【格闘技】ダウンの応酬となった試合

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【格闘技】ダウンの応酬となった試合

リアム・ハリソン vs ムアンタイ・PK・センチャイ

わずか2分半で起きたダウンの応酬、大逆転。漫画のような展開が起きました。
それはリアム・ハリソン vs ムアンタイ・PK・センチャイ、グローバルムエタイルールの試合での出来事です。

ムアンタイは28歳のムエタイ200勝の戦績を持つ元世界王者で、今回は約2年ぶりの試合です。
一方ハリソンは36歳で、格闘技団体ONEでムエタイ勢としのぎを削ってきたベテランです。

試合が始まると、ムアンタイが強烈な蹴りとパンチでプレッシャーをかけていきます。
そして1分、ムアンタイが素早い左ハイを放つとハリソンがダウンします。

ガードをしていたハリソンでしたが、強烈なムアンタイの左ハイはガードの上からでも威力抜群でした。

立ち上がったものの、すぐにムアンタイの左のカウンターをくらい再びダウン。
かなりダメージがありそうです。

試合開始早々、立て続けにニ回のダウン。
見ていた人たちは、あとはムアンタイがフィニッシュするだけだ、と思っていたでしょう。
しかし、ここからハリソンの怒涛の反撃が始まるのです。

立ち上がったハリソンに、ムアンタイがつめ、試合を終わらせにかかります。
意を決したかのように打ち合いに出るハリソン。

ムアンタイの左に今度はハリソンがカウンターを決め、膝が折れたムアンタイに左フックを追加しダウン。
ついさっきまでハリソンが倒れていたマットにムアンタイが崩れ落ちます。

立ち上がるムアンタイですが、足元が定まっていません。
ラッシュをかけるハリソンに必死に抵抗しますが、再びダウン。

試合開始わずか2分で、互いに2度のダウンを奪い合うというとんでもない状況です。
再開されると、再びハリソンがラッシュをかけます。
つい1分前までKO寸前だったとは思えません。
そしてムアンタイは耐えきれずダウンし、試合終了。

1R2分19秒TKOでハリソンの勝利。
わずか2分19秒に5度のダウンと同時に、奇跡の大逆転劇が生まれたのです。

勝利者コールでは興奮気味のハリソンを横目に茫然自失のムアンタイ。

ハリソンは試合後
「瞬きしたら床に倒れていた。立ち上がり、また床に倒れこんだ。俺はリーズの荒れた地域の出身。
“戦争に行くんだ”と目が覚めた。失うものは何もない。
相手が倒れるか、俺が倒れるか、最後まで戦い続けたんだ」
と語りました。

ハリソンはこの勝利で、傑出した勝者に贈られる5万ドルの勝利ボーナスを上回る10万ドルのボーナス支給されました。

ホセ・セペダ vs イバン・バランチェク

「まるでロッキー映画」と言われた壮絶な打撃戦、ホセ・セペダ vs イバン・バランチェク、ボクシングの試合を紹介します。

2020年におこなわれたこの試合は、WBC世界スーパーライト級挑戦者決定戦で、ホセ・セペダはWBC同級2位、イバン・バランチェクは元IBF同級王者でした。

試合は1Rから大きく動きます。
序盤はバランチェクが前に出てプレッシャーをかけ、セペダは距離をとる展開が続きます。

しかし1分半過ぎ、バランチェクのカウンターがかすりセペダダウン。

セペダはすぐに立ち上がり、それほどダメージはないようです。
しかしラウンド終了間際、打ち合いの中で被弾し再びダウン。

立ち上がり再開された直後に1R終了。
1R早々、ニ度もダウンを奪われたセペダは挽回したいところです。

2Rも1R同様、プレッシャーをかけるバランチェクにセペダがカウンターを狙う展開になります。

そしてセペダが左の打ち下ろしをヒットし、今度はバランチェクがダウンします。

立ち上がったバランチェクにラッシュをかけるセペダ。
しかしコーナーにつめ仕留めようとした瞬間、バランチェクのカウンターがヒットし、セペダがダウンを奪われます。

まさにシーソーゲームといった展開です。

そして3Rも前に出るバランチェクとカウンターを狙うセペダ。
当たれば一撃でダウンを奪うバランチェクのパワーパンチを慎重に外し、細かくカウンターを当てていきます。
そして打ち合いの中で正確にヒットしていきダウンを奪います。

これで奪ったダウンは2回同士で並びました。
しかしセペダは2Rのように倒しにはいかずゴング。

4Rも同じ展開になり、1分半過ぎにバランチェクのアッパーがヒットしますが、セペダは倒れずクリンチでしのぎます。
そして大ぶりになったバランチェクにカウンターのアッパーをヒットさせ、細かくショートを当てていき最後は左フックでダウンを奪ってみせます。

しかしこの試合はここで終わりません。
バランチェクが立ち上がり、続く5R。

細かくカウンターを当てていくセペダですが、前に出続けるバランチェクのプレッシャーに疲れが見え始めます。

そして5R残り40秒、バランチェクのオーバーハンドをくらいダウン。
この試合セペダは4回目のダウンですがダメージは深くないようです。

そして、両者見合う時間が続くとセペダがカウンターを決め、今度はバランチェクがダウン。
なんというシーソーゲームでしょう。

完全に効かされバランチェクは失神。レフェリーは試合を終わらせました。

5Rの間に生まれたダウンは実に8回。
しかも両者4回ずつという、まさにダウンの応酬です。

この死闘は世界タイトルマッチではありませんでしたが、2020年のファイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。

高橋ナオト vs マーク堀越

続いては国内のタイトルマッチでありながら、”Number読者が選ぶ ボクシング伝説の激闘ランキング国内編”で2位に選ばれた、ボクシングファンの間で未だに語り草になっている伝説の試合を紹介します。

高橋ナオト vs マーク堀越、1989年に行われた日本ジュニアフェザー級タイトルマッチです。

チャンピオンのマーク堀越選手はアメリカ・カリフォルニア州出身の黒人ボクサー。
青森の米軍三沢基地に勤務しながらボクシングジムに通い、1984年にプロデビュー。
1987年に日本ジュニアフェザー級タイトルを獲得し、6連続KO勝ちを続け、WBA世界ランキング6位に名を連ねるハードパンチャーでした。

一方、挑戦者の高橋ナオト選手は高校時代に新人王を獲得し、1987年にデビュー11連勝で日本バンタム級タイトルを獲得。減量苦からジュニアフェザー級に転向し、日本ランキング1位の指名挑戦者としてマーク選手に挑みます。
卓越したカウンターパンチを持ち、日本のボクシング冬の時代における期待の星でした。

年齢はマーク選手の方が6歳上でしたが、ボクシングキャリアはマーク選手が18戦17勝13KO1敗、高橋選手が17戦15勝10KO2敗でほぼ同じ。
人気・実力を兼ね備えた両雄の対決は日本テレビ系列で、日本タイトル戦としては異例の生中継が行われるほど注目度の高い試合でした。

1R、試合が始まると静かな立ち上がりでした。
ジリジリと少しづつ距離をつめるマーク選手と、華麗なフットワークで冷静に距離を保つ高橋選手。
互いに譲らないジャブの差し合いが続きます。

つづく2R、試合が動き出します。
徐々に打ち合うようになってきた両者。
2分すぎに高橋選手が飛び込みフックをヒット。
続けざまに右クロスをヒットしラッシュをかけます。

しかしマーク選手は果敢に打ち返し、今度は高橋選手が効かされます。
2Rから凄まじい打撃戦です。

3R、脚を使いアウトボクシングをする高橋選手ですが、2分過ぎとラウンド終了間際にマーク選手の強打に捕まり、あわやダウンのところでゴングに救われます。
実は高橋選手、この3R途中から意識が朦朧としており、状況があまりわかっていなかったそうです。

4R、ダメージが残る高橋選手を仕留めるためにマーク選手が攻めたてます。
ロープ際での猛攻にあわやレフェリーストップかと思われましたが、打ち疲れたマーク選手の一瞬の隙に高橋選手がカウンターをヒットします。
そしてぐらつくマーク選手に右を追加し、マーク選手ダウン。
一瞬の形勢逆転に後楽園ホールが湧き上がります。

立ち上がるマーク選手ですが、すぐに高橋選手が追撃し再びダウン。
残り1分、もう一度ダウンを奪えば高橋選手のKO勝ちですが、高橋選手にも疲れが見え、マーク選手がなんとか打ち返します。
両者フラフラになりながら壮絶な打ち合いでゴング。
まだ4R終了時点ですが観客は立ち上がって拍手を送ります。

3Rから意識朦朧としていた高橋選手ですが、4Rでダウンを奪ったことをよくわかっておらず、インターバル中セコンドに「オレ、倒されたんですかね」と聞いたそうです。

5Rになると会場からはナオトコールが沸き起こります。
ラウンド終盤には右クロスなどをヒットし効かせますがダウンまでは奪えず。

6R、徐々に回復し前に出てくるマーク選手と、脚を使い細かいカウンターを当てる高橋選手。

7R、回復してきたマーク選手に対して、疲れが出始めた高橋選手。
徐々に形勢が逆転していきます。
そして、マーク選手の強打が高橋選手の顔面を跳ね上げます。
しかし高橋選手も打ち返します。

8R、要所要所で打ち返す高橋選手ですが、ロープ際につめられるとマーク選手の強打を受け、ついに崩れ落ちます。
立ち上がるもののグロッキーな高橋選手。
しかし、高橋選手も打ち返し壮絶な打ち合いとなります。

9R、前に出続けるマーク選手の強打を連続で被弾し、フラフラになる高橋選手。
コーナーにつめ猛攻を仕掛けるマーク選手ですが、高橋選手の起死回生のカウンターをくらい膝が踊ります。
今度は、息を吹き返した高橋選手が猛攻を仕掛け、マーク選手が膝をつきます。
この試合、何度形勢が逆転したでしょう。
凄まじいシーソーゲームです。

立ち上がったマーク選手ですがダメージは明らかです。
高橋選手の右をもらうとキャンバスに尻をつきます。

この試合4度目のダウン。
立ち上がるものの足元の定まらないマーク選手を見てレフェリーは試合を終わらせました。
9R2分42秒KO。ついに歴史的な死闘に終止符が打たれたのです。
レフェリーが試合終了を告げた瞬間、会場は感動と興奮の歓声で包まれました。

この勝利で高橋選手は日本王座を戴冠。
この試合は日本ボクシング年間最高試合に選ばれ、伝説の試合となりました。


ジョージ・フォアマン vs ロン・ライル

続いては、歴代最高とも言われるハードパンチャーの壮絶なダウンの応酬を紹介します。

ジョージ・フォアマン vs ロン・ライル。
フォアマンは、オリンピックで金メダルを獲得後、象をも倒すと言われた重いパンチでKOの山を築き、ヘビー級タイトルを獲得した選手です。
ジョー・フレージャーやケン・ノートンといった強敵からKOで2度防衛し、戦績は41戦40勝37KO1敗。
唯一の黒星はモハメド・アリから喫したものです。

一方ライルは、19歳の時ギャングの銃撃事件に巻き込まれ、無実を主張しましたが、第二級殺人罪で有罪判決を受け懲役15年から25年の刑を言い渡されます。
服役中、別の受刑者に刺され瀕死となりましたが、36回の輸血の末一命をとりとめました。

その後、ボクシングと出会い仮釈放後、29歳でプロデビュー。
34戦目にしてタイトルマッチに挑みますが敗れてしまいます。
その相手もまたモハメド・アリでした。

この試合はそんな二人にとって、アリとの再戦を実現するためにも負けられない試合でした。

試合が始まるとライルは早々に大振りなボディショットを放ちますが、その後は軽快なフットワーク距離を取りながらジャブを放っていきます。
1R残り20秒のところで渾身の右をヒットさせぐらつかせますが、打たれ強いフォアマンを仕留めきれずゴング。

2R、前に出てくるライルに下がりながらパンチを当てていくフォアマン。
左アッパーをヒットさせると、今度はフォアマンがラッシュを仕掛けます。
コーナーにつめられながら耐えるライル。時間はまだ1分残っていますがここで早めのゴング。
なんとタイムキーパーが間違えて2分でゴングを鳴らしたのです。
ライルは思わぬアクシデントに救われたのでした。

そして4R、壮絶な打ち合いとなります。
ライルの強烈な強打を立て続けに浴びたフォアマンがダウン。
立ち上がったフォアマンはしばらくクリンチでしのぐと、打ち合いに出ます、

ヘビー級の強打者がフルスイングで打ち合うという大迫力の打撃戦です。
そして今度はライルがダウン。

なんとか立ち上がったライルは、フォアマンのラッシュに再びロープ際で防戦一方です。
しかし、フルスイングでカウンターを当てていくとフォアマンをリング中央まで押し返し打ち合いになります。
そして、ラウンド終了間際に今度はライルがダウンを奪います。
フォアマンがフラフラになりながらも立ち上がったところでゴング。
このラウンドだけ形勢が一転二転三転する凄まじいラウンドとなりました。

5Rも開始早々、壮絶な打ち合いとなります。
両者インファイトで一歩も譲りません。
フォアマンが左フックを被弾しフラフラになりますが、打ち疲れているライルは攻めきれません。

立っているのもやっとの状態で打ち合う両者。
フォアマンが右をヒットすると、今度はライルがヨロヨロでダウン寸前となります。
コーナーにつめられグロッキーになったライルは前のめりにダウン。
ライルは立ち上がることができず、歴史に残るヘビー級の壮絶な打ち合いに幕が降ろされました。

フォアマンは引退後、この試合を「最も思い入れ深い試合」とし
「私と戦った相手はソニー・リストン以外、みな逃げたり防戦一方になるが、ライルは逃げなかった」
と、語っています。

ジェロム・レ・バンナ vs マーク・ハント

続いては、K-1史に残るダウンの応酬となった名試合を紹介します。
マーク・ハント vs ジェロム・レ・バンナ、三戦目になります。

K-1屈指のハードパンチャーであるバンナと強烈なサモアンフックを持ったハントの対決です。

前回の戦いは、K-1グランプリ決勝でハントが優勝候補であるバンナをKO。

前回の戦いは、ケーワングランプリ決勝でハントが優勝候補であるバンナをKO。
見事なアップセットを見せ優勝し、ハントを一躍有名にしました。

その約半年後に行われたのがこの試合です。
試合はバンナの母国フランス、パリでの開催ですが、バンナは
「俺は生まれも育ちもフランスだが、フランス人が嫌いだし、日本の方が好きだ!フランスの国民性ってのは有名人に取り入ろうとしたり妬んだりする奴が多い。ハントとのビッグファイトは愛する日本のファンの前でやりたかった」
と語り、今大会はフランススポーツ省の「暴力性が高い」との意向により、蹴り足をつかんでの攻撃・膝蹴りなどが反則となる特別ルールで行われることが、大会前日に正式決定。
ハント対策として膝蹴りを練習してきたバンナにとっては、多くの不満がある試合でした。

しかし、試合はパリジェンヌも大満足する壮絶な内容となります。
試合が始まると、ワンツーとインローを中心に組み立てていくバンナ。
ハントは顎を引きおでこでパンチを受け、クリーンヒットはさせません。
1R終盤にはバンナをロープに詰め、右アッパーをヒットさせます。
そして打ち合いになりますがゴング。

両者次第にエンジンがかかってきた2R、開始してすぐにバンナの右のショートがカウンターでヒット。
ハントがダウンします。
打たれ強いハントですが、パンチでダウンをしたのはこれが初めてです。
何事もなかったようにすぐに立ち上がるハント。

すぐに倒しに行かず冷静に蹴りを放つバンナですが、ハントが打ち返してくると、強烈な左を連打し反撃します。
堰を切ったように猛攻を仕掛けるバンナ。
ハントはこの時の攻撃で右目に異変を感じます。
防戦一方になるハントに、これでもかとハイ、右フックを叩きつけるバンナ。

しかし、突如ハントが反撃。
フラつくバンナに右を追加し、今度はバンナがダウンを喫します。

何度も打ち込まれながら耐えていたハントと、一撃で効かされたバンナ。
同じハードパンチャーでありながら、打たれ強さでは対極的な2人です。

立ち上がったバンナを倒しにかかるハント。
バンナにとっては半年前の悪夢がよみがえります。
しかしそれでもやり返すのがこの男。
打ち返すと、すぐにロープに詰めハイや左右のフック、左ストレートを当てハントをぐらつかせます。
かと思えばハントが打ち返し、バンナが後退。
この壮絶な展開に観客のボルテージは最高潮になります。

フラフラになりながらも手を出し続ける両者。
好戦的な2人ですが、K-1でここまで打ち合う試合は見たことがありません。

そしてバンナがハントを突き放し、左ハイが直撃。
ハントはロープまで吹っ飛ぶダウンを喫しますが、立ち上がります。
しかし、さすがのハントでもダメージが隠せません。
そして、カウント直後に2R終了。

壮絶なラウンドとなりましたが、この試合は意外な決着で幕を閉じます。
インターバル中、ハントのセコンドからタオルが投入されます。
ハントが異変を感じていた右目をチェックしたドクターは「右目周辺を骨折している可能性が高い」とし、セコンドは棄権負けを選択。
バンナのTKO勝利となりました。

コーナーでガッツポーズを取るバンナ。
死闘を演じた戦士に観客はスタンディングオベーションを送りました。

バンナとハントの試合はどれも名試合ですが、この試合はK-1史上に残る壮絶な死闘となりました。

ディエゴ・コラレス vs ホセ・ルイス・カスティージョ

続いてはボクシング史に残る伝説的な逆転試合を紹介します。

ディエゴ・コラレス vs ホセ・ルイス・カスティージョ。
2005年に行なわれたボクシング、WBO・WBCライト級王座統一戦です。

コラレスは元スーパーフェザー級王者で、前回の試合でWBOのライト級タイトルを獲得し、2階級制覇を達成した選手です。

一方、カスティージョの世界タイトルはWBCのライト級のみですが、フェザー級からキャリアを始め、コラレスに完勝したメイウェザーに敗れたものの、最もメイウェザーを苦しめた一人と言われている選手です。

試合が始まると、両者積極的に手を出していきます。
初回から激しく打ち合う両者に、ゴングが鳴ると観客は拍手を送ります。

そして、2ラウンドになるとインファイトで頭をつけての打ち合いに。
そこからは終始打ち合い、コラレスが効かせればカスティージョが効かせ、ダウンとなってもおかしくない場面が何度もありますが両者倒れません。

6ラウンドにはコラレスが大きくぐらつくもゴングに救われます。
かと思えば7ラウンド、コラレスの左フックでカスティージョの膝が折れ、ダウン寸前になりますが今度はカスティージョがゴングに救われます。

これだけでもすでに名試合ですが、両者一歩も引かずハイペースで打ち合いを続けます。

次第にコラレスの目は大きく腫れ上がりますが、カスティージョの目も腫れ、カットが見られます。
まさに死闘と呼ぶに相応しい試合です。

そして、この試合は10ラウンドに劇的な幕切れを迎えます。

開始25秒、カスティージョの左のショートがコラレスのアゴにヒットし、ついにダウン。

エイトカウントでゆっくり立ち上がるコラレス。
試合続行となりますがレフェリーがタイムを取ります。
実はダウンした時、コラレスがマウスピースを吐き出していたため、レフェリーは急いでマウスピースを装着させたのです。

しかし、コラレスのダメージは明らかです。
すぐにカスティージョの追撃をくらうと、ヨロヨロとダウン。

カウントギリギリで立ち上がるも、再びレフェリーがタイムを取ります。
ダウン時、またもコラレスがマウスピースを吐き出していたのです。
会場からはブーイング。
カスティージョとしてはすぐに追撃のパンチを浴びせ試合を終わらせたかったでしょう。
この時間稼ぎ行為は、波紋を呼ぶことになります。

試合が再開されると、すぐに試合を終わらせにいくカスティージョ。
ロープ際に詰められ絶体絶命のコラレスは意を決して打ち合いに挑みます。

そして、コラレスの右フックがカウンターでヒット。
カスティージョが大きくぐらつきます。

そして、左フックを追加すると今度はコラレスがカスティージョをロープ際に詰めます。
なんとか打ち返すカスティージョですが明らかにダメージがあります。

なんということでしょう、数十秒前まで2度立て続けにダウンを奪われた選手が、今は相手をダウン寸前まで追い詰めているのです。
そしてコラレスのラッシュを浴び、ロープにヨロヨロともたれかかったカスティージョを見てレフェリーが試合を終わらせました。
9ラウンドダウンせずに殴り合いを続けた両者が、10ラウンドに堰を切ったようなダウンの応酬で膜が切れたのです。

この光景に、会場は歓声とブーイングが渦巻き騒然となります。
マウスピースを吐き出した行為が納得いかなかったファンは、コラレスの勝ち名乗りにブーイングを浴びせます。

この時間稼ぎの行為とレフェリーストップのタイミングは議論になり、5ヶ月後にダイレクトリマッチが組まれます。
しかし、今度はカスティージョが体重超過をしノンタイトル戦となった上で、カスティージョのKO勝ち。
さらに8ヶ月後にラバーマッチが組まれますが、またもカスティージョの体重超過により試合中止と、なんとも後味の悪い展開となりました。

しかし、この劇的な試合はリング誌のファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞し、未だに語り継がれるボクシングの歴史的な試合となりました。

パット・バリー vs シーク・コンゴ

続いては、まさに絶体絶命、KO寸前から奇跡の大逆転を紹介します。

パット・バリー vs シーク・コンゴ。
2011年におこなわれた総合格闘技の試合です。

バリーはキック出身で、2004年から2007年にかけてはK-1に参戦し、2008年からUFCで活躍。
2009年にファイト・オブ・ザ・ナイトおよびノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞。
2010年には、敗れたもののミルコから2度ダウンを奪った選手です。

一方、コンゴは空手から格闘技を始め、日本の格闘技イベント”一撃”に参加したことのある選手で、総合は2001年にデビュー、2006年からUFCに参戦しています。

両者100キロ超えの迫力のヘビー級戦です。

試合が始まると、バリーがジリジリと距離を詰めていきます。
そして、右のオーバーハンドがテンプルに炸裂。
コンゴは膝が折れその場にダウンします。

勝機とみたバリーは一心不乱に追撃で試合を終わらせにかかります。
パンチをくらいながらバリーにしがみつくコンゴ。

しかし、離れ際に右フックをくらい再びダウン。
止められてもおかしくないですが場面ですが、レフェリーは止めません。
意識朦朧の中、必死に組みにいくコンゴですが引き剥がされると、ふらつきダウン寸前です。

あとは息の根を止めるだけだと言わんばかりに歩いていくバリー。

しかし、コンゴの起死回生の右フックにぐらつくと、右アッパーを追加され失神。
コンゴが鉄槌を浴びせると、レフェリーは急いで試合を止めました。

KO寸前まで追い詰めてから、数秒後にまさかの目を見開いての失神。
このあっという間の逆転劇は、コンゴがダウンしてからバリーをKOするまで30秒もありません。

バリーが攻めている時点で、レフェリーのストップが遅いと思った方も多かったでしょうし、他のレフェリーだったら止められていてもおかしくありませんでした。
あそこで止めていたら結果は正反対だっただけに、格闘技におけるレフェリングの難しさが見えた試合でもありました。

この衝撃的な逆転劇はノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞。
UFCで未だに語り継がれる名試合となりました。

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