【格闘技】重大な事故になった試合6選【リング禍】

みなさんは”リング禍”という言葉をご存知でしょうか?相手にダメージを与えて倒すことを前提に作られている格闘技。
そんな中で選手が深刻な負傷や障害を負い、最悪の場合死にいたることを”リング禍”と言います。

今回はリング禍、格闘技において重大な事故となってしまった試合を、様々な視点から紹介するとともに、格闘技のリスク、格闘家はみな命をかけているということをみなさまに知っていただければと思います。

目次

【格闘技】重大な事故になった試合【リング禍】

ナイジェル・ベンVSジェラルド・マクラレン

1995年2月25日。

WBC世界スーパーミドル級タイトルマッチであるこの試合の挑戦者はジェラルド・マクラレン。
元ミドル級統一王者で、31勝29KO、そのうち初回KOが20度、14連続KO中の、中量級史上最強とも言われるハードパンチャーです。

対するチャンピオンのナイジェル・ベンもまた、22連続KO勝利の記録を持ち、ほとんどを2R以内でKOしている2階級制覇のハードパンチャーです。

そんなハードパンチャー同士が世界タイトルをかけるビッグマッチでした。

アウェーのマクラレンがコールされると強烈なブーイングがわきます。一方、ホームのベンは喝采で迎えられます。

1R、開始早々チョッピングライトや左右のフックで攻め立てるマクラレン。ロープ際に詰められたベンはダッキングで逃れようとしますが、マクラレンの強打が立て続けにヒットし、リング外に押し出されダウンとなります。
開始1分も経っていない出来事です。

その後も、同じ展開が続きますがベンはウィービングやクリンチ、時折カウンターを狙い逃れようとします。
防戦一方でいつ止められてもおかしくない状況で、現代ならTKOとなっていたかもしれません。
この猛攻をベンは耐え続け1R終了のゴングとなりました。

しかし、2Rが始まるとベンが前に出てきます。ウィービングをしながら右ストレートをヒットさせ、今度はベンが攻めに転じます。
エキサイティングな展開に観客も大きな歓声をあげます。
途中、ベンがホールドしながらラビットパンチを当て、マクラレンがレフェリーに訴えます。ラビットパンチとは相手の後頭部に当てるパンチで反則技になります。
もしかしたら、ここからすでに悲劇の予兆が始まっていたのかもしれません。
ベンがレフェリーから注意を受けると試合再開。再びマクラレンが距離を取り、ベンが強打を振り回す展開になります。
ベンがパンチを当てるたびに盛り上がる観客。
2R終了のゴングがなり、ベンがガッツポーズをとると大きな歓声があがります。

試合序盤から、マクラレンはグローブで目をこするしぐさを度々見せます。おそらく視覚に異常を感じていたのではないでしょうか。

その後、マクラレンはジャブを付き距離を取りながら、タイミングを見てチョッピングライトを放ちますが、ベンのフックを被弾し続けます。
その中には後頭部に引っかけるようなラビット気味のパンチもありました。
効いている素振りは見せないものの、度々ベンのビッグパンチを受けるマクラレン。踏み込んで大きく振り回すベンの強烈なパンチ。普通の選手ならいつ倒れてもおかしくない状態でしょう。
そして、終了間際にはベンが立て続けにラビットパンチを当てます。

7Rのゴングが鳴ると、どこかマクラレンの足元がおぼつかないように見えます。
今度はマクラレンがラビットパンチを返す場面も見られますが、ジャブに前半までのキレがありません。
マウスピースを吐き出しそうな状態で試合を続け、ここでもベンのラビットパンチを被弾します。以降、頻繁にマウスピースを吐き出しそうな状態になります。
時折、ベンのパンチを被弾し、だらりと腕を下げ距離を取るシーンが見られます。

8Rにはまたしてもマクラレンはマウスピースを吐き出しそうな状態で試合をします。これは何を意味していたのでしょうか。
度々ベンのフックを被弾するマクラレン。しかし、マクラレンの右ストレートがヒット。ぐらつくベンをロープ際に追い込みラッシュをかけます。
ベンはウィービングでなんとかしのごうとします。1Rと同じような状況。マクラレンのラッシュを受けたベンは崩れ落ちます。
これまで2R以降、終始劣勢だったマクラレンですが、自身の強打がそれを覆し再びダウンを奪ったのです。試合終了25秒前。ベンは立ち上がりなんとかこのピンチを凌ぎました。

9Rにはまたしてもベンがホールドしながらのラビットパンチを当て、レフェリーから注意を受けますが、その後もラビットパンチを放ち再び注意を受けます。
ベンが飛び込んでのパンチを放ち、バッティングを受けたマクラレンは数秒後に静かにしゃがみ込みます。
普通にパンチが効かされて崩れ落ちる様子とは明らかに違います。
試合再開後、ベンはまたしてもラビットパンチで注意を受けます。

そして運命の10Rのゴングが鳴ります。
ベンが右フックをクリーンヒットさせ、ラビット気味のフックを追加するとマクラレンは膝をついてダウン。ふらついて耐えられなくなったというより、静かにしゃがみ込んだダウンでした。
マクラレンは冷静に立ち上がりますが、すぐにベンのラビット気味のフックとアッパーを受けダウン。再び静かにしゃがみ込むようなダウンでした。
グローブで目を抑えるマクラレン、大きくまばたきをします。意識というより視界に違和感を感じていたのかもしれません。
膝をついたまま静かにテンカウントを聞くマクラレン。KOが宣告されるとマクラレンはすぐに立ち上がりました。
完全に自らの意思で負を選んだのでしょう。
このシーソーゲームのような劇的な幕切れに、会場はるつぼと化します。

しかし、問題はここからです。自らの脚でコーナーに戻るマクラレン。数秒後には、セコンドが用意した椅子にも座らず、リングに座り込んで、いびきをかきだしました。
気を失った状態のいびきは非常に危険な状態といわれています。脳卒中は喉、舌の緊張がゆるみ下方に落ち込んでいき、いびきを発することが多くなるからです。
しばらくは、勝ち名乗りを上げるベンを映すカメラですが、その後衝撃的な映像を映します。
意識を失って仰向けになるマクラレン。慌ただしくチェックするドクターたち。しばらくすると首にコルセットが取り付けられます。脳に損傷を受けた場合、頭を動かさないようにするためです。
勝った選手ではなく負けた選手を映し続けるという異様な中継に、視聴者たちは衝撃を受けたでしょう。
その後、マクラレンは全身を固定した状態で担架に乗せられ運ばれて行きました。

検査の結果、脳内出血が確認され、緊急手術が施されました。幸い一命は取りとめたものの、半身不随、両目失明、両聴覚のほとんどと言語能力も失い、24時間の看護が必要な状態となってしまったのです。

試合後、ラビットパンチを放ったベン、減点するなど厳しく注意しなかったレフェリーは非難を浴びることとなりました。
しかし、この事故がなかったらそのような非難は起きていたでしょうか?マクラレンはラビットパンチが効いた素振りは見せていませんでした。
ラビットパンチを肯定するわけではありませんが、ホールドしながらのラビットパンチや、ラビット気味のフックは珍しいわけではなく他の試合でも多く見られます。それで試合中止となることは殆どありません。
1Rにレフェリーが試合を止めていれば、マクラレンの勝利で事故は起きなかったでしょう。
一説ではマクラレンは急激な減量で体調が万全でなかったことも理由とされているようです。
”たられば”を言ったらきりがありませんが、ベンのラビットパンチがなければこの事故は防げたのかもしれませんし、そうでないかもしれません。
皆さんはどう考えますか?

エミール・グリフィスVSベニー・パレット

1962年3月24日。

パレットとグリフィスは3度の対戦経験があり、互いに1勝1敗。グリフィスに奪われた世界ウェルター級タイトルを、パレットが再度奪還すべく挑んだ試合です。

この一戦は、世界王者として最初の死亡事故であり、その後のテレビ中継やリングの規定にも影響を与えた試合となりました。

衝撃のシーンは12Rに訪れました。グリフィスの右ストレートがパレットの顎を打ち抜きパレットはぐらつきます。
勝機とみたグリフィスはパレットをコーナーに追い込み一気にラッシュをかけます。立て続けにグリフィスのフルスイングをもらうパレット。立ったまま気を失いロープにもたれかかったままのパレットに、グリフィスは狂ったようにパンチを数十発浴びせ続けました。
現代だったらとっくにレフェリーストップとなっている状態ですが、当時の判断は緩かったこととスタンディングの状態だったこともあり、かなり遅れた段階でのレフェリーストップとなりました。

試合終了後、コーナにもたれかかっていたパレットの身体は力なくズルズルと崩れ落ちます。セコンドやドクターが急いで治療を行いますが、パレットは意識を失ったまま動きません。
パレットはそのまま担架で運ばれ、病院に緊急搬送されるも昏睡状態のまま。10日後に死亡となりました。

当時、テレビが普及して間もない時代に、人間が力なく殴られ続けた映像を見た人たちはかなりのショッキングだったでしょう。
アメリカで人気だったボクシングですが、この試合をきっかけにボクシング禁止論が活発になり。
試合を放送したABCは、ボクシング放送から撤退を決め、他の地上波放送局も後に続きました。その後、地上波テレビ局がボクシングの中継を再開するのは1970年代になります。

また、パレットは3本のロープの間から半身を外へ出した格好で、剥き出しの鉄柱でしかなかった当時のコーナーポストとグリフィスのパンチに挟まれるようにして衝撃を受けており、これが直接のダメージを招いた原因ともいわれました。
その後、コーナーポストにはビニールカバーを施すことが義務付けられ、リングの3本ロープを4本ロープに増やしました。この仕様は現代でも受け継がれています。

このリング禍でグリフィスは不眠症に陥るなど、40年以上罪悪感にさいなまれました。
パレットの息子に会い抱きしめられ、許しを得たことで長年の罪悪感から解放されたといいますが、パレット夫人からは面会を拒否され続け、死ぬまでそれはかないませんでした。

この試合では、グリフィスはルールを破ったわけではありません。しかし、試合前にパレットがグリフィスが同性愛者であることを馬鹿にし、それがグリフィスの憎悪に繋がったのではないかとも言われています。

このリング禍はボクシングのあり方、テレビ中継、リングの仕様などボクシングのみならず、現代の格闘技のルールや規定に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

フェルナンド・モンティエルVSノニト・ドネア

2011年2月19日。WBC・WBO世界バンタム級タイトルマッチ。

WBCとWBOのベルトがかけられたこの試合は、WBC・WBO統一王者のモンティエルが元フライ級・スーパーフライ級の2階級制覇王者ドネアを挑戦者として迎え撃つ形となります。

モンティエルも元フライ級・スーパーフライ級をくわえた3階級制覇王者で、ラスベガスで行われたビッグマッチでした。

ドネア優勢で終えた1Rの後、迎えた2R。ドネアの強烈な左フックが炸裂します。
左フックはドネアの代名詞とも言えるパンチで、あの井上尚弥選手のまぶたをカットし眼窩底骨折に追い込んだほどです。

モンティエルの右フックに合わせた完璧なドネアの左フック。全身を傾け体重を乗せたドネアのフックがモンティエルの右側頭部にドンピシャのタイミングでヒットしました。
崩れ落ちるモンティエル。試合序盤2R、たった一発のパンチでモンティエルがキャンバスに沈んだのです。

目を見開いて痙攣するモンティエル。目の焦点が合わずによろめきます。しかし、モンティエルは立ち上がり試合は続行。
すぐにドネアの追撃をくらい、レフェリーストップとなりました。

ドネアの左フックがヒットしたシーンをスローで見ると、ヒットした瞬間モンティエルの頭蓋骨が歪んでおり、かなりの衝撃だったことがわかります。
その後、痙攣し虚ろな目でふらつくモンティエル。この時点で試合を止められてもおかしくない様子でした。

モンティエルの右頬は目で見てわかるほどにへこみ、試合後、陥没骨折により整形手術が必要ということがわかりました。
しかし、脳に損傷はなく意外にも大きな怪我ではありませんでした。
事実、モンティエルは4ヶ月後に試合を行い、TKO勝利を収めています。

一発の衝撃はこれまでに紹介した試合よりも大きいでしょう。ダウン後のモンティエルの様子も衝撃的なものでした。
しかし、モンティエルは骨折こそしたものの、なんの障害もなくすぐに復帰できたのです。

ボクシングでの死亡事故は、実はヘビー級よりも、中量級や軽量級のほうが多いのをご存知でしょうか?
それは重いパンチ数発ですぐに試合が決まるよりも、軽いパンチを多く被弾し蓄積されたダメージのほうが危険なためだそうです。
格闘技での死亡事故は、試合中は問題なくても試合後に異変をきたし、数日後に亡くなる場合が多くあります。
派手なKOよりも中々倒れない状況こそ危険なので、レフェリーやセコンドは難しい判断を迫られ、時に”早すぎるストップ”と非難されてしまうのではないでしょうか。

マゴメド・アブドゥサラモフVSマイク・ペレス

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2013年11月2日。

USNBCヘビー級タイトルマッチであるこの試合は、18戦全勝18KOの王者アブドゥサラモフに19戦全勝12KOの挑戦者ペレスが挑む、無敗同士の対決でした。

試合は、アブドゥサラモフがプレッシャーをかけ、時折ショートアッパーやストレートを当てますが、全体的にはキレやスキルで上回るペレスがジャブやフックなどを当てていきます。
強烈な一発ではなく細かいパンチを何度も被弾するアブドゥサラモフ。小さいパンチを数多く被弾することは、少ないビッグパンチでダウンするよりも危険といわれています。

アブドゥサラモフは左まぶたをカットし、顔面は腫れ上がっていきます。
そして最終の10Rでは、ペレスのジャブがカウンターで入り大きくぐらつきます。

そのままペレス優勢のまま試合は終わり、ペレスの判定勝利。アブドゥサラモフは左まぶたをカット、両目の周りは青くなり、左頬は腫れ上がっていました。

自力でリングを降りたアブドゥサラモフですが、その後頭痛を訴えて意識を失いました。これまで紹介した試合の通り、試合中ではなく試合後に意識を無くす危険なパターンです。

しかし、この試合後から手術までの中で重大な問題が起きたのです。
試合会場の医療サービスのトップは急務を理由に救急の支援を行わず、救急車ではなくタクシーを呼んだといいます。

しかし、タクシーはなかなか到着せず。病院に到着後もさらに待たされたそうです。結局、開頭手術により頭蓋骨にあった血の塊は除去されましたが、それでも脳卒中は起きてしまいました。
手術後、生命維持装置がつけられ、しばらくは昏睡状態がつづきました。8日後にアブドゥサラモフは自分で呼吸できるようなり生命維持装置は外されました。奇跡的に一命をとりとめたのです。
しかし、生涯、車椅子生活を強いられることになり、会話ができるようになるまで数年かかりました。

アブドゥサラモフの家族は一連のことを訴え、3年後にようやく賠償訴訟に勝利。ニューヨーク州はマーゴの家族に対し、米国史上、最大の賠償金額の2200万ドル(およそ23億7700万円)を支払ったのです。

このリング禍は試合中の判断や問題、ダメージだけでなく、試合後の判断や対応によって選手の安否が大きく変わることがわかった試合でした。

マイケル・ペイジVSエヴァンゲリスタ・サイボーグ

2016年7月16日。

Bellator158にて行われたこの試合は、10戦10勝6KO3サブミッションという素晴らしい戦績を持った28歳の実力者ペイジと、38歳ベテランのエヴァンゲリスタの対戦でした。

衝撃の瞬間は2R4分31秒に訪れました。エヴァンゲリスタの右ストレートに合わせたペイジの右飛び膝蹴りのカウンターが、迎え撃ち形でエヴァンゲリスタの額に直撃したのです。
すぐに頭を抱え倒れ込み、もがき苦しむエヴァンゲリスタ。その様子を見たレフェリーはすぐに試合を止めました。

エヴァンゲリスタはこれにより額を大きく陥没骨折し緊急手術を強いられました。額は大きくへこみ、レントゲン写真では複雑に頭蓋骨が割れている様子がわかります。
しかし、試合直後のペイジはそんなことも知らずにポケモンのモンスターボールをエヴァンゲリスタに向かって転がし、モンスターを捕まえるという皮肉めいたパフォーマンスを行いました。
この行為は後に、波紋を呼ぶことになりました。

病院に運ばれたエヴァンゲリスタの7時間を要する手術は無事に成功し、順調に回復。当初、あと10回は試合したいと語っていたエヴァンゲリスタですが
「残りの人生に大きな影響を与えてしまうような後遺症を負うリスクをこれ以上冒すことは良くないし、家族のことを無視することはできない」
と、現役引退を決めました。

今回のリング禍は身体的なダメージよりも、精神的なダメージが選手を引退に追い込んだようです。

レイ・マンシーニVS金得九(キム・ドゥック)

1982年11月13日。

WBA世界ライト級タイトルマッチであるこの試合は、パワーパンチャーでインファイトで打ち合うことを得意としたスタイルから”ブーンブーン”というあだ名で知られるレイ・マンシーニと、今回が世界初挑戦である金得九との試合でした。

最後に紹介するこの試合はリング禍でもっとも有名で、影響の大きかった試合かもしれません。

試合は乱打戦で、特に金はマンシーニのパワーパンチを何度ももらっていました。すでにフラフラになりながらも打ち返す金。金のタフネスや執念は強みであり、驚かされますが、今回はその強みが皮肉にも事故を呼び込んでしまったのです。
終盤になるにつれ、金の被弾は増えふらつく場面が多くなります。現代であればレフェリーストップやセコンドが止めているでしょう。
しかし、金は中々倒れず打ち返していたのも事実でした。

そして14R、金はマンシーニの左フックをカウンターでもらいぐらつくと、右ストレートで後ろ向きにダウン。金の後頭部がロープに当たったあと、さらにキャンバスに打ち付けました。
このダウンの仕方は危険で、パンチよりも後頭部をキャンバスに打ち付けた衝撃の方がダメージがあると言われています。
ダメージが溜まりに溜まった上でのフィニッシュ。後頭部を強打。脳はかなり損傷を受けたでしょう。
金はロープを掴みながら立ち上がりますが、そのおぼつかない足取りにレフェリーはすぐに試合をストップしました。

14Rにも及ぶ壮絶な打ち合いの幕引きに会場は大歓声に包まれました。
金はコーナーに戻ると意識を失い、担架で病院に運ばれました。そのまま緊急手術が行われますが、生命維持装置を付けた脳死状態となってしまったのです。
号泣する金の母親がテレビで放送され、世界に大きな衝撃を与えました。そして4日後の11月17日、回復の見込みのない金は生命維持装置を外され、この世を去りました。

しかし、悲劇はこれだけではなかったのです。3か月後、金の母が後を追って自殺。さらに翌月には、この試合をさばいたレフェリー、リチャード・グリーネも、試合を止めるのがおそすぎたと批判を受け、自殺してしまいました。

この一連の悲劇にボクシング界は大きく動揺しました。
これまで世界戦は15R制でしたが、WBCが12R制にすると、しばらくして他の団体、WBA・IBFも12R制を導入しました。
以降この12R制は現代でも世界戦において継承されています。

12R制は多くの議論を生みました。
当時世界戦が15R制だった時代、13Rは劇的な逆転が多く生まれる”魔の13ラウンド”と言われ、13R以降の展開で数々の名試合が生まれてきたからです。

このリング禍は、試合をした選手のみならず、選手の家族やレフェリーまでもを死に追い込み、ボクシングルールのラウンドを3つも少なくし、大きな影響を与えたものでした。

さいごに

格闘技において勝敗の決着はいくつかあります。テンカウントのKO、スリーノックダウンでのKO、判定、サブミッションによる一本など。
その中には、目まぐるしい展開の中で瞬間的に、適切な判断が求められるレフェリーストップやセコンドによる棄権でのTKO決着があります。
このTKOは現代になるにつれ、より早く、よりセーフティに判断されるようになりました。
それ故に、「判断が早すぎる」「昔に比べてエキサイティングな試合が見られなくなった」との声も多く聞きます。

これまで紹介した試合でわかることは、大きな一発や派手なダウンによるダメージよりも、小さい衝撃を数多くを受け続けたダメージの方が危険ということです。
テンカウントや分かりやすいダメージのダウンであれば、簡単に試合を止めることはできますが、パンチをもらい続けながらも、倒れない選手の場合はストップの判断が非常に難しくなります。

山中慎介選手が1回目のルイス・ネリ戦でセコンドの独断によりTKOとなった試合では、ジムの会長をはじめ「早すぎる」という声や、それに対する批判など物議を醸しました。

しかし、判断が早いことは悪いと言えるのでしょうか?エキサイティングな試合の代償はないのでしょうか?
ボクシングにおいて「早すぎるストップは、遅すぎるストップよりはるかに良い」という格言があります。

格闘技のルールを変えるということは、格闘技としての面白さと選手の安全を天秤にかけることになると思います。
それは我々格闘技ファンの求める声によって左右されます。

みなさんはどう考えますか?

少なくとも今回の記事を通じて、常に命をかけている格闘家への尊敬や理解を深めていただけたら嬉しく思います。

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