格闘技において、反則など胸くそ悪い試合は多くありますが、今回は逆に胸糞いい感動スカッとする試合を紹介します。
【格闘技】胸糞いい試合6選
パータ・チャペリア vs アーカディウス・ウロブリュスキ
この試合は、ドイツで行われた総合格闘技の試合です。
試合が始まると、両者しばらく距離をおいて牽制しますが、ウロブリュスキがオーバーハンドの右を思い切り空振りすると、左肩を抑え何やら違和感を覚えている様子。
その後も左腕を振りながら痛みを感じている様子のウロブリュスキ。どうやら左肩を脱臼してしまったようです。
試合中に隙きを見せるウロブリュスキですが、チャペリアは攻撃せず両腕に腰を当て眺めるだけです。
試合を中断しないレフェリーに指示を出して、ウロブリュスキの様子を見させます。
ルール上チャペリアは違反は行っておらず、ウロブリュスキが勝手に脱臼をしただけなので、攻撃をしても問題はありません。
実際、UFCでのジョゼ・アルドvsジョン・チャンソンの試合では、チャンソンが同じように自らの右ストレートで右肩を脱臼したところ、アルドが左ハイ、左フックで容赦なく攻撃、TKO勝利を収めました。
しかし、チャペリアは試合を止め、ウロブリュスキの回復を促したのです。
そしてチャペリアは、しばらく痛がっているウロブリュスキに近づくと、なんとウロブリュスキの左腕を引っ張り、外れた関節を戻したのです。
この行為に客席からは大歓声。実況も大興奮でチャペリアを称えました。
両者笑顔でグローブタッチすると試合再開、再び全力で戦います。
その後、チャペリアが身長差をものともせず、フックを効かせKO勝利で幕を下ろしました。
相手の弱点を攻撃せず、試合を中断させ、さらには自ら相手の脱臼を治した上でのKO勝利。
全てに非の打ち所のない勝利でした。
ネイマール・パエミンバリーvsソー・ソラバサナ
この試合はカンボジアで行われたムエタイの試合です。
2R、ソラバサナの右肘がパエミンバリーの顎に直撃。失神し、力なく後方に倒れるパエミンバリーですが、イネイアドレフェリーは瞬時にパエミンバリーと一緒に倒れ込みながら、パエミンバリーの頭を右腕で支え、後頭部がキャンバスに打ち付けるのを防いだのです。
格闘技における危険な倒れ方として、後方に倒れて後頭部をキャンバスに打ち付けるというものがあります。
しかし、レフェリーのとっさの判断、身のこなしでそれを防いだのです。
このレフェリーの行動がなければ、ソラバサナはさらなるダメージを受けていたでしょう。
この試合を伝えたロシア放送局は
「レフェリーのイネイアド氏が体を投げ出し、後頭部を強打しそうなところを救った。救われていなかったら、ノックアウト以上のトラウマになっていただろう。特に格闘技において、レフェリングは報われない仕事だ。試合をストップさせるのが早すぎた、または遅すぎたなどとファンからよく批判を受けるからだ。しかし、今回の選手を守った行為を否定する者は誰もいないだろう」
と、締めくくりました。
単純な素晴らしいKOシーンではなく、イネイアドレフェリーの見事な判断により格闘技において不必要なダメージを防いだ試合でした。
西岡利晃 vs ジョニー・ゴンサレス
2009年行われたこの試合は、当チャンネルの”感動・泣ける試合ランキング”動画でも紹介した、WBC世界スーパーバンタム級タイトルをかけたボクシングの試合でした。
チャンピオン西岡選手の2度めの防衛戦でしたが、西岡選手のアウェイであり、ゴンサレスのホームであるメキシコでの開催です。
日本人のアウェイでの防衛成功は、24年前の渡辺二郎ただ一人です。(当時)
ゴンサレスにとっては初の2階級制覇をかけた試合でした。
ゴンサレスはアメリカでもビッグマッチを戦うなど、世界的な知名度と人気は西岡選手を遥かに上回るスター選手で、その人気から、挑戦者ながらホームのメキシコでの開催となりました。
当時、メキシコでは豚インフルエンザが大流行しており、一時試合の中止も危惧されましたが、西岡選手はメキシコで戦う決断をしたのです。
多くの人がこの極東の選手がスターのゴンサレスに、ましてやアウェイで勝てると思っていなかったでしょう。事実、ゴンサレスが勝つことを前提に、この日の前座で戦ったメキシコのラファエル・マルケスとの、メキシカン対決を期待する声が多く挙がっていたのでした。
西岡選手がコールされると地元のファンから強烈なブーイングが飛びます。
しかし、西岡選手にとっては5度目の挑戦でやっと掴んだ世界タイトル。手放すわけにはいきません。
試合が始まると1R、日本のファンにとっては受け入れたくない展開になります。
立ち上がり緊張からか硬さのあった西岡選手は2分すぎ、右をもらいダウンを喫してしまいます。
やはり、ゴンサレスが順当にベルトを巻くことになるのか、そう思わせる1R でした。
しかし、2Rから徐々に調子と取り戻した西岡選手は3R、やや右にステップしてからの左ストレート一発。王者の左がゴンサレスの顎をとらえると、ゴンサレスは後ろからバタンとキャンバスに倒れ込みます。
試合を終わらせるには充分すぎるクリーンヒット。西岡選手はたった一発で逆境をはねのけたのでした。
この衝撃的なKO劇にメキシコのファンは、勝利者「ニシオカ」がコールされると拍手で称えました。
この試合はWBCの年間ベストKO賞を受賞しました。
そして、この物語はここで終わりではなかったのです。
2年後の2011年4月8日、今度はジョニー・ゴンサレスがWBC世界フェザー級タイトル、悲願の2階級制覇をかけて、長谷川穂積選手と日本で戦うことが決定しました。
しかし、この時の日本は東日本大震災から1ヶ月も経っていない時で、原発事故の問題もあり多くの外国人が来日をキャンセルしていたのです。
この試合も、中止もやむを得ない状況でした。
しかし、ジョニー・ゴンサレスは言いました。
「長谷川と戦って日本の人達を元気づけたい。いつものように試合を行えば『日本は大丈夫』という正しいメッセージが世界に伝わるだろう」
「豚インフルエンザがメキシコを完全に荒廃させていた時、西岡利晃が防衛戦のためにメキシコを訪れ、私と戦ったことを決して忘れない。私も同じようにモチベーションと誇りをもって戦う」
と。
そして、試合では4R右フックでTKO勝利を収め、西岡戦で叶わなかった悲願の2階級制覇を達成したのでした。
この年WBCは、ゴンサレスを”模範的なチャンピオン”として選出しました。
この2つの試合は、逆境をはねのけた西岡選手の根性と、西岡選手からメキシコで受けた男気を日本で返したゴンサレスの男気に、心揺さぶられる物語でした。
チャド・ジョージ(Chad George) vs マーク・ヴォーギース(Mark Vorgeas)
2015年に行われた総合格闘技のこの試合は、1R、柔術をバックボーンとしているチャド・ジョージが裸絞(はだかじめ)をマーク・ヴォーギースに極(き)めます。
しばらくすると、ヴォーギースの左腕が力なく下がり、脚が脱力した様子がわかります。おそらくこの時点でヴォーギースは失神していたのでしょう。
するとジョージはすぐに自ら裸絞を解き、審判にヴォーギースが失神しているので早く止めるよう促します。
ジョージはブラジリアン柔術の世界選手権で優勝しているほど寝技に長けた選手で、その経験からヴォーギースが失神していることをすぐにわかったのでしょう。
しかしヴォーギースが動いたこともあって、レフェリー様子を見て中々試合を止めません。
すると今度は、ジョージが離れ完全に失神していることをアピールします。
ジョージが「彼は落ちている!」と叫ぶと同時に、レフェリーは試合を終わらせました。
絞め技の場合、選手が失神していてもレフェリーが気づかないことも珍しくありません。
そんな場合、選手は失神した状態で締められ続け非常に危険です。
かといって不用意に止めれば、極(き)まっていないのに試合を終わらせてしまうミスジャッジになってしまいます。
極めている側も技を解けば、相手が完全に落ちてなければ反撃をくらってしまうリスクのある行為です。
そんな中、正しい判断で相手へのダメージを最小限に試合を終わらせた、美しい一本勝利でした。
渡辺二郎vs尹石煥(ユン・ソクハン)
1984年に行われたこの試合は、二郎選手のWBC世界スーパーフライ級のタイトルがかけられた4度目(WBAを含めると11度目)の防衛戦です。
しかし、この物語は4年前の金喆鎬(キム・チョルホ)戦から始まります。
二郎選手といえば裏社会との繋がりが有名ですが、実力は確かです。
プロになる前、日本拳法の世界選手権で4位となっていた二郎選手は、その格闘技センスから24歳プロデビューながらわずか2年で無敗のまま世界タイトルに挑戦します。
相手は韓国の金喆鎬。開催地は韓国です。
アウェイでのタイトルマッチは、地元贔屓ないわゆるホームタウンディシジョンが働き、難易度はかなり高いと言われています。
平仲明信選手が初めてタイトル挑戦した際も、ホームタウンディシジョンにより王座(おうざ)獲得はなりませんでした。
韓国、タイ、メキシコなどは特にホームタウンディシジョンが強いと言われています。
試合前、金(キム)がコールされると割れんばかりの歓声が上がります。しかし、二郎選手がコールされると一斉にブーイングが起こります。
この試合が始まると、会場に韓国の応援団の合唱が響き渡ります。
この異様な空気の中、3R二郎選手が右で金をぐらつかせ(10:40)、金は手がつきダウンしたようにも見えますがダウン判定にはならず、もちこたえます。
その後も二郎選手が的確にパンチを当てていきますが、後半に失速。
二郎選手優勢と思われましたが、ジャッジ3人とも1点差で金を支持し、3-0の判定で金の勝利となりました。
日本であれば勝っていただろうと言われたこの試合は、アウェイで判定で勝つことの難しさを知らしめました。
そして、二郎選手は思ったでしょう、『アウェイで勝つにはKOするしかない』と。
そして、二郎選手は1年後にWBA、3年後にWBCのスーパーフライ級王座を獲得。4年後のWBC4度目の防衛に迎えたのが尹石煥(ユン・ソクハン)です。
本来は、張(ちょう)が出場の予定でしたが病気により尹が代わりに出場となりました。
この時、金喆鎬はすでに引退しており、奇しくも尹は金が引退後に設立したジムのボクサーでした。
二郎選手にとって雪辱の対決ですが、開催は再びアウェイの韓国で挑戦者を迎えます。
この試合に勝てば、日本人初のアウェイでの世界タイトル防衛になります。
勝負は試合前から始まっていました。二郎選手が泊まったホテルの上階で深夜に工事をされたり、控室には12月にも関わらずストーブが用意されていませんでした。
しかし、アウェイの厳しさを学んでいた二郎選手はストーブを持参し寒さをしのいだと言います。
「きっちりKOしてきますわ」と報道陣に告げ入場した二郎選手はブーイングで迎えられ、コールされると前回同様激しいブーイングが起こります。
異様な空気ですが二郎選手はどこ吹く風といった顔です。
相手セコンドには、あの金がいます。
試合が始まり、尹がパンチを振るっていけばヒットしていなくても歓声が沸きます。
しかし、二郎選手は冷静でした。1R、尹の打ち終わりに右フックを合わせダウンを奪います。
そして2R、前に出てくる尹に左のカウンターを決め、尹は大の字にキャンバスに倒れ込みます。
テンカウントで立ち上がれなかった尹ですが、レフェリーは試合を続行します。
終盤には、再び右フックのカウンターで尻をつかせますが、尹は立ち上がりゴングに救われます。
そして3R、尹が果敢に前に出ます。すでに3度のダウンを奪われている尹ですが、その根性とタフネスさには驚かされます。
3R、4Rと尹がビッグパンチを放つたびに歓声が沸きます。
このまま尹の流れになってしまうのかと思われた5R、二郎選手が打ち終わりに右フックを合わせ返しの左をヒット。グラつかせるとすかさずラッシュをかけダウンを奪います。
立ち上がる尹ですが、更に追撃されダウン。この試合、実に5回目のダウンです。
現代であればとっくに試合終了でしょうが、尹が立ち上がり試合続行。
フラフラになりながらもクリンチでしのぐ尹。しかし、またしても二郎選手が右のカウンターを決めると、尹たまらずダウン。
レフェリーもさすがにすぐに試合を止めました。
本来なら2Rで試合終了していましたが、地元贔屓の試合続行にも負けず、きっちり宣言通りKOで決めた二郎選手。
4年前、屈辱の敗北を喫した金の教え子尹に、アウェイで豪快なKO勝利で雪辱を果たすとともに、日本人初のアウェイでの世界タイトル防衛に成功したのでした。
青木真也vs長島☆自演乙☆雄一郎
2010年12月31日に行われたこの試合は、当チャンネルの”【格闘技】胸くそ悪い試合”動画のコメント欄でも多く挙がっていて、”舐めプしたらボコられた試合”動画でも紹介した試合です。
総合の選手である青木選手と、キックの選手である雄一郎選手は、1Rはキックルール、2Rは総合ルールで戦うというミックスルールで行われました。
この同じ試合のなかで、ラウンドによってルールが変わるミックスルールは、今でこそ珍しいですが当時はよく行われていました。
試合が始まると青木選手が執拗に組み付き、クリンチを繰り返します。
1R中盤になると、ドロップキックや飛び蹴りなどを繰り返し、あからさまな時間稼ぎをし、会場はざわつき始めます。
会場の空気も、レフェリーからの注意もなんのその。
試合前の会見で、「2Rになったら、(雄一郎選手は)五体満足で帰れないと思うんで」と語っていたとおり、青木選手はこの不利なラウンドをギリギリのルール内で逃げ切り、得意な総合ルールの2Rで仕留めるつもりです。
この展開に解説を務めていた魔裟斗さんは「こんな戦い方するならキックルール受けんなって言いたいですね」と怒り心頭でしたが、須藤元気さんは「空気が読めないとこが最高っすね!テンション上がるなあ」とはしゃいでいました。
そして、青木選手は思惑通りそのまま1Rを逃げ切ったのです。魔裟斗さんは「乙選手、パンチでぶっ倒してほしいね」とあからさまに雄一郎選手を応援していました。
そして、青木選手が待ち望んでいた2Rのゴングが鳴ります。
決着は一瞬でした。
2R開始早々、青木選手がタックルに行くと、雄一郎選手が右膝をカウンターで合わせ、青木選手は失神。
雄一郎選手がパウンドを連打すると、レフェリーがすぐに試合を止めました。
露骨な時間稼ぎをしてまで、得意な2Rに持っていった青木選手。しかし、その2Rは自身の失神により一瞬で終わらせてしまいました。
この劇的な展開に会場は大歓声。魔裟斗さんは「偉い!乙!よくやった!」とスタンディングオベーションで雄一郎選手を称えました。
ちなみに、このとき青木選手が脱糞をしたという噂が流れていましたが、本人が直接否定しています。
日本屈指のMMAファイターの青木選手ですが、伝説に残る試合を数多く残しており、愛すべきキャラクターではないでしょうか。
おわりに
最後までご覧いただき誠にありがとうございます。
今回紹介した試合以外にも、”胸糞いい試合”があるかと思います。
ぜひ、コメント欄にて皆さんの好きな胸糞いい試合”を教えていただけたら嬉しいです。
今後も格闘技に関する動画を投稿していくので、ぜひチャンネル登録よろしくおねがいします。
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