【格闘技】世界の格上を失神させた日本人【大番狂わせ】

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格闘技の醍醐味に大番狂わせやアップセットという、不利と思われていた選手が強豪を倒すというものがあります。
今回はそんな中でも日本人が世界の格上を失神させた試合を紹介します。

目次

【格闘技】世界の格上を失神させた日本人【大番狂わせ】

所英男 vs アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ

最初に紹介するのはある日本人選手を一躍有名にした伝説のシンデレラストーリーです。

所英男 vs アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ。
この試合はHERO’Sミドル級世界最強王者決定トーナメント一回戦としておこなわれました。

所選手はHERO’S初参戦で、それまでのプロ戦績はZSTのグラップリングルールでは優勝したものの、総合ルールでは14勝11敗と目立ったものではありませんでした。
六畳一間風呂なしのアパートに住み、アルバイトで生活をまかなっており、戦うフリーターという通称で当時は無名の選手でした。

一方、ノゲイラは修斗ライト級王者で、得意のギロチンチョークで6年間その王座を防衛し続け、同階級では最強の声が多く、このトーナメントの優勝候補でした。

誰もがこの帝王の勝利を信じて疑わなかったでしょう。
そんなマッチメイクでした。
しかし、戦うフリーターはこの日、奇跡を起こしてみせるのです。

試合が始まると、両者間合いを測る時間が続きますが、ノゲイラがタックルからテイクダウンを取ります。
グラウンドでの素早い攻防から得意のギロチンチョークを仕掛けるノゲイラ。
なかなかエスケープできない所選手。予想どおり、ノゲイラが試合を決めてしまうのでしょうか。

日本の会場からは奇跡を信じる所コールが鳴り響きます。
その声が届いたのか、今度は所選手が上になります。

柔術師のノゲイラに怯むことなく、寝技で真っ向から挑む所選手。
所選手の寝業師としてのプライドが見えますね。

寝業師同士の見ごたえのあるグラウンドでの攻防が続き1R終了。
所選手の健闘に大番狂わせの匂いがしてきます。

そして2R、再びノゲイラのタックルからグラウンドになりますが、下から積極的に仕掛けます。
残り1分になると今度は打撃を効かせる場面も。

5分2Rルールだったこの試合の勝敗は判定に委ねられますが、三者ドローで、決着はマストシステムの延長ラウンドへ。
ゴングが鳴ると、少しずつ距離を詰めていく所選手。

そして、突如バックハンドブローでノゲイラダウン。追撃のパウンドを浴びせるとレフェリーストップのTKO。
突然の光景、まさかの大番狂わせに会場は割れんばかりの大歓声。
所選手はスタンディングオベーションの観客に雄叫びを上げ、師匠の前田日明氏のもとへ勝利を報告します。

寝技の攻防から一転、まさかのバックハンドブロー。
見事な奇襲攻撃が成功した瞬間でした。

所選手はその後も、格上のホイス・グレイシーと互角の勝負をするなど、シンデレラボーイを象徴する選手となります。

そして、この試合は所選手を一躍有名にし、所選手の代表的な試合となりました。
戦うフリーターが人生を変えた一夜でした。

西岡利晃 vs ジョニー・ゴンサレス

続いては、当チャンネルの”感動・泣ける試合ランキング”動画でも紹介した、未だに語り草になっている伝説的な試合を紹介します。

西岡利晃 vs ジョニー・ゴンサレス。
2009年に行われたWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチです。

チャンピオン西岡選手の2度めの防衛戦でしたが、開催地はアウェイであり、ゴンサレスのホームであるメキシコです。
当時、日本人のアウェイでの防衛成功は、24年前の渡辺二郎ただ一人です。
ゴンサレスにとっては初の2階級制覇をかけた試合でした。

ゴンサレスはアメリカでもビッグマッチを戦うなど、世界的な知名度と人気は西岡選手を遥かに上回るスター選手で、その人気から、挑戦者ながらホームのメキシコでの開催となりました。
当時、メキシコでは豚インフルエンザが大流行しており、一時試合の中止も危惧されましたが、西岡選手はメキシコで戦う決断をしたのです。

多くの人はこの極東の選手がスターのゴンサレスに、ましてやアウェイで勝てると思っていなかったでしょう。事実、ゴンサレスが勝つことを前提に、この日の前座で戦ったメキシコのラファエル・マルケスとの、メキシカン対決を期待する声が多く挙がっていたのでした。

西岡選手がコールされると地元のファンから強烈なブーイングが飛びます。
しかし、西岡選手にとっては5度目の挑戦でやっと掴んだ世界タイトル。手放すわけにはいきません。

試合が始まると、日本のファンにとって受け入れがたい展開になります。
たちあがり緊張からか硬さのあった西岡選手は2分すぎ、右をもらいダウンを喫してしまいます。
やはり、ゴンサレスが順当にベルトを巻くことになるのか、そう思わせる1Rでした。

しかし、2Rから徐々に調子を取り戻した西岡選手は3R、やや右にステップしてからの左ストレート一発。王者の左がゴンサレスの顎をとらえると、ゴンサレスは後ろからバタンとキャンバスに倒れ込みます。

試合を終わらせるには充分すぎるクリーンヒット。西岡選手はたった一発で逆境をはねのけたのでした。
この衝撃的なKO劇にメキシコのファンは、勝利者「ニシオカ」がコールされると拍手で称えました。

この試合はWBCの年間ベストKO賞を受賞。

そして、この物語はここで終わりではなかったのです。
2年後の2011年4月8日、今度はジョニー・ゴンサレスがWBC世界フェザー級タイトル、悲願の2階級制覇をかけて、長谷川穂積選手と日本で戦うことが決定していました。

しかし、この時の日本は東日本大震災から1ヶ月も経っていない時で、原発事故の問題もあり多くの外国人が来日をキャンセルしていたのです。
そして、この試合も、中止をやむを得ない状況でした。

しかし、ジョニー・ゴンサレスは言いました。
「長谷川と戦って日本の人達を元気づけたい。いつものように試合を行えば『日本は大丈夫』という正しいメッセージが世界に伝わるだろう」
「豚インフルエンザがメキシコを完全に荒廃させていた時、西岡利晃が防衛戦のためにメキシコを訪れ、私と戦ったことを決して忘れない。私も同じようにモチベーションと誇りをもって戦う」
と。

そして、試合では4R右フックでTKO勝利を収め、西岡戦で叶わなかった悲願の2階級制覇を達成したのです。

この年、WBCはゴンサレスを”模範的なチャンピオン”として選出しました。

この2つの試合は、日本人選手が格上を倒しただけでなく、逆境をはねのけた西岡選手の根性と、西岡選手からメキシコで受けた男気を日本で返したゴンサレスの男気に、心揺さぶられる物語でした。

高瀬大樹 vs アンデウソン・シウバ

続いてはUFCのレジェンドとなる選手を日本人が破った試合。
高瀬大樹 vs アンデウソン・シウバを紹介します。

アンデウソンは後に、UFCのミドル級王者になる選手で、UFC史上最長王座の在位期間、16連勝という全階級を通じた最多連勝記録、歴代2位の王座最多連続防衛記録の持ち主で、その圧倒的な強さから全盛期は歴代最強にも上げられています。

この試合がおこなわれたのは2003年で、まだUFC参戦前でしたが桜井マッハ速人選手に初黒星をつけ修斗ミドル級王者になると、PRIDEに参戦。
PRIDEでの3連勝を含む10連勝中の強豪でした。

一方高瀬選手は、PRIDEは2戦目。
PRIDE初戦でエマニュエル・ヤーブローという超巨漢を倒してみせたものの、総合の戦績は4勝7敗1分けと、ふるわないものでした。

下馬評では圧倒的にアンデウソン。そんなマッチアップでした。

試合前の控室では笑顔でリラックスするアンデウソンと真剣な表情の高瀬選手。
対照的な両者です。

試合が始まると、高瀬選手が間合いを図りながらタックルを仕掛けます。
タックルを切られますが、3回目のタックルでテイクダウンに成功。

高瀬選手が上になりグラウンドでの攻防が続きます。
そして、アームロックを仕掛けますが極めきれず。

アンデウソンのセコンドにはともに練習をしているヴァンダレイ・シウバがついています。

今度は高瀬選手がサイドポジションから攻める展開が続きます。
そして、再びアームロックを狙い、アンデウソンが身体を入れ替えた瞬間、高瀬選手が脚を絡め三角締めを極めます。

がっちりロックされた三角絞めにアンデウソンは為す術なく、そのままタップし試合終了となりました。

アンデウソンが身体の向きを変えた瞬間に合わせた見事なセットアップ。
スローで見てみるとアンデウソンが体勢を変えようとした瞬間に、高瀬選手が右脚を上げ、アンデウソンの首元に絡めにいったのがわかります。
完全にこの瞬間を狙っていたのでしょう。

高瀬選手の冷静なグラップリングが生んだ見事な大番狂わせでした。

澤屋敷純一 vs ジェロム・レ・バンナ

続いては、数々の日本人を倒してきたバトルサイボーグに唯一勝った日本人選手の試合を紹介します。

澤屋敷 vs ジェロム・レ・バンナ。
バンナは当時無冠の帝王と言われ最強の一角で、日本人エース選手だった佐竹選手や武蔵選手、天田ヒロミ選手をKOで粉砕してきた選手です。

一方、澤屋敷選手はK-1二戦目。
J-NETWORKヘビー級王者という肩書はあったものの、K-1という舞台とは比較にならず、無名の選手でした。

K-1グランプリ2007でおこなわれたこの試合は
「KOしたいから、2007年の初戦は日本人がいい」
というバンナの要望をもとに用意されたのがこの新人だったのです。

前日の記者会見に現れなかったバンナですが、澤屋敷選手は
「全力でリングの上で100%の力を出して、バンナ選手に一泡、吹かせたいと思っています」
と密かに闘志を燃やしていました。

試合が始まると、のそりと近づくバンナに対して時計回りにリングをサークリングする澤屋敷選手。
追いかけながらパンチを放ってくるバンナに対して、ひたすら周り続けます。

これはサウスポーであるバンナ得意の左ストレートを封じる作戦でした。
セコンドからも「周れ周れ」という声が聞こえます。

そしてラウンド中盤、バンナが澤屋敷選手をロープ際に詰めた瞬間、キャンバスに転げ落ちます。
澤屋敷選手が高速のカウンターを合わせたのです。

バンナの飛び込み右フックに対して、コンパクトなショートフック。
完璧に合わせにいった見事な一発に、バンナはいとも簡単にダウンを喫してしまいます。

立ち上がるバンナですが、澤屋敷選手は無理に攻めにいかず、サークリングを再開します。
ダウン前と同じ光景が続きますが、澤屋敷選手が要所要所でカウンターを狙っていき、前半とは違う緊張感が漂います。
終了10秒前には、消極的な澤屋敷選手にバンナが腰に手を当て苛立っている様子。

2ラウンドも同様にリングを周り続ける澤屋敷選手。
途中、レフェリーから消極性を注意されますが、その後も機械のように淡々と作戦を遂行します。

バンナはこれを止めるために蹴り、特に左回りに対して右の蹴りを出したいところですが、不自然なほどに蹴りを出しません。
実は試合前、バンナは右膝を痛めていたのです。
距離を取って逃げ続ける相手に蹴りを出せず、迂闊に右フックを出せばカウンターが待っている状況に、上手く澤屋敷選手を捕まえられません。

そして最終の3ラウンドもサークリングする澤屋敷選手。
再びレフェリーに消極性を注意されます。

ダウンを取られているバンナとしては、このままでは判定負けです。
なんとしても倒して、最低でもダウンは取りたいところ。

しかし、ノーモーションで飛んでくる澤屋敷選手のカウンターに手を焼きます。

そして、澤屋敷選手の左のショートが再びバンナのアゴを貫きます。
マウスピースが吹き飛ぶ程の一撃です。
ふらつくバンナに追撃でダウン。

そして試合再開と同時にゴング。
会場はどよめき、勝利を確信した澤屋敷選手が両手を上げます。

判定は聞くまでもありません。
日本人エース選手だった佐竹選手や武蔵選手、天田ヒロミ選手がKOで散り、成し遂げられなかったバンナ超えを、無名の日本人がやってみせたのです。

判定は3対0で文句なしの澤屋敷選手の勝利。

試合後、澤屋敷選手は
「嬉しいです。作戦通りです。2~3Rにバンナ選手が焦れてくるのはわかっていました。」
とコメント。

消極性に批判の声もありましたが、バンナは
「1月に右膝を痛め、充分な練習ができなかった。澤屋敷のことは知らなかった。
彼はあの作戦でしか勝てないと判断したのだろう。でも作戦は作戦。
審判も注意をしていたから彼に対する悪意は無い。ぜひ彼にリベンジしたい」
とコメント。
1年半後にリベンジを達成します。

無名の日本人選手が見せた見事なジャイアントキリングでした。

井上尚弥 vs オマール・ナルバエス

続いては日本の最高傑作がダウン経験無しのレジェンドを瞬殺した試合を紹介します。

井上尚弥 vs オマール・ナルバエス。
2014年におこなわれたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチです。

ナルバエスはフライ級世界王座を16連続防衛、スーパーフライ級王座を11連続防衛中のレジェンド級チャンピオンです。
強固なガードを持った選手で、プロ・アマを通じて150戦20年以上の経験がありながら、一度もダウン経験がなく43勝1敗2分。
唯一の黒星はあのドネアからの判定負けのみで、フライ級、スーパーフライ級では14年間無敗でした。

今でこそPFPの井上選手ですが、当時はまだ世界戦3戦目。
21歳の、レジェンドへの挑戦、ましてや二階級上げての初試合に「時期尚早」との声もありました。
井上選手も「お客さんからブーイングされるような内容でもいいから勝つ」と語るほどです。

そして、試合前から駆け引きは始まっていました。
グローブチェックの際ナルバエス陣営は用意された王者カラーの赤のグローブを取り囲んで10分近くにわたって協議。
そして赤グローブを拒否して、井上と同じ黒グローブを要求します。

試合前、ナルバエスは
「(イノウエを)気にしていない。気にするのは自分の体調だけだ」
「12R全てポイントを上回って勝つ」
「イノウエが6戦目で獲得したタイトルはライトフライ級だ。私は11戦目でフライ級を獲得した」
大差判定で勝ちたいという井上選手を「それは難しい」と笑います。

しかし、試合は井上選手自身の予想も大きく上回る展開となります。

試合は早々に大きく動きます。
1R25秒、井上選手が右のオーバーハンドをナルバエスのおでこに叩きつけ、さらにガードの上から叩き込みダウンを奪います。
試合開始30秒も経っていない時点で、ダウン経験のない王者がダウンしたのです。

ゲストの香川照之さんは「ナルバエスが倒されるなんてないですよ」と言い、その興奮した様子がいかにこの光景が信じられないことかを表していました。

初めに効かせたパンチが当たった場所はおでこで、顎やテンプルといった急所ではありません。
そして、ダウンを奪ったパンチはガードの上からでした。
このあまりのパワーにナルバエス、観客はもちろん、井上選手自身も驚いていました。
この時のパンチで、そのパワー故に右拳を痛めたのです。

立ち上がるナルバエスに井上選手が冷静に詰め、ボディに打ち分けた後、左フックをテンプルにかすらせ再びダウンを奪います。

立ち上がったナルバエスは、脚を使いながら両腕でがっちりとガードを固めます。
ラウンドはまだ残り1分半ですが、そこは百戦錬磨のナルバエス。井上選手の猛攻をなんとかしのいでみせます。
1R終了のゴングが鳴ると、観客から興奮の拍手が沸き起こります。

2R、少しずつ反撃するナルバエスですが、直ぐに井上選手の倍返しが待っている状況を打開できません。

そしてラウンド中盤、前に出てきたナルバエスを待っていたのは、井上選手得意の下がりながらの左フックのカウンターでした。
井上選手のジャブに合わせてきたナルバエスの右を、バックステップと少しのスウェーでかわし、ドンピシャでテンプルを打ち抜きます。
この試合以外でも井上選手がよく使うカウンターですが、このギリギリの距離感があるからこそなせる技です。

ヨロリとキャンバスに膝をついたナルバエスですが、直ぐに立ち上がります。
この試合3度めのダウンですが、この打たれ強さはさすがは元ダウン経験なしの王者ですね。

ここで仕留めたい井上選手ですが、ナルバエスは1R同様がっちり顔面のガードを固めます。
しかし、右拳を痛めている井上選手は強く打ち込めません。
そこで井上選手が選んだのはボディ攻めでした。

ダブルジャブからの右ボディフック。左右の顔面へのフックから左ボディフック。ダブルジャブから左ボディフック。
そして最後は、右アッパーから左ボディフックです。
この右アッパーからの左ボディフックは、井上選手が最も得意とするボディのコンビネーションで、多くの試合をこのボディで決めてきました。

立て続けに強烈なボディを食らったナルバエスは、居合斬りを受けたかのように、少し間をおいてキャンバスに座り込みます。
苦悶の表情を浮かべるナルバエスは立ち上がれず、井上選手のKO勝利となりました。

当時世界最速の2階級制覇。しかも、レジェンド相手に2RKO。
この圧倒劇には、観客や相手陣営はもちろん、井上陣営も衝撃だったでしょう。

最後のフィニッシュブローをスローで見てみると、ナルバエスの右脇腹、レバーのある位置に井上選手の左手が強烈にめり込んでいるのがわかります。
ナルバエスはこのダウンについて「気力ではなく体が限界だった」と語っています。
レジェンドを初KOするのにふさわしいパンチでした。

試合後ナルバエス陣営は井上選手のあまりのパワーに「井上はグローブに何か仕込んでいないか?」とチェックを要請します。
それほどナルバエスがあんなに簡単に倒されるなど、信じられなかったのでしょう。
しかし、井上選手はすぐにグローブを取り、何も仕込んでいないことを見せると「素晴らしいチャンピオンだ」と納得しました。

全盛期のドネアを相手にしても「パンチを効かされたことはない」と語っていたナルバエスですが、井上選手のパンチについては
「1R目からパンチ力に驚いた。本当に強かった。もっと上の階級のパンチ力だったし、パンチが速過ぎて見えなかった」と語っています。

試合後、見たことのない父親の姿にリング上で泣きじゃくるナルバエスジュニアくんですが、井上選手との年齢差は奇しくも、父親のナルバエスと井上選手の年齢差と同じ18歳差です。
父親と二人三脚でボクシングをしているナルバエスジュニアくんは現在アマの国内王者。
境遇も井上選手と似ているこの息子が将来、同じ年齢で井上選手と戦うことがあればドラマチックな展開ですね。

井上選手はこの年、海外の様々なボクシングサイトから年間MVPに選ばれ、日本ボクシングコミッションからはこの年の最優秀選手賞、KO賞、そしてこの試合は年間最高試合に選出されました。

怪物の伝説の幕開けでした。

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