【歴代最強】世界ボクサーPFPランキングTOP10

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全階級で体重差のハンデがない場合、誰が最強であるかを指す称号であるPFP。

前回は日本人に限定した歴代のPFPランキングを作成しましたが、今回は全世界のボクサーを対象とした歴代PFPランキングを作成しました。

日本人歴代PFPランキング

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歴代日本人最強ボクサーPFPランキングTOP10 はじめに 60年以上前、最も権威のあるボクシング誌といわれている、RING誌で「シュガー・レイ・ロビンソンがヘビー級の選手と体重が同じ状態で戦ったら勝つだろう...

このランキングは全盛期の一時的な強さではなく、キャリア全体を通しての評価基準となります。

また、階級以外にも時代の技術レベルの違いのハンデも考慮してのランキングとなります。

なお、PFPの起源であるシュガー・レイ・ロビンソンは殿堂入りとし、古すぎる選手は比較が難しく、1960年以前に活躍した選手は対象外としました。

果たして井上尚弥選手のランクインはあるのでしょうか。

目次

世界歴代ボクサーPFP最強ランキング

前編10~6位動画

10位 ジェームズ・トニー

新しいタブでプレビュー

生年月日:1968年8月24日

ジェームズ・トニーは92戦77勝(45KO)10敗3引き分け2無効試合、ミドル級、スーパーミドル級、クルーザー級の3階級王者です。

マイナー団体ではありますがヘビー級でも世界王者になっています。

WBAで一時的にヘビー級王者になりましたが、これは後ほど解説します。

トニーは歴代PFPランキングではあまり名が挙がらない選手かもしれませんが、卓越したボクシングセンスを持っていて、なんといってもディフェンスセンスは歴代でも随一ではないでしょうか。

L字ガードの構えからショルダーロールで相手のパンチをいなすのが本当に得意な選手でした。

フットワークよりも柔らかいボディーワークでパンチをかわすタイプで、スウェーで引き付けての右アッパーやストレートは芸術的でした。

そのスキルはメイウェザーにも影響を与えたのではないかと言われています。

相手のジャブの軌道をパーリングでずらし、カウンターを決めるという技を使ったりしていました。

1991年にIBF世界ミドル級王者になり、6回防衛。

1993年にはIBF世界スーパーミドル級王座を獲得し2階級制覇を達成。

トニーのキャリアのハイライトとも言えるこの試合は、3階級王者のアイラン・バークレーが相手でした。

バークレーはハーンズに2度勝ったことのある名チャンピオンです。

そんなバークレー相手にトニーは一方的な試合を展開します。

バークレーのパンチをいなし、的確にカウンターやコンビネーションを当てて続けます。

バークレーのパンチはことごとく空を切るがトニーのパンチは面白いように当たる…。

まさに、ボクシングの基本である”打たせずに打つ”を具現化した試合でした。

ラウンドを重ねるうちにバークレーの顔はみるみる腫れ上がり、9R終了バークレーの棄権によりトニーのTKO勝利で幕を閉じました。

その後は、1994年に歴史的な名ボクサー、ロイ・ジョーンズ・Jrに負けるまで46連無敗という記録を残しました。

なお、この試合でトニーは「減量が上手くいかず計量直前まで利尿剤や下剤を摂取しコンディションは最悪だった。」と語っています。

この辺りまでがトニーの全盛期だったのではないでしょうか。

以降、トニーは階級をライトヘビー級に上げマイナー団体での試合を繰り返します。

2003年には、IBF世界クルーザー級タイトルマッチで、オリンピック金メダル獲得経験のあるワシリー・ジロフに判定勝ちで3階級制覇を達成。

同年、ヘビー級に階級を上げ名ボクサー、イベンダー・ホリフィールドに9RTKO勝ちします。

2005年にはWBA世界ヘビー級タイトルマッチでジョン・ルイスに判定勝ちしますが、試合後にトニーのドーピングが発覚し剥奪されています。

2017年に引退、なんと42歳まで現役を続けました。

トニーは天才型と言われ元々運動神経がよく、アメフトで大学からスカウトされるほどでした。

しかし、練習嫌いが有名で調子にムラのある選手でした。たらればになりますが、ロイ・ジョーンズ戦もきちんと減量していれば、もっといい試合になったのではないかと思います。

26歳~35歳というボクサーとして一番重要な時期にマイナー団体で試合をしていたのが悔やまれます。

卓越したボクシングセンスを評価してのランクインとなりました。

9位 フリオ・セサール・チャベス

生年月日:1962年7月12日

チャベスはスーパーフェザー級、ライト級、スーパーライト級の3階級制覇王者、最高連続防衛12回、累計防衛28回です。

そのうちライト級はWBA・WBC、スーパーライト級はWBC・IBFで獲得、スーパーフェザー級は9連続防衛、スーパーライト級は12連続防衛、90戦無敗89連勝という凄まじい記録を持っています。

しかもその90戦はダウン無しというものでした。

チャベスはスピードはありませんでしたが、異常な打たれ強さとスタミナを活かしガンガン前に出てプレッシャーをかける選手でした。

このようなファイトスタイルで90戦ダウンなしというのはありえませんね。

打たれ強さやスタミナも凄まじいですが、テクニックもすばらしい選手でした。

フットワークやヘッドロールでのディフェンス、カウンター、レバーブローも上手い選手で、それでガンガン前に来るのですから相手としてはとても厄介だったでしょう。

ハイライトは1987年のエドウィン・ロサリオとの2階級制覇をかけた試合です。

ロサリオは後の2階級制覇王者の強敵です。

チャベスはダッキングで距離をつめ、レバーブローやオーバハンドでプレッシャーをかけ続けます。

ロサリオのパンチをダッキングやロープワークでかわし、多少の被弾は物ともせず頭をつけてガシガシ打ち続けました。

次第にロサリオの目は腫れ上がり、11RチャベスのTKO勝利となりました。

この試合はチャベスのディフェンス、タフネス、圧力などチャベスの強さがよく現れた試合でした。

ロサリオ、ラミレス、カマチョなど強敵に勝利、ウィテカーに引き分け防衛した点、複数階級制覇、90戦無敗の実績、打たれ強さとスタミナはもちろん、それだけに頼らないテクニックを評価しました。

8位 ロベルト・デュラン

生年月日:1951年6月16日

デュランはライト級、ウェルター級、スーパーウェルター級、ミドル級の4階級制覇王者です。

特にライト級での強さは別格で、71勝1敗という戦績でWBAライト級王座を12防衛しました。

その防衛の中には、日本でおなじみのガッツ石松さんもおり、歴代のライト級ボクサーでも最強として名が挙がる選手です。

”石の拳”と呼ばれる強打を武器に、アグレッシブで闘争心あふれるファイトスタイルでKOの山を築きあげました。

レナード、ハーンズ、ハグラーらと共に、黄金の中量級四天王と呼ばれ80年代の中量級を盛り上げました。

強打にばかり目が行きがちですがディフェンスやテクニックもあり、インファイトながら相手のパンチを外すのが得意な選手でした。

ライト級時代は、レイ・ランプキン等の実力者を相手に、10連続KOを含む11度の防衛。

初黒星を喫したエステバン・デ・ヘススに12RTKOでリベンジを果たし、WBA・WBC統一王者となります。

ハイライトは1980年のシュガー・レイ・レナード戦でしょう。

黄金の中量級四天王の一人、レナードが四天王の中で負けたことのある選手はデュランのみです。

デュランがWBCのウェルター級タイトルをかけて挑んだこの試合。

リーチ差は20センチでデュランが短く、下馬評ではテクニックやスピードでレナード有利だったこの試合は、デュランがレナードのスピードについていきプレッシャーをかけていきます。

2Rに左フック、4Rに右ストレートなど時折ビッグパンチをヒットさせ、レナードをぐらつかせます。

多少被弾しても打ち合いでは打ち勝つなどレナードを圧倒。

3-0の判定勝利をおさめました。

その後、レナードに負け、ハーンズやハグラーにも負けを喫しますが、デュランは四天王の中では小柄でライト級がベストな階級であったことを考えると不利であったとは思います。

戦績、ライト級での圧倒的な強さ、パンチ力だけに頼らないテクニック、闘争心の強さ、レナードに勝利した点を評価しました。

7位 マービン・ハグラー

生年月日:1954年5月23日

ハグラーは12連続防衛の元WBC・WBA・IBF3団体統一世界ミドル級王者です。12連続防衛のうち11KOです。

当時はWBOという団体はなく、この3つがメジャー団体だったため全団体統一王者になります。

ハグラーはもっと上の順位だろうと思う方も多いかもしれません。ミドル級では歴代最強との呼び声も高く、7位にするのが勿体ない選手です。

当時、同じく黄金の中量級と呼ばれていたレナード、デュラン、ハーンズのような派手な言動は好まず、現役時代は酒や煙草はもちろん、菓子やコーヒーすら口にしないストイックな生活を送っていました。

無駄のないボディ、そのキャラクターも個人的に非常に好きな選手です。

ハグラーの強さを一言で表すのは非常に難しいです。

右利きのサウスポーであるコンバーテッドサウスポーで、両手から放たれるパンチは強力で、テクニック、パワー、スタミナ、打たれ強さ、メンタル、抜けがなく全てのボクシングスキルがハイレベルです。

一度だけダウンを喫したことがありますが本人はスリップと言っています。

ハグラーは比較的早いキャリアで2敗しましたが、それ以降はレナードに負けるまで36連勝1分でした。

その1引き分けは、1979年WBA・WBC世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモとの世界初挑戦によるものでした。

翌年、1980年には同王者アラン・ミンターに3R1分45秒TKO勝ちでWBA・WBC世界ミドル級王者となりました。

1981年にはアンツォフェルモに4R終了時棄権によるTKO勝ちで雪辱をはたしています。

その後、1983年にウィルフード・サイピオンにKOを勝利しIBF世界ミドル級王座を獲得。3団体統一王者となります。

当時ライバルだったデュランに判定勝ち、ハーンズに3RKO勝ちをおさめます。ハーンズ戦は壮絶な壮絶な打ち合いでした。

レナードには判定2-1で破れましたが、この3人は歴代PFPでも名が上がるほどの名選手で、そのうち二人に勝利したことは評価されるべきでしょう。

この4人が同じ年代に近い階級にいたという贅沢な時代でした。

レナードとの試合では、レナード陣営はリングの広さ(より広く)、グローブの大きさ(8オンスから10オンス)、ラウンド数(15ではなく12)の変更を要求。

ハグラーにとって不利な条件でしたがハグラーは渋々受け入れた形でした。

レナードの判定に納得いかなかったのかハグラーはこの試合で引退を決めました。

当時32歳、まだまだ活躍できたと思いますが、その潔さもハグラーらしいのではないでしょうか。

層の厚いミドル級で全団体統一王者、ランキング1位やチャンピオン、強敵相手に12連続防衛11KO、全てがハイレベルなボクシングスキルを評価しました。

6位 シュガー・レイ・レナード

レナードはウェルター級、スーパーウェルター級、ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級の元5階級制覇王者です。

うち、ウェルター級はWBA・WBC統一王者で、オリンピックでは金メダルを獲得しています。

なお、スーパーミドル級とライトヘビー級の2階級については、ライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったので通常の5階級の価値とは異なるかもしれません。

レナードはウェルター級歴代最速とも言われるスピードで、フットワーク、ラッシュのハンドスピードは凄まじいものがありました。

スピードとテクニックは黄金の中量級四天王の中でも随一だったと思います。

また、四天王の中で全員に勝ったことのある選手です。

デュランには一度判定で破れますが、半年後すぐに再戦。

アウトボクシングでデュランにリードし続け8R、デュランが「ノーマス」と試合放棄。

レナードのTKO勝利となりました。

当時無敗のハーンズとはWBA・WBCウェルター級王座統一戦。

13Rまでリードを許したレナードですが、13Rにロープに押し込みダウンを奪い、14RにラッシュによるTKOで逆転勝利します。

その後、網膜剥離により引退しますが5年後に復帰。長いブランクの後に選んだ相手はあのハグラーでした。

前年にハグラーの試合を解説していたレナードは勝てると確信し、復活を決意したのでした。

僅差の判定勝ちでWBC世界ミドル級王座を獲得しました。

諸説あるとは思いますが、5階級制覇や黄金の中量級四天王に勝利したこと、当時圧倒的なスピードとテクニックを持ったボクシングスキルを評価してのランクインとなりました。

番外編1

ここで番外編として、今回ランキングの対象外とした1960年以前に活躍したレジェンドボクサー達を紹介します。

シュガー・レイ・ロビンソン

生年月日:1921年5月3日

ロビンソンはPFPの起源と言われている、2階級制覇王者です。

1940年代半ばにおいて、すでに現代のボクシング技術と比しても遜色のないリズミカルなフットワークやジャブ、左フックのダブル・トリプルコンビネーションなどを当然のように駆使した技術的先進性。

モハメド・アリやシュガー・レイ・レナードの先駆けともいえる華やかなボクシングスタイルとスター性。

そして同時代を生きた強豪とことごとくグローブを交え、そのほとんどを打ち破り、歴史に残る数々の名勝負、芸術的ノックアウトシーンを実現した圧倒的実力。

いずれをとっても史上屈指の万能な存在であり、前述のレナードをはじめ、後世の名選手達に多大な影響を与えました。

ジョー・ルイス

生年月日:1914年5月13日

ジョー・ルイスは8階級しかなく、団体も一つだった時代にヘビー級王座を25回連続防衛、11年間守り続けた選手です。

この記録は今も破られていません。

パワーだけでなく、正確でキレのあるパンチで69勝55KO3敗の戦績を残しました。

ロッキー・マルシアノ

生年月日:1923年9月1日

ロッキー・マルシアノは49戦49勝43KO、無敗の戦績で、ヘビー級では唯一無敗のまま引退した王者です。

その勝利の中には先ほど紹介したジョー・ルイスからの勝利も含まれます。

現代ならウェルター級で戦っていたであろう小さな体格ながら、強力なパンチを持った選手でした。

後編5~1位動画

5位 マイク・タイソン

生年月日:1966年6月30日

タイソンは元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者です。

また、史上最年少の20歳でヘビー級王者になりました。

タイソンはパワーもさることながらヘビー級ではあり得ないスピード、ボディへの打ち分け、ウィービングを主体としたディフェンス、打たれ強さを兼ね備えていました。

身長178センチとヘビー級としては小柄ですが、素早い踏み込みと下半身のバネを生かしたフックでKOの山を築きました。

ストレートを出すことはほぼなく、フックやアッパーが主体の選手です。

シャドーやサンドバッグ打ちを見ると異常なスピードが分かると思います。

パワーだけでなくスピードも異常で、ディフェンスも上手い選手でした。

ウィービングやダッキングで相手のパンチをかわし距離をつめ、飛び跳ねるようなフックで長身の相手にもパンチをヒットさせました。

タイソンのパンチがかすっただけで相手が倒れたりと全盛期は異質な存在でした。

畑山選手、八重樫選手、細川バレンタイン選手、小比類巻貴之選手などプロの格闘家も歴代PFPにタイソンの名を挙げる人が多くいます。

惜しむらくは、全盛期が非常に短かったことです。

タイソンが親のように慕っていたカス・ダマトから「絶対に近づくな」と言われていたプロモーター、ドン・キングと契約後は私生活でも面倒を見ていたビル・ケイトンやケビン・ルーニーを解雇し、練習も疎かになりかつての輝きは見られなくなりました。

この時期が1988年で、デビューした1985年からわずか3年での出来事です。

ボクシングへの情熱もなくなっていき、練習もろくにしていなかったこそうです。

以前のようなウィービングやステップワークは見られずパワーパンチに頼る選手になっていきました。

1990年にジェームス・ダグラスにKO負けし王座陥落。それまでは37勝33KO無敗と化け物レコードを誇っていました。

その後、1991年に暴行で逮捕され1992年から3年間服役となり、25歳という大事な時期から約4年間のブランクを作ってしまいます。

しかし、1996年にはWBC・WBA世界ヘビー級王座を奪還します。

かつての輝きがなく、4年間のブランクがあるにも関わらず再び王者に返り咲くところは潜在能力が高いということでもあると思います。

今回、全盛期のみでのランキングなら1位に選出したかもしれませんが、キャリア全体を見ると肉体的にはまだまだ衰えない23歳辺りから下り坂になったことを評価しての順位となりました。

自書では、現役時代にもドラッグやアルコールを摂取していたことを告白しています。

たらればになりますが、もしタイソンがボクシングに真面目に取り組み続けていたらとんでもない選手になっていたのではないかと想像してしまいます。

全盛期の戦績、圧倒的な身体能力、ボクシングスキルを評価しました。

4位 モハメド・アリ

生年月日:1942年1月17日

アリは元WBA・WBC統一ヘビー級王者で合計19度防衛、オリンピック金メダルを獲得した選手です。

知名度はおそらく歴代でもナンバーワンで、ボクシングに詳しくない人でも多くが知っている選手だと思います。

当時、パワーゴリ押しスタイルが全盛だったヘビー級で華麗なステップや素早いジャブでアウトボクシングを魅せ、革命をもたらしました。

アリの言葉「蝶のように舞い、蜂のように刺す」はあまりにも有名ですね。

当時のボクサーの動きと比べると明らかにアリが異質なのがわかり、技術レベルが抜きん出ていたのがわかります。

また、試合前に相手を挑発するトラッシュトークやビッグマウス、徴兵拒否や人種差別への反対運動などリング外でも話題に事欠かないスターでした。

現在では当たり前に行われる試合前のトラッシュトークやパフォーマンスもアリが多くの影響を与えたと思います。

ちなみに、金メダル獲得後、人種差別を受けメダルを川に投げ捨てたという有名なエピソードがありますが、本人曰くメダルを無くしたためについた嘘だったとのことです。

これもまた弁が立つアリらしいエピソードですね。

アリのキャリアの最初のハイライトはソニー・リストンとの世界タイトルマッチ。

当時史上最強のハードパンチャーと評価されたリストンに対しアリは絶対不利と言われていましたが、6R終了時TKO勝利。

ダイレクトリマッチで再びリストンを迎えますが1RKO勝利の完勝で評価を確かなものにしました。

その後、計9度の防衛を続けますが、1967年ベトナム戦争への徴兵の拒否や公民権運動をしていたアリは、ライセンス剥奪され王座も剥奪されてしまいます。

そして、無罪の判決が出る1971年まで3年7か月間のブランクを作ることになってしまいます。

25歳~28歳というボクサーとして重要な時期のブランクはかなりの痛手だったでしょう。

剥奪前の戦績は29戦無敗、9連続防衛中でした。

本来ならもっと偉大な記録を残していたと思います。

しかし、この行為がアリをボクサーの枠を超えたスターにしたとも言えます。

復帰後、ジョー・フレイジャーやケン・ノートンに負けを喫しますがいずれも2度勝利しリベンジを果たしています。

そしてアリが32歳の時、ジョー・フレイジャーやケン・ノートンを下していた41戦無敗の王者ジョージ・フォアマンに、絶対不利と言われながらも勝利し王者に返り咲きました。

この試合は”キンシャサの奇跡”と呼ばれ歴史に残る試合となりました。

その後、アリはこのタイトルを10連続防衛しています。

戦績、当時革命的だった技術レベル、不利と言われている試合での勝利、キャリア終盤を除いて負けた相手にリベンジを果たしている点を評価しました。

アリはボクサーの枠を超えて一人の人間としても評価されていた選手でした。

3位 マニー・パッキャオ

https://twitter.com/seijitruckyaro/status/1339224409299537920?s=20

生年月日:1978年12月17日

パッキャオはフライ級、スパーバンタム級、フェザー級、スーパーフェザー級、ウェルター級、スーパーウェルター級の6階級制覇王者です。

フェザー級ではマルコ・アントニオ・バレラ、スーパーライト級ではリッキー・ハットン(IBO)という、メジャー4団体王座を保持していないながらも世界最強と目された王者に勝利しているため、これらの2階級を加えて海外メディアでは事実上の8階級制覇王者として評価・紹介されることが多いです。

ウェイトの幅でいうと、フライ級~スーパーウェルター級という10階級という20kgのウェイトの幅で活躍しており、年齢においても10代、20代、30代、40代で世界王者になった、幅広いウェイトで長く活躍しています。

そして、2021年8月21日には27戦無敗IBF・WBC王者の強豪エロール・スペンス・ジュニアと統一戦を行うバリバリの現役です。

幅広い階級、幅広い年齢で活躍できているということは、それだけ幅広いボクシングスタイルに対応できたということでもあり、ボクシングスキルの高さの証明と言えます。

1995年にデビューし、42歳の2021年5月現在でも、休養王者ではありますが現役のWBAウェルター級王者であり、国会議員、バスケットボール選手兼ヘッドコーチの肩書を同時に持つ超人的な選手です。

ファイトスタイルは、特に初期はアグレッシブで多少の被弾を気にせず、パワーパンチを活かしてインファイトで攻め立てる選手でした。

2000年代からは新しいトレーナーのフレディ・ローチの影響からか後期になるに連れ無駄な動きが減り、ステップでかわすディフェンスが上手くなっていきました。

無尽蔵のスタミナで、ラウンドを重ねてもそのステップは衰えませんでした。

いずれも、相手から逃げずに打ち合う見ていて楽しい選手で、速い踏み込みからの体重が乗った左ストレートは、伸びもよくスウェーでかわそうとした相手にもよくヒットしていました。

パッキャオが評価されるべき点は、強敵とも積極的に対戦している点です。

バレラ、マルケス、モラレス、デラ・ホーヤ(・で区切らないように読む)、モズリー、メイウェザーと名だたる選手と対戦しています。

特にメイウェザーとの対戦は惜しくも破れましたが、両者のファイトマネーが合わせて300億円以上とも言われ、歴史的なビッグマッチでした。

また、バレラ初戦やデラ・ホーヤ戦ではパッキャオ不利の下馬評を覆しKO勝利をしています。

そして42歳となった今でも強豪相手にタイトル戦を行っているのです。

ボクシングスキル、前代未聞の実績、強敵との対戦や不利と言われている相手への勝利、年齢を重ねても高いレベルを維持している点を評価しました。

2位 ロイ・ジョーンズJr

生年月日:1969年1月16日

ロイはオリンピック銀メダル、ミドル級~ヘビー級の4階級王者で、最高連続防衛数7回、累計防衛数34回、ミドル級出身でヘビー級の王座を獲得した史上2人目の選手です。

1989年から2018年の49歳まで29年間現役を続けた息の長い選手でもあります。

運動神経のおばけみたいな選手で、バスケットボールのプロリーグで試合をしていたこともあり、バスケットボールの試合後に防衛戦をして勝つという信じられないエピソードもあります。

重量級ながら圧巻のスピードで運動神経と反射神経を生かしたステップ、ボディワークや的確なパンチや高速のコンビネーション全てがハイレベルなボクシングスキルでした。

特にハンドスピードは驚異 的で相手がパンチを打てば数発カウンターを決め、更にコンビネーションを追撃するなど、ロイだけ違うスポーツをしているようでした。

また、試合中に相手を挑発したり余裕を見せて試合を盛り上げる選手で、試合中に後ろに両手を組みパンチをかわし、カウンター一閃、相手を沈めたシーンはとても有名です。

瞬発的な踏み込みからノーモーションで放たれるパンチは避ける術もなく、衝撃的なKOシーンをいくつも作りました。

また、超人的な反射神経を活かしたディフェンスも圧巻でした。

アントニオ・ターバーに敗れるまで50戦49勝1敗。

1敗はモンテル・グリフィン戦で優位な試合展開の中でダウンを奪い追撃による反則負けで、ダイレクトリマッチで1RKO勝利しています。

ですので50戦までは実質無敗と言ってもいい強さを誇っていました。

当時は圧倒的な強さで同階級のはライバルがいないと言われ、ヘビー級まで階級を上げました。

重量級は軽量級よりもウェイト幅が大きく、ミドル級からヘビー級までは20kg以上の体重差があり、4階級ではありますがパッキャオ並のウェイト幅で王者になっています。

ロイは身長180センチとヘビー級にしては小柄でタイソンのように分厚い身体ではありません。

そんなロイがヘビー級で王者になったことは快挙と言えるでしょう。

また、ホプキンス、トニー、マッカラムなどの強豪にも勝利しています。

戦績、圧倒的な運動神経、幅広いウェイト幅での活躍、ボクシングスキルを評価しました。

番外編2

ここで、泣く泣くこのランキングに入れなかった選手を紹介していきます。

パーネル・ウィテカー

ウィテカーは元WBA・WBC・IBF統一世界ライト級を含む4階級制覇王者です。

KO率は高くありませんが、オリンピックでも金メダルを獲得した天才的にディフェンスの上手い選手です。

ディフェンスの上手さは歴代でもトニーと並んで随一ではないでしょうか。

いくつかの判定での負けも現代の基準であれば勝ちだったのではないかという微妙なものでした。

トーマス・ハーンズ

ハーンズはこのランキングでも紹介した黄金の中量級四天王の一人で史上初の5階級制覇王者です。

漫画”はじめの一歩”に出てくる間柴了のモデルと言われていて、

長いリーチから放たれるフリッカージャブが特徴で、デュランを2RKOで下した右ストレートは”ラスベガス恐怖の一撃”と呼ばれ伝説となっています。

ナジーム・ハメド

ハメドは元IBF・WBO・WBC世界フェザー級王者で37戦36勝31KO1敗の戦績を持つ選手です。

ハメドは歴代PFPランキングではあまり名が上がらない選手ですが、個人的に大好きな選手です。

だらりと両手を下げ相手を挑発し華麗に相手のパンチをかわしたと思ったら、一瞬で踏み込んで距離を詰めパンチを当てKOするなど、変則的なスタイルにも関わらず連勝を続けていました。

エドウィン・バレロ

バレロは元2階級世界王者で、27戦27勝27KOと驚異の戦績を持つ選手です。

バレロもハメド同様、歴代PFPランキングではあまり名が上がらない選手ですが、異質な選手だったので紹介します。

バレロはベネズエラ国籍でありながら日本のジムに所属し日本人に馴染みのある選手でした。

デビューから18戦連続1RKOを誇り、その後も連続KO勝利を重ねました。

しかし、2010年に妻を殺害し逮捕されるというショッキングな結末で28歳という若さで人生を終えました。

このまま生き続けていたらどんな選手になったのか気になる選手でした。

ワシル・ロマチェンコ

ロマチェンコは3階級制覇王者で2021年5月現在も現役の選手です。

アマチュアで397戦396勝1敗という圧倒的な戦績をほこり、華麗なステップワークなど圧倒的なボクシングスキルを持つテクニシャンです。

2020年10月のロペス戦での負けがなければ今回10位にランクインしていたかもしれません。

リカルド・ロペス

ロペスは前回の歴代PFPランキング前編動画のコメントにも寄せられていた選手で、ミニマム級とライトフライ級の元王者でアマチュア戦績40戦全勝、プロ戦績52戦51勝1引き分けの無敗の選手です。

そして、プロキャリアは半分が世界戦であり51戦のうち37KOと軽量級にも関わらず高いKO率の高さを誇っています。

連続防衛は21度、26連続世界タイトル戦で1引き分けをはさみ連勝した軽量級ではローマン・ゴンサレスと並んで歴代最強でも名が挙がる選手です。

井上尚弥

井上選手は当チャンネルの”日本人歴代最強ランキング”でも紹介しました。

20戦無敗の3階級王者で、日本のボクシングファンには説明が必要ないほどの日本人歴代最強の選手です。

20戦17KOという高いパンチ力を武器にディフェンス、テクニック、ボクシングIQなど全てが高いレベルで、ダウンはおろかパンチを効かされた場面が1回しかないという圧倒的な強さを誇っています。

リング誌のPFPランキングで日本人最高の2位を獲得しており、日本人としてどこまで名を残せるのか今後が楽しみな選手です。

1位 フロイド・メイウェザーJr

生年月日:1977年2月24日

メイウェザーはオリンピック銅メダル、プロ50戦50勝、スーパーフェザー級~スーパーウェルター級の元5階級王者です。

ウェルター級ではWBA・WBC・WBO・IBF、スーパーウェルター級ではWBA・WBCで王座を獲得しています。

最高連続防衛回数8回、累計防衛回数は23回です。

史上初めて無敗のまま5階級制覇を達成し、その記録は今も破られていません。

キャリア後半は判定が多くディフェンシブなスタイルですが、判定勝利も重要な勝利として考えた場合、ボクシングという競技においてもっとも強いのはメイウェザーと判断しました。

メイウェザーといえばディフェン シブなイメージが強いですが、キャリア序盤のスーパーフェザー級時代はむしろKO勝利が多く、ハンドスピードを生かしたコンビネーションでKOを重ねました。

ウェイトに合わせてスタイルを変えていった適応力の高さと言えると思います。

驚異的な反射神経とテクニックでパンチをかわし、それでいて的確にカウンターを当てていく、徹底的に”打たせずに打つ”を繰り返す選手です。

L字ガードでのショルダーロール、パンチアンドロール、ロープワーク、パリング(相手のパンチの軌道を腕で変える)を用いたディフェンスにより、50戦のキャリアでクリーンヒットを受けた数は数えるほどです。

生涯ダウンは自身の拳を痛めてリングに手をついての一回と、ダウン判定はされませんでしたが一瞬リングに手をついての実質的なフラッシュダウンが一回のみです。

深刻なダメージをおってのダウンはありません。

パンチを誘い、上半身だけで相手のパンチをギリギリでかわし、ノーモーションのストレートを当てるプルカウンター、そしてパンチアンドロールはもはや職人芸でした。

勝ちに徹することができ、試合運びや対処能力も優れていました。

マイダナ戦ではパワーパンチやマイダナのラフファイトに苦しめられ2-0の判定で辛勝しながらも、ダイレクトリマッチではマイダナを封じ込め3-0の判定勝利をおさめています。

苦戦をしながらも適応力の高さを見せました。

総合的なボクシングスキルではやはりメイウェザーが頭ひとつ抜けているのではないかと思います。

試合前のメイウェザー陣営の、相手への嫌がらせとも取れる駆け引き、有利な状態での対戦相手の選び方など、嫌われる要素やアンフェアと捉えられる要素もありますが、それだけ勝ちにこだわっていた選手でした。

その強気な言動やキャラクターからは想像つかないほど努力家でもありました。

自他共に認める練習量で、早朝に起きトレーニングを始め、毎日20km(キロ)走りこんでいたそうです。

このランキングでも10位に入り、同じL字ガードを多用し天才的なディフェンスを見せていたジェームズ・トニーはセンスがあるものの練習嫌いで有名でしたが、メイウェザーは抜群のセンスに加え練習好きで有名でした。

様々なボクサーに密着していた記者が、メイウェザーが断トツで練習量が多かったと言っているほどで、

「お前が遊んでる時、俺は練習している。お前が寝ている時、俺は練習している。お前が練習している時、もちろん俺も練習している。」

という自身の名言を残しました。

コラレス、デ・ラ・ホーヤ、ザブ・ジュダー、当時無敗のハットン、マルケス、モズリー、カネロ、パッキャオなど数々の競合と戦い勝利しました。

微妙な判定勝ちであったホセ・ルイス・カスティージョにも再戦し3-0の判定勝利しました。

ここで、メイウェザーのキャリアのハイライト3つを紹介します。

1つ目はデラ・ホーヤ戦です。

2007年に、当時史上初の6階級制覇王者であるデラ・ホーヤ相手に行われたこの試合は”世紀の一戦”と言われ、当時の史上最多の240万件のPPV(ペイパービュー)売り上げを記録しました。

メイウェザーにとって初めてのスーパーウェルター級での挑戦となりますが、デラ・ホーヤのパンチをいなし判定勝利。

アグレッシブな試合ではなく、デラ・ホーヤは負けが込み始めたキャリア終盤ではありましたが、初めてのスーパーウェルター級で偉大な王者に勝利しました。

2つ目はサウル・アルバレス(通称カネロ)戦です。

事前に両選手間の話し合いで決められた体重であるキャッチウェイトで行われ、通常より2ポンド少ない規定体重のスーパーウェルター級ではありますが、後のPFP1位、4階級制覇、当時無敗のカネロ相手に一方的に試合を展開します。

カネロの強打はことごとく空を切り、メイウェザーは的確にカウンターを決め判定勝利をおさめました。

3つ目はマニー・パッキャオ戦です。

パッキャオはこの動画でも紹介したとおり歴史的な偉大な王者で、長年に渡りようやく実現したこの試合は歴代最高の460万件のPPVを記録。

試合はメイウェザーがパッキャオのいいところを出させず、3-0で判定勝利。

両者のファイトマネー総額は300億円以上とも言われ、ボクシングの枠を超えスポーツ史に残る一戦となりました。

ディフェンシブな戦い方に批判が集まりがちなメイウェザーですが、スキを見せないその徹底的に勝ちに徹するところこそがメイウェザーの強さなのではないでしょうか。

よりアグレッシブさを評価していた昔の判定基準ではメイウェザーは勝てない、という考えもあるかもしれませんが、メイウェザーならその時代の基準に合わせ適応していたと私は考えます。

戦績、圧倒的なボクシングスタイル、ボクシングIQ、偉大な選手への勝利、勝利への徹底を評価しました。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

自分が思っているランキングと違う、なんであの選手が入っていない?と思った方も多いと思います。

元々比較の難しいランキングであり、戦績、単純なボクシングスキル、戦ってきた相手、功績、KO率など何を基準にするか、個人の好みによっても大きく変わると思います。

是非皆さんの考えるPFPランキングもコメントで教えて下さい。

動画一覧

日本人歴代PFPランキング

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