井上尚弥の強さというとスピード、パワー、ディフェンス、テクニックなど多くの要素があると思いますが、その中でもメンタルとインテリジェンスが大きな要素を占めているのではないかと思います。
2018年、マクドネルを112秒でTKOして井上選手がWBA世界バンタム級王者となったこの試合。
フィニッシュは井上選手にしては珍しい、ノーガードでのラッシュでした。
このフィニッシュシーンは、井上選手が怒りのためにノーガードでラッシュをかけていたと思っていましたが、井上選手の思惑通りだったのをご存知でしょうか。
井上選手の自伝「勝ちスイッチ」を読むと、観ているだけではわからない、試合の裏側や井上選手のインテリジェンス、一つ一つの動きの狙いがよくわかります。
井上選手いわく、〝井上レーダー〟と情報処理能力が機能した典型的な試合であり、観ていた側とは大きく印象が異なります。
今回はそんなマクドネル戦の裏側を解説しつつ、井上選手のメンタルやインテリジェンスなど、目には見えないマインドの部分を紹介していきます。
井上尚弥のあの試合の裏側がすごい
2017年12月30日、井上選手はヨアン・ボワイヨをスーパーフライ級の防衛戦を行い、3RTKOで勝利。
次の対戦予定の相手はIBFスーパーフライ級王者ヘルウィン・アンカハスでした。
思い返せば2017年、カリフォルニア州カーソンの スタブハブ・センター・テニスコートで行われたボクシングイベント「SUPER FLY」。
井上選手がアントニオ・ニエベスの心を折り、6回終了時ニエベスの棄権により勝利した試合がおこなわれた大会です。
この日のメインはローマン・ゴンサレスvsシーサケット・ソー・ルンヴィサイ。
ローマン・ゴンサレスはロマゴンという愛称で、ミニマム級、ライトフライ級、フライ級で43勝38KO無敗の戦績を誇り、PFP1位に輝くなど軽量級の選手としては伝説的な選手でした。
井上選手との対戦も噂され、気運が高まっていました。
しかし、スーパーフライ級に上がった2戦で、判定で初黒星を喫します。
この試合の解説をしていた井上選手は落胆を隠せず、「SUPER FLY」でのシーサケットとの再戦ではKO負け。
それ以降、井上選手とのビッグマッチの噂は聞かれなくなりました。
この時、井上選手の次の目標はアンカハスとの統一戦でした。
2018年に「SUPER FLY2」に出場予定だったアンカハスですが、「SUPER FLY2」を放映するHBOのライバル局「ESPN」と契約。
結果、アンカハスとの試合は流れたのです。
そこでバンタム級への転級を決意、大橋会長がオファーした相手がWBAバンタム級王者のマクドネルでした。
マクドネルは10年間無敗、これまでに同王座を5度防衛している強豪で、その中には亀田和毅選手を2度退けた防衛も含まれす。
マクドネルをプロモートしているマッチルームのエディ・ハーンは、かなりのやり手で、当初日本にマクドネルが来ることは考えにくかったそうです。
しかし、大橋会長いわく
”「とんでもないオファーを吹っかけてきたけど飲んだ。向こうにしてみればまさか、その条件にこちらが応じるとは思っていなかったんだろう。それと下から階級を上げてきた選手なら勝てると自信を持っていたんだ」”
勝ちスイッチより
そうで、かなりの破格のファイトマネーのオファーだったと思われます。
マクドネルは試合前、
「イノウエのファーストネームすらどう発音するかも知らない、俺の方がタフで強い。イージーな相手だ」
と語っており、井上選手をあまり認知していなかったようで、井上選手の強さを知らなかったところもこの試合が決まった要因でしょう。
マクドネルは身長178センチとバンタム級としてはかなり長身で、スーパーバンタムを視野に入れていた選手です。
この試合でもマクドネルは減量が上手くいかず、1時間以上計量の時間に遅れて来ました。
急激な水抜きのため、前日の会見とは別人の痩せこけた姿を表します。
しかも会場のホテルに着いてから、しばらくトイレに籠城していました。
しかし、マクドネル陣営は謝罪もなく、計量に成功すると大はしゃぎしていたそうです。
相手のプロモーターのエディ・ハーンは「海外の計量では30分、1時間遅れることはよくあることで大騒ぎする様な事にはならない」と語ります。
ルール上は井上選手が先に計量済ませ帰宅することもできましたが、後からどんな難癖をつけられるかわからないので待っていたそうです。
減量で極限の状態での1時間はかなりのストレスでしょう。
1時間の代謝で井上選手は、体重がリミットより150グラム減り、150グラムの水分を摂ったといいます。
これには井上選手も
「ふざけているなと思います。謝る態度1つなくて王者陣営の態度にイラっとしました。明日はそれをぶつけようと思います。1時間オーバーはないですよ」
と怒りをあらわにし、フェイス・トゥ・フェイスでは眼光鋭く睨みつけ、珍しく熱くなっている様子でした。
しかしホテルを出る頃には井上選手は冷静さを取り戻していたそうです。
そしてマクドネルは試合当日は、んと12キロ増量でリングに上がります。
しかし、減量に失敗したマクドネルの身体は壊れていました。
試合が始まるとマクドネルがジャブを数発放っていきます。
この時点で〝井上レーダー〟はたマクドネルの身体が壊れていることを察知していました。
見切る、見切らない以前のパンチをはたき落とす。
パワーがなく、足にも力が入っていない、キレもない。
そして試しに、ガードを固めて強引に距離を詰め放った左のロングフック。
クリティカルヒットではありませんが、マクドネルはこの一撃で大きくぐらつきます。
これを見た井上選手は「これいけるでしょう」と確信。
力で圧倒することを決断します。
井上選手は最初のダウンを奪った後のことをこう語ります。
”慎重に相手の空いているところを打っても意味がない。減量に失敗しているのである。ガードの上からでもいいからビッグパンチでダメージを与えることが必要だと判断した。なおかつ、マクドネルの体の大きさを考慮すれば、ショートのパンチを連打しても、のらりくらりと逃げられる危険性もあった。ここは暴力的な大振りのパンチでいい。”
勝ちスイッチより
そして井上選手は一気に畳み掛けます。
珍しくノーガードのフルスイングです。
試合前のいざこざを知っている人からすると、怒りによるもの、知らない人からすると強引にKOを狙っていると思うかもしれません。
しかしマクドネルの状態、ロープを背負わせているという状況から、井上選手は深刻なダメージを受けることはないと判断し、あえてラフに攻め立てたのです。
実際にマクドネルのカウンターがヒットしていますが、井上選手に効いた様子はありません。
井上選手の読み通り、ガードの上からの強引なラッシュにマクドネルはズルズルと倒れ、レフェリーが試合を止めます。
わずか112秒で終わらせたバンタム級初挑戦。
個人的には、そこには井上選手の怒りや焦りが渦巻いていると思っていましたが、実際の本人は至って冷静でした。
この試合展開は事前に練った作戦ではなく、リング上で瞬時に五感で感じ取って選択したものだそうです。
そして、この情報察知能力、処理能力はスパーリングでは鍛えられないと言います。
観察力や情報処理能力が高いと同時に、いかに井上選手が本番中に冷静なのかがわかりますね。
井上選手は「リングに命をかけない」と言います。
怒りや憎悪の感情は、距離を測り、パンチが当たる位置、当たらない位置を瞬時に察知しながら、最善の方法を選択していくというインテリジェンスな作業の邪魔になるのでリングに持ち込まないそうです。
”もっと僅差の試合になれば、いらない感情は邪魔になる。だから僕は、できるだけ、そういう人間的計算の立たない要素を排除してメンタルをコントロールしようとしている。
勝ちスイッチより
「命のをかける」とは、対極にあるボクシングのカタチである。”
本人談を聞くと、試合を観ているだけではわからない井上選手の精神状況、一つ一つの動きの狙いがよくわかります。
そして、井上選手の強さはテクニックやパワー、フィジカルだけでなく、メンタルやインテリジェンスなど、目には見えない部分によって支えられていることがわかります。
今回参考にした井上尚弥著ー「勝ちスイッチ」は2019年のドネア戦前に書かれたものですが、試合の裏側や井上選手のマインドがわかり、とてもおもしろい本になっています。
概要欄に商品リンクを貼っておきますので、井上尚弥ファンの方はぜひ読んでみてください。
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