・オブザ・ミレニアムと銘打たれたオスカー・デラホーヤとの統一戦にも判定勝ちし、タイトルを統一します。



ここからのトリニダードは誰にも止められない無双状態に突入していきます。スーパーウェルターに階級を上げ、オリンピックの金メダリスト、デビット・リードを判定で下し、2階級制覇を達成すると

IBF王者のフェルナンド・バルガスとの統一戦に臨み、20戦全勝18KOのバルガスを5度倒し(1ラウンドに3回、12ラウンドに2回)12ラウンドTKO勝ちでタイトルを統一。

さらにはミドル級に上げ、ウィリアム・ジョッピーに挑戦します。
初回からジョッピーを圧倒して5ラウンドKO勝ちで3階級制覇を達成。デビューから40連勝33KOを記録します。

一方のホプキンスもチャンピオンです。
現在WBCとIBFのミドル級タイトルを保持しており、13度の防衛に成功しており、39勝28KO2敗1分け1無効試合のレコードです。
ロイ・ジョーンズとも戦っており、判定負けしていますがキャリアのある試合巧者です。死刑執行人のニックネームを持っており、自らヒール役に徹していて、この試合でもプエルトリコの国旗を燃やしたり、英語のできないトリニダードを馬鹿にしたりしていました。

そんな経緯もあり、ナショナリズムの盛り上がった試合でした。
試合前のレフェリーチェック後のグローブを合わせる際に、トリニダードはホプキンスのグローブを思いっきり叩き付け、怒りをあらわにしていました。
しかし内容は出だしからホプキンスが体格差とうまさをいかして、上手なボクシングを展開していきます。前回対戦したジョッピーはミドル級でもそれほど大きくはありませんでしたが、ホプキンスはかなり大きく見えます。
トリニダードは果敢に前に出て攻めますが、なかなかクリーンヒットを奪えません。
逆にホプキンスは巧みなボクシングでポイントを奪っていきます。似たようなワンサイドの展開が続き、むかえた12回、ついにトリニダードがダウンを喫します
なんとか立ち上がりますがレフェリーはそのまま試合を止めました。

これまで数々の強敵を打破してきたトリニダードでしたが、最後の砦と言われたホプキンスを崩すことはできませんでした。

シェーン・モズリーvsバーノン・フォレスト

WBCウェルター級タイトルマッチ

続いてはこの試合です。モズリーはカリフォルニア州出身のボクサーです。あのシュガー・レイ・ロビンソン、シュガー・レイ・レナードに続きシュガーの名を冠した三代目のボクサーです。1997年にフィリップ・ホリデーに判定勝ちしてIBFライト級タイトルを手にします。

王者になった当初はシュガーを名乗るには役不足のように言われていましたが、モズリーはシュガーに相応しいということを証明していきます。
IBFタイトルを8度防衛した後、モズリーはスーパーライト級を飛び越えてWBCウェルター級タイトルに挑戦します。
相手はバルセロナオリンピックの金メダリストで4階級制覇のオスカー・デラホーヤです。
約20年前にライト級で無敵を証明した後、スーパーライト級を飛び越えてウェルター級タイトルに挑戦したパナマの石のコブシ、ロベルト・デュランのようですね。
デュランが挑戦したのも五輪金メダリストのレナードでした。

実はモズリーとデラホーヤは同じカリフォルニア出身。年齢も近いこともあり、アマチュア時代に何度か対戦しています。デラホーヤは当時を振り返り「モズリーの出場する大会には出ないようにしていた」と語っており、モズリーはかなり恐れられていた存在だったと言えます。アマ時代の勝敗はモズリーが勝ち越しているとの話を聞いたことがありますが、確かではありません。
そしてこの試合モズリーは抜群のスピードとパワー負けしない力強さでデラホーヤに判定勝ちし、2階級制覇を達成します。
そこからモズリーはPFPと呼ばれるようになり、防衛戦でも無類の強さを見せつけ、あっという間に3度の防衛に成功します。

ここで挑戦してきたのがバーノン・フォレストです。フォレストは元々IBFの同級チャンピオンでしたが、モズリーとの試合を優先させたためタイトルを剥奪されていますので、実質的な統一戦となります。
フォレストはアマチュアで200戦以上のキャリアがあり、91年の世界選手権では先に紹介したスーパーライト級王者コンスタンチン・チューと対戦して判定負けしていますが、92年のバルセロナオリンピックの予選では、モズリーを破って出場権を得ています。
プロ入り後は無敗のまま世界王者となり、33勝26KO1無効試合のレコードです。
デラホーヤはアマ時代に負けているモズリーにプロでも敗れています。
もしかしたら苦手意識のようなものがあったのかもしれませんが、モズリーもまたアマ時代に敗れたフォレストに苦手意識をもっていたのか、または相性の問題なのか、この試合でも序盤から大苦戦します。

この試合の山場は2ラウンドに訪れます。2ラウンド開始直後バッティングで両者頭がぶつかり、モズリーがカットします。
何事もなかったかのように試合は再開されますが、1分半すぎにフォレストが右をヒット、モズリーの膝が揺れます。
そのまま連打でモズリーがダウンします。あきらかにダメージがあります。すぐに立ち上がりますがフォレストの追撃でよろよろになり、足元が定まらず再びダウン。
見てる人達は恐らく「終わったな」と思ったのではないでしょうか。それほどのダメージでしたが、モズリーはゴングに救われます。その後モズリーは何とか立て直し試合を続けますが、判定で敗れて初黒星を喫しました。
KO負けこそ免れたものの、モズリーがあのようなダウンを奪われるなど誰も想像していなかったでしょう。
それほど衝撃的な王座交代劇でした。

バーノン・フォレストvsリカルド・マヨルガ

●WBC・WBA統一世界ウェルター級タイトルマッチ

続いてはモズリー×フォレストの続きのような形になります。デラホーヤを下しPFP最強の評価を得ていたモズリー。そのモズリーを下したフォレストもまた高い評価を得ていました。モズリー戦後、ダイレクトのリマッチで再戦しますが、フォレストはこれにも勝利し王座を盤石なものにします。スタイリッシュでカッコいいボクシングと評価され人気を博します。2002年には多くのメディアから年間最高ボクサーに選ばれ、大手テレビ局のHBOと6試合の契約を結ぶ等、一躍時の人となっていました。

マヨルガはそのころWBAチャンピオンとして君臨していました、ニカラグア出身のボクサーで、暴れん坊、破天荒といった形容が相応しいチャンピオンで、リングの上でタバコを吸ったり、計量時いきなり相手をビンタしたり、
試合中でさえもロープにもたれて休むパフォーマンスをしたりして話題を呼んでいました。

とにかくトラッシュトークの達人で、あるボクシングコメンテーターは「彼が英語を喋れればものすごいエンターテイナーとなっていただろう」と感心していたほどでした。
時に行き過ぎる言動で物議を醸していました。

デビュー戦でいきなりTKO負けを喫しているマヨルガですが、その後は順調に勝ち上がり、22勝20KO3敗1分けのレコードで世界初挑戦に挑みました。

王者は無敗のアンドリュー・ルイスでした、ここまで21勝19KO1分けと素晴らしいレコードを誇っています。しかしマヨルガは1ラウンドから得意の乱打戦に持ち込み有利に試合を進めます。
しかし続く2ラウンド開始早々に偶然のバッティングにより試合続行不可能となり、まさかの無効試合となってしまいます。
8か月後に再戦が組まれます、そこでマヨルガはチャンピオンを5ラウンドKOに下し初栄冠、そしてフォレストとの統一戦に臨みます。

この試合立ち上がりはマヨルガも大人しめでしたが2分過ぎから得意の乱打戦に持ち込みます、そして1ラウンド残り6秒というところでマヨルガがダウンを奪います。スリップだと主張したフォレストでしたが覆らず1ラウンド目が終了します。
これでフォレストは冷静さを失ったのか、2ラウンド目からはパンチも大振りになり、乱打戦に巻き込まれていきます。
そして迎えた3ラウンド、2分が経過しようという所でマヨルガが再びダウンを奪います。
なんとか立ち上がったフォレストですが焦点は定まっておらず、レフェリーはそのまま試合を止めました。歓喜のマヨルガ陣営に比べ、プロ初黒星となったフォレストは呆然としています。
ボクシングでは常に敗者と勝者がいますが、そのコントラストがくっきりと見えた試合でもありました。

ロイ・ジョーンズ・ジュニアvsアントニオ・ターバー

●WBA,WBCライトヘビー級タイトルマッチ
ジョーンズは1990年代後半から2000年初頭にかけてPFPの名を欲しいままにしていた天才ボクサーです。パッキャオやメイウェザーが台頭してくる前は間違いなくジョーンズ一択だったように思えます。フロリダ州ペンサコーラ出身の黒人ボクサージョーンズは、アマチュア時代から無類の強さとセンスを見せつけます。
ソウルオリンピックに出場し、当たり前のように決勝まで駒を進めますが、五輪史上最低といわれた地元判定に泣き、銀メダルに終わっています。
しかしその悔しさを晴らすかのようにプロ入り後は連勝を重ねていきます。22戦目にIBFミドル級王座決定戦をバーナード・ホプキンスと争い判定勝ちで初の世界タイトルを獲得。

1度防衛後スーパーミドル級に階級を上げて、IBF王者ジェームス・トニーと対戦します。トニーは抜群のセンスを誇るチャンピオンで、44勝29KO2分けと無敗のチャンピオンです。この試合はジョーンズが若干不利といわれていました、しかしジョーンズは自由奔放なボクシングでトニーを翻弄します。トニーは負けじとジョーンズを挑発しますが、ジョーンズは全く同じ挑発の仕方でやりかえし、トニーをダウンさせます。
試合はそのままジョーンズペースで進み、判定で2冠目を手に入れています。
この王座を5度防衛後、WBCライトヘビー級暫定王座決定戦でマイク・マッカラムと対戦し判定勝ち、のちに正規王者になり3階級制覇を達成しています。

ここまで無敗で勝ち上がってきたジョーンズですが思わぬところで無敗記録が途切れてしまいます。
モンテル・グリフィンを迎えての防衛戦、ジョーンズは初回から圧倒的な強さでポイントを拾っていきます、そして9ラウンド、グリフィンをダウンさせますが、ダウン後の追撃により反則負けとなってしまいます。

再戦では1ラウンドKOであっさりタイトルを取り戻したジョーンズは、その後も連勝を続けます。
しかし、そんなジョーンズの唯一の悩みはライバル選手の不在、それ故にビッグマッチに恵まれず、強さに見合っただけの評価と収入を得ていなかったことでしょうか。
そんな思いがジョーンズにあったのかは分かりませんが、ジョーンズは歴史的な挑戦を行います。それがヘビー級タイトルへの挑戦でした。

WBAチャンピオンのジョン・ルイスはこれといって目立つ強さもない、現役のヘビー級王者の中では最も楽な相手ではありますが、ナチュラルなヘビー級の選手ですので体格が違います。
計量時でルイスは188センチ、102キロだったのに対して、ジョーンズは短期間で8キロ増量し、87・2キロでした。階級制のボクシングにおいて約15キロの違いは大きいのではないか?いくら天才ジョーンズでも無理、という声もありました。しかしかけ率では2-1でジョーンズ有利。
この試合ジョーンズが勝てば、ミドル級タイトルを保持していた選手がヘビー級タイトルを手にするのはボブ・フィッシモンズ以来106年ぶりの快挙となります。しかも純粋な体重差でいえばフィッシモンズがヘビー級タイトルに挑戦した際は75・7キロ、チャンピオンのジム・コーベットは83キロでしたから、それ以上の差があることになります。グラミー賞受賞歌手のアシャンティがアメリカ国歌を歌い上げいよいよ試合開始となります。

初回から体の力をいかしてロープに押し込んでくるルイス、ジャブの重さをみて「ジョーンズ負けるかも」と思った人も多々いたのではないかと思います。しかし2回以降ジョーンズは天才ぶりを見せつけます。パンチの見切り、カウンター、スピードで圧倒的に上回り、チャンピオンに何もさせずにポイントを奪い取っていきます。
途中からガードを下げていつものように余裕のあるボクシングを見せつけます。安全策を取るジョーンズに対してブーイングも飛びますが、ジョーンズは気にせず勝ちに徹したボクシングでついに判定で歴史的快挙を成し遂げたのです。

試合後ジョーンズは「ヘビー級はこの1戦だけ」といい元のライトヘビー級に戻る表明をしました。
歴史を変える挑戦だったとはいえ、このヘビー級挑戦がジョーンズの天才的なボクシングスタイルの崩壊への序曲となっていたことをまだ誰も気づいていませんでした。

ルイス戦後、ライトヘビー級に戻り、WBCタイトルに挑戦するジョーンズ。王者アントニオ・ターバーはジョーンズと同じフロリダ州出身の選手で、年齢も同じ34歳、20年前のアマチュア時代にはジョーンズに敗れていることもあり、常にジョーンズの存在を強く意識してきたボクサーです。ここまで20勝17KO2敗のレコードでジョーンズと戦っているモンテル・グリフィンとの決定戦に勝ち世界王座についてから初の防衛戦でした。
序盤からジョーンズがロープを背負いながらの試合が続きます。これまでもジョーンズは、わざとロープを背にしながらカウンターを狙うボクシングを見せてきましたが、今回はいつもと違い、余裕は感じられません。
結局この試合は最後まで接戦になり2-0の判定でジョーンズが辛勝しますが、この試合がPFPキングジョーンズの落日への一歩となります。

際どい判定だったこともあり、再戦がセットアップされたこのカード、試合前からジョーンズにとって嫌な気配のようなものが感じられていました、顔はやつれて、全体的に枯れて、老け込んだように見えます、いつものような自信も感じられません。一方同い年のターバーはやる気満々といった感じでした。ゴング直前のレフェリーチェックの際にはジョーンズに向かって「今夜は言い訳は用意してきたのか?」と挑発します。(1秒)負けたら何て言うか決めとけよ、という意味合いでしょうか?
ゴングが鳴ると先に攻めたのはジョーンズでした、ジリジリとプレッシャーをかけて早いパンチを繰り出していきます。ターバーは様子見といったかんじで1ラウンドを終えます。
そして第2ラウンド。1分10秒を過ぎた所でターバーが左ストレートを打ち込みます、(6分18秒)これをギリギリのところでかわしたジョーンズですが、その15秒後に放たれた2発目のフック気味の左をまともに喰らい、リングに落下していきます、何とか立ち上がったジョーンズでしたが試合続行はされず、そのままKO負けとなりました。あまりの興奮にカメラを殴りつけるターバー、この試合にかける思いが伺えます。(7分8秒)
多くの専門家はジョーンズの敗因を急激な増量の後の減量で体重をもとに戻そうとしたため、と言います。反射神経が通常の人間よりはるかに良かったジョーンズは普通ならあのパンチは貰わなかったでしょう。反射神経の衰えは体重の上下に関係しているのかわかりません、ビッグマッチを求め、話題性を求め、歴史を変えることに挑戦したジョーンズのヘビー級戦、もしそのために天性のボクシングセンスを失ってしまったのだとしたら、それはあまりにも大きな代償だったのではないでしょうか。

ゲンナディ・ゴロフキンvsサウル・アルバレス

●統一ミドル級タイトルマッチ

ゴロフキンはアマチュア大国であるカザフスタン出身の選手です。アマチュアで350戦のキャリアがあり、ウィキペディアによると345勝5敗との記述がありますが、国際試合だけでも8回の負けを経験しているため実際のアマレコードは不明です。しかし世界選手権で金メダル、アテネ五輪では銀メダルを獲得しています。

ドイツのウニヴェルズム・ボックス・プロモーションと契約してプロデビュー、連続KO勝ちで勝ち進んでいきますが、プロモーションからの低い扱いに我慢できず契約を解除します、その後K-2プロモーションと契約し世界各地で戦うようになります。
18戦全勝で臨んだ初の世界戦はWBA世界ミドル級暫定王座決定戦でした。相手のミルトン・ヌネスを1ラウンド左フックでKOし初のタイトルを手にします。
その後正規チャンピオンのフェリックス・シュトルムがスーパー王者に格上げされたためゴロフキンはレギュラーの正規王者となります。ここまでそれほど世界的な評価を受けていなかったゴロフキンですが、防衛を重ねるごとに評価をアップしていきます。
4度目の防衛戦では日本の渕上誠(まこと)選手ともグローブを交えています。渕上選手はアマチュアでは5勝7敗と負け越していて、デビュー戦でTKO負けしている選手ですが、地道な努力と経験を積んで勝ち上がってきたボクサーです、新人王を獲得し、3度目で日本タイトルも獲得、さらにはアマチュアのスーパーエリート佐藤幸治(こうじ)選手にも勝っています。佐藤選手はK-1の魔裟斗選手ともスパー経験があり、魔裟斗選手は「佐藤君は強かった」と認めていたほどの選手です。
この試合は10日前に急遽決まった試合でした、しかも場所はウクライナです。そんな不利な状況での挑戦、そして際立ったのはゴロフキンの強さでした。
軽い調整試合程度にしか思っていなかったのか、ゴロフキンの調子は決して良いとはいえませんでした。しかし1ラウンドから豪打をブンブンふるってきます。そして初回終盤には左フックで渕上選手の目を切り裂きます。2ラウンドにはダウンを奪い優勢に試合を進めていきます。
そして3ラウンド、ゴロフキンは一気に圧力を強めます、右で2度目のダウンを奪い、一気にフィニッシュします。

7度目の防衛戦では石田順裕(のぶひろ)選手とも戦っています。
石田選手はアマ経験も豊富なテクニシャンで、WBAスーパーウェルター級で暫定王者にもなっています。さらには当時WBOミドル級4位だったホープ、ジェームス・カークランドに番狂わせの1ラウンドKO勝ちを飾りアメリカでも評価を得ていました。

場所は富豪たちが集まる国モナコのカジノで行われました。
石田陣営はホリフィールドがタイソンを破った試合を参考に「下がらずに、ゴロフキンを恐れずに、懐に入っていくことが大事」と作戦をたてていました、その通りに石田選手は初回から真っ向勝負を挑み勇敢にパンチを打っていきますが、2ラウンドから王者ゴロフキンは圧力を強めていきます。
そして3ラウンドには強烈な右で石田選手はリングの外に半分吹っ飛ばされるようにダウンしてそのまま試合終了となります。
石田選手はのちに「世界は広い、こんな凄い選手いるんですね」と脱帽していました。
さらには「ゴロフキンはクリンチすら上手くさせてくれなかった」とも語っています。

それからもゴロフキンは防衛を重ね、WBCそしてIBFタイトルも吸収します。そしてWBA18度目、WBC7度目、IBFの4度目の防衛戦としてむかえた相手がメキシコのサウル・アルバレスでした。アルバレスはアマチュア時代から国内で強すぎて相手がいない状態だったという話があるほどの選手で、15歳でプロデビューしています、デビュー後も連勝を続けて35勝26KO1分けの戦績を引っさげてWBC世界スーパーウェルター級王座決定戦に臨み、3-0の判定勝ちで初のタイトルを獲得。

4度目の防衛戦ではレジェンドの1人シュガー・シェーンモズリーに判定勝ち。
他にもミゲール・コット、アミア・カーン、フリオ・セサール・チャベスジュニアらも下しています。ここまで49勝34KO1敗1分けのレコードで唯一の黒星はPFPキング、フロイド・メイウェザージュニアから喫したものでした。一方にゴロフキンは37戦全勝33KOで2015年あたりから現役最強の1人と言われるようになっていました。
しかし、この試合でゴロフキンは35歳、最近の試合内容をみると若干の陰りがみえていたのも事実でした。実際アルバレス陣営はゴロフキンとの対戦を拒んできました、カーンに快勝したあとのリング上でゴロフキンがリングに上がり対戦をアピールしていますが、2016年中には実現しませんでした。そして2017年9月、ようやくこの1戦は実現します。

試合はゴロフキンがプレッシャーをかけ、アルバレスが下がりながらカウンターを取るといった図式で始まります。序盤をものにしたアルバレスですが、中盤ゴロフキンはポイントを奪回。このままいくかと思われましたがアルバレスも勝ちへの執念を見せます。
ゴロフキン優勢のまま試合は判定にもつれますが、アナウンスされた判定は引き分けでした。ブーイングが飛び交い、ゴロフキン勝利の声が多くきかれたこの試合、すぐに再戦がセットアップされます。


そしてむかえたのが前戦から約1年後の2018年9月でした。
当初5月に予定されていたこの試合ですがアルバレスがドーピング疑惑でサスペンドとなり延期に、そして9月に開催となりました。待たされた怒りもあってか優等生のはずのゴロフキンは不満をぶちまけ、前日の計量では両者顔をつけてのにらみ合いとなり、あわや乱闘かというほどでした。

前回と違い2戦目ではアルバレスは下がらず、逆にゴロフキンにプレッシャーをかけていきます。前回以上の白熱の打撃戦となりますが、7回が終わった際のインターバルでゴロフキンサイドのトレーナーは「俺たちは負けているぞ」と告げます。
ポイントの劣勢を悟ったからかここからゴロフキンは出ていき、さらに打撃戦となっていきます。11回にはプレッシャーをかけ続けていたアルバレスが若干下がり始めます、ゴロフキン相手に前に出続けるのは精神的にも技術的にも相当な負担だったのでしょう。試合は終始打ち合いのまま最終ラウンドのゴングとなります。
判定は3-0でアルバレス。

デビューから13年目、中央アジアの石のコブシゲンナディ・ゴロフキンが落城した瞬間でした。

ホルヘ・リナレスvsファン・カルロス・サルガド

●WBAスーパーフェザー級タイトルマッチ

リナレスはベネズエラのゴールデンボーイと呼ばれていて、アマチュアで144勝6敗のレコードを残し、プロ入り、帝拳ジムと契約していて日本のリングを主戦場としていました。2007年にはオスカー・ラリオスとのWBC世界フェザー級王座決定戦に10回TKO勝ちして初の世界タイトルを手にします。ラリオスは日本の仲里繁や、
粟生隆寛(あおうたかひろ)らと戦ってきた歴戦のチャンピオンです。これまで65戦のキャリアを誇っています、わずか23戦のキャリアのリナレスですが、10ラウンドにダウンを奪い、そのままカウントアウトになりKO勝ちしています。

そのタイトルを1度防衛後、スーパーフェザー級に上げ、ワイベル・ガルシアとの王座決定戦に臨み、5ラウンドTKO勝ちで2階級制覇を達成します。

そのタイトルの2度目の防衛戦の相手がこのサルガドです。サルガドはメキシコ出身、ここまで20勝14KO1分けと無敗の挑戦者です、しかし圧倒的なハンドスピードとボクシングセンスで2階級制覇を達成したリナレスの方がやはり有利とでていた試合です。そしてリナレスにとっては久しぶりの日本での試合、本人も「日本は第2の故郷」とかたっているほどで、これが日本での初めての世界戦でもアリ、凱旋試合でした。
そしてWBCスーパーバンタム級チャンピオンの西岡選手とのダブルタイトルマッチでした。
人気アナウンサー、ジミー・レノン・ジュニアのアナウンスで始まったこの試合、マリアッチの演奏にのって挑戦者が入場してきます。

続いてリナレスが入場してきます、顔の表情からも集中力が感じられます。
しかし試合は誰も予想しなかった展開になります。
序盤は互いに軽くジャブを付き合う静かな立ち上がりでしたが、45秒過ぎ、サルガドが軽くはなった左フックでリナレスが叩き付けられるようにダウンします。
すぐに立ち上がったリナレスでしたがサルガドの追撃で再びダウン、そこで試合終了となります。
騒然とする場内で、リナレスはコーナーに座りうなだれています、まだ何が起こったのか理解できていないような感じに見えます。
控室での囲み会見で、普段は日本語で受け答えするリナレスですが、この日は母国語であるスペイン語のみでの対応だったと言います。
帰り道おそらく多くのボクシングファンが同じ言葉を発したと思います。それは「ボクシングは怖いね」という言葉だったのではないでしょうか。

内山高志vsジェスリール・コラレス

●WBAスーパーフェザー級タイトルマッチ
リナレスが大番狂わせで失った世界タイトルは、その3か月後に日本に帰ってきます。
サルガドの初防衛戦の相手としてリングに上がったのは当時13戦全勝10KOの無敗のレコードを引っさげて世界初挑戦に臨んだ内山選手です。
内山選手は高校からボクシングを始め、大学、社会人とアマチュアボクシングを続けた選手ですが、当時はそこまで目立った選手ではなかったそうです、高校3年の時に国体準優勝を飾りますが、大学進学後も本人の言葉を借りれば「荷物持ちだった」そうです。しかし反骨心の強かった内山選手は、部活が夏休みの時などにも自主練をこなし、強くなっていきます、この時にサンドバッグをたたき続けて、あのパンチ力が身に付いたという都市伝説もあるほどです。
やがて全日本選手権3連覇、世界選手権ベスト16入りなどを果たします。アテネ五輪出場を逃した後、1度ボクシングを引退しますが、同期のボクサー達の活躍に触発されプロ入りします。無敗のまま東洋タイトルを獲得し、5度の防衛に成功します。そして迎えた世界初挑戦、内山選手は「ジムに行くのが嫌になるくらい練習した」と語っている通り、初回から果敢に攻めますがスタミナは健在でした、
ポイントでも勝ってはいましたが、最終回にダウンさせてからのラッシュで見事KOでの栄冠を果たしています。

内山選手は実力はもちろんの事、運にも恵まれたのではないでしょうか、もしリナレスがサルガド戦でいつも通りの実力を出せていれば、負けはなかったでしょう、その場合リナレス×内山が実現していたのかもしれません、ファンにとっては夢のようなカードですが、あの時点での内山選手はリナレスに勝てたでしょうか?それは誰にもわかりませんが、サルガド戦より、はるかにきつい試合になっていたことでしょう。
その後の内山選手はスーパーチャンピオンの道をひた走ります。
11連続防衛、内9回をKOで決めています。3度目の防衛戦では後のWBC世界スーパーフェザー級王者となる三浦選手を相手に3ラウンドにダウンを喫しますが、左ジャブでギブアップさせ8回終了TKO勝利します、
4度目の防衛戦ではマニー・パッキャオとの対戦経験のあるホルヘ・ソリスを一発でKO、
7度目ではハイデル・パーラーをボディ一発でKO
10度目の防衛戦はジョムトン・チュワタナを右ストレート一発で眠らせるなど、その防衛ロードで圧倒的な強さを見せつけます。
30歳で世界王者となり、そこからさらに強くなっていく内山選手、どこまで行くんだろうとファンは思っていたのではないでしょうか。具志堅さんのもつ13連続防衛が見えてきたころ挑戦してきたのがコラレスでした。コラレスはパナマ出身のボクサーで、これまで19勝7KO1敗1無効試合の戦績です。WBAからスーパー王者に認定されている内山選手ですが、コラレスはレギュラー王座の暫定チャンピオンでした、実質的には統一戦の扱いになっています。
試合が始まるとコラレスはアグレッシブに攻めていきます、かなりのスピードを感じます、しかし内山選手は三浦戦でみせたようにサウスポー相手にジャブを当てるのが上手い選手です、この日もジャブを繰り出しながら様子をみています。残り30秒というところでコラレスが大振りのパンチを振って内山選手を追い詰めます。
そして2ラウンド、エンディングは唐突にやってきました。
このラウンド1分10秒を過ぎた所でコラレスが放った右からの左フックがヒット、ゴロンと転がるようにしてダウンした内山選手、立ち上がりますがダメージは明らかです。オーソドックススタイルにスイッチして詰めにいくコラレスの追撃で再びダウンを奪われます。
なんとか立ち上がり、試合再開になります、内山選手は回復を図りますがコラレスの再びの連打でこのラウンド残り1秒のところで3度目のダウンと共にレフェリーが試合終了を宣告します。

6年3か月守ってきたタイトルをあっさりと奪われてしまいます。内山選手は試合後に車中でインタビューに答え「負けるってこんな感じなんだなぁって、ヒシヒシと感じてます」と言っていました。

デオンテイ・ワイルダーvsタイソン・フューリー

●WBC世界ヘビー級タイトルマッチ
90年代を彩ったヘビー級のタレントたち、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、レノックス・ルイス、ラドック、フォアマン、らが表舞台から姿を消した2000年代初頭、それ以降のヘビー級を支配したのはビタリとウラジミールのクリチコ兄弟でした。
ビタリはWBCのベルトを2013年まで9度防衛し、返上、引退します。そのベルトはカナダのバーメイン・スティバーンを経てワイルダーの手に渡ります。

残り3本のベルトをひたすら防衛し続けていたのは弟のウラジミールでしたIBF18度、WBO14度、WBAは8度の防衛を続けていましたが、その長期政権を終わらせたのがタイソン・フューリーでした。
しかしフューリーはタイトル獲得後に、薬物、アルコールに溺れ躁鬱病となりすべてのタイトルを取り上げられ、表舞台から姿を消します。のちにフューリーはその時の様子を舞家タイソンのhotboxing で語っています。フューリーは自殺を試みますが「行くな」という何者かの声で踏みとどまったといいます。
その後一時は170キロあった体重を絞り復帰してきます。
そしてワイルダーのタイトルに挑戦してきたのです。

この2人実は過去に1度リング上で顔を合わせています、その時は対戦者としてではありませんでしたが、ワイルダーの3度目の防衛戦のあとのリング上で、言い合いをしています。(55分5秒)


ついに2人の対戦が実現したのはそれから2年以上あとの2018年の12月でした。
ワイルダー40戦全勝39KO、フューリー27戦全勝18KOの全勝対決でしたが、試合前から舌戦を繰り広げて話題になっていました。
試合はワイルダーが9回と12回にダウンを奪いますが引き分けに終わります。
ヘビー級らしい派手な打ち合いを演じた両者、しかも試合が引き分けだったこともありファンも両者も決着戦を望みました。そして2020年2月に両者は再びリングで対峙します。
キャリア最重量となる123・8キロでリングに上がったフューリーですが試合前には「2ラウンドだ、何故か2という数字が頭に浮かぶんだ、2回でKOする」と息巻いていました。

初回、予想よりも慎重な立ち上がりの両者ですが、フェイントを交えながら様子を伺うフューリー、増量してきましたが軽快なフットワークを見せます。初回終了12秒前には左ジャブをヒットさせ、ゴングと同時に片手を高々と上げて優勢をアピールします。
フューリーが予告KOをしていた2ラウンドが始まります、開始早々にフューリーがジャブをヒット、ジャブというよりストレートのような威力です、しかしワイルダーも右をヒットし会場を沸かせます。
この回終了10秒前にはワイルダーが再び右をヒットしたところから両者打ち合いますが、予告KOは実行されずに2ラウンドが終了します。しかし続く3ラウンド、試合が動きます。開始から数秒が経過したところでフューリーが右をヒット、クリンチに逃れるワイルダーですがフューリーのペースが続きます、そして終盤フューリーのスピーディなワンツーがヒットし、ワイルダーはダウンします。
立ち上がってきたワイルダーに追撃弾を浴びせてワイルダーは足がもつれるような形で再びキャンバスに膝をつきます、これはスリップと判定されますが、ダメージは明らかです。なんとかゴングに逃げ込んだワイルダーですが、かつてないほどのピンチが続きます。

5ラウンドにはまたもフューリーが開始早々に右をヒットし、ダメージを与えます。そして1分過ぎにフューリーは再びダウンを奪います、ワイルダーは立ち上がりますが足がふらつき、ダメージがみえます。7ラウンドに入るころには完全にフューリーのペースでワイルダーはダメージと疲労で動けません、ジリジリとプレッシャーをかけていくフューリーは1分すぐに連打をまとめます。ワイルダーも反撃しますが後続打が続きません。
そして1分30秒が過ぎた時、フューリーがコーナーに追い詰めて連打を見舞います、そこでレフェリーが試合をストップ。これまでの流れやダメージを考えると妥当なストップかと思われましたが、ワイルダーは抗議します。
しかしレフェリーの判断ではなく、ワイルダーのコーナーからのタオル投入によってのストップでした。
ご機嫌にアメリカンパイをリング上で歌うフューリーをしり目に初黒星を喫したワイルダーは「私は勇敢な戦士だ、必ず強くなって戻ってくる」と言い残しリングを降りていきました。

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