井上尚弥。
ニックネームは”モンスター”、”日本ボクシング史上最高傑作”。
もともと怪物というニックネームでしたが、世界的な評価を得るにつれモンスターと呼ばれることが多くなりました。
プロ入りから、これまで日本ライトフライ級タイトル、東洋太平洋ライトフライ級タイトル、WBC世界ライトフライ級タイトル、WBO世界スーパーフライ級タイトル、WBA・IBF・WBC・WBO統一世界バンタム級タイトルを獲得しており、フルトンに勝利すればWBC・WBO統一世界スーパーバンタム級タイトル獲得となります。
2つ年上の姉と,2つ下に弟がおり、弟の拓真(たくま)選手、従兄弟の井上浩樹(こうき)選手もプロボクサーで、父親の真吾さんはアマチュアのボクサーでした。
そんなボクシング一家に生まれた井上選手の生い立ちや、アマチュア時代、そしてプロでのキャリアに迫ります。
プロデビュー前
幼少期
1993年4月10日神奈川県座間市生まれ、塗装業のかたわらアマチュアボクサーだった父真吾さんの影響で、5歳からボクシングを始めます。
父親の真吾さんは当時を振り返って「できるだけナオからはボクシングを遠ざけていた」と語っている通り、あまり子供にボクシングをやらせたくなかったようです。
井上選手は幼稚園の頃はサッカークラブに所属していましたが、小学校に進学する際に「サッカーかボクシングどっちがやりたい?」
と質問され、ボクシングを選んだといいます。ボクシングを始めてから父真吾さんは徹底的に基本を教えました。
特に鏡の前でのステップワークとワンツーは世界王者になったいまでも毎日続けているとのことです。
アマチュア時代
デビューは小学校6年生の時でした、ちびっこスパーリング大会に出場し、年上の相手に勝利を収めています。
しかし当時を振り返り井上選手は「恐怖でしかなかった」と語っています。これまでは身内で練習やスパーリングを行っていましたが、それがいきなり他人との試合をすることに戸惑いを感じていたそうです。
将来の怪物もデビュー戦は緊張したようですね。
中学3年時には、U-15(アンダーフィフティーン)の全国大会に出場し、優秀選手賞を受賞。幼い頃から才能を見せつけます。
高校に進学した後は選抜、インターハイ、国体の3大タイトルを含む7冠(当時史上初)を達成。
また国際大会ではアジアユース選手権で銅メダルを獲得し、世界ユース選手権ではベスト16入りをしています。
2011年に行われたインドネシア大統領杯では金メダルに輝いていますが、ロンドンオリンピックのアジア予選決勝でカザフスタンの選手に僅差のポイント負けを喫したためプロ転向を決意しました。
もし、この試合で井上選手が勝っていたらロンドンオリンピックに出場していたと思うと、それもわくわくする展開ですね。
アマチュアでの最終戦績は81戦75勝(48RSC)6敗となっています。
2分3ラウンド制でヘッドギアの着用が義務付けられている高校生のアマチュアボクシングで、このKO率は破格といえます。(RCSはプロでいうTKOに相当する)
プロデビュー~日本チャンピオン・東洋太平洋チャンピオンへ
プロデビュー
プロデビューにあたって井上選手は大橋ジムと契約します。井上選手は契約の際大橋会長に「強い相手としかやらない」と言ったそうです。
そしてデビュー会見の際には大橋会長が記者から「会長は150年に1人の天才といわれてデビューしましたが井上選手は?」と聞かれると「彼は怪物です」と答えたことから怪物のあだ名がついたといわれています。
しかし井上選手本人は当初、「名前負けしている感じがしてこのニックネームが嫌だった」と語っていますが、現在では「会長に感謝しています」というほど気に入っているようです。
デビューに先立って行われたプロテストの実技試験では、現役の日本ライトフライ王者でもある黒田選手相手に行われ、見事な内容で合格しています。
プロテストの相手が現役の日本王者というのは異例のことだそうです。
クリソン・オマヤオ(フィリピン)戦
デビュー戦は2012年10月2日フィリピンミニマム級王者、東洋太平洋7位のクリソン・オマヤオ(フィリピン)を相手に行われました。
井上選手はこのデビュー戦に向けて110ラウンドのスパーリングをしてきましたが、その相手は世界ランカ―や、日本ランカーだったといいます。
しかもそれらの相手を圧倒して、多くの選手が井上選手とのスパーリングを断っていたほどでした。
そして、特例で25年ぶりのA級(8回戦)デビューとなります。
なおA級でデビューするボクサーはプロボクシングでは25年ぶりです。
デビュー戦で22戦のフィリピン王者が相手とは、いかに井上選手の評価が高いかを表していますね。
立ち見も出た超満員の後楽園ホールで行われたこの試合は、観客の期待に応えるものとなります。
試合が始まると、すぐに実力差が明白になります。
井上選手はオマヤオのパンチを紙一重でかわし、オマヤオはスピードについていけていないように見えます。
そして1R中盤、井上選手のジャブからのボディーストレートが決まります。
みぞおちをえぐるようなパンチです。
このボディストレートを打つ前に、井上選手は何度か顔面への右ストレートを打っており、ボディストレートはこれが一発目でした。
不意をつかれたオマヤオはガードができず、もろに食らってしまいました。
なんとか立ち上がるオマヤオですが、完全に腰が引けてしまいます。
しかし、井上選手は無理をして仕留めに行かずゴング。
2Rを井上選手優勢で終え、3Rにはオマヤオを完全に見切った井上選手が、右ボディフックでオマヤオをぐらつかせ、一方的に攻め立てます。
そして迎えた4R、井上選手の強烈な一撃が決まります。
ラウンド中盤、井上選手が左右のボディを立て続けに入れていきます。
そして、オマヤオがクリンチ気味に前のめりになると、井上選手が右にステップし左ボディアッパーをオマヤオのみぞおちに突き刺します。
悶絶するオマヤオ。態勢を整え、力を込めた井上選手渾身のボディブロー。
当たった瞬間鈍い音がはっきりと聞こえ、その威力は想像を絶します。
オマヤオはその場から立ち上がれず、井上選手のKO勝利となりました。
見事超満員の期待に答えた井上選手。
しかし試合後、
「ガードがラフだった。明日からでも練習したい」
とストイックなコメントを残しました。
このひたむきさと向上心が井上選手の強さの秘訣なのでしょう。
怪物のプロキャリア幕開けに相応しい試合でした。
ライトフライ級時代
ガオプラチャン・チュワタナ(タイ)戦
2戦目はタイ国内2階級王者のガオプラチャン・チュワタナ(タイ)です。
当初は、世界ランカーを予定していましたが、衝撃のデビュー戦をYouTubeで見た世界ランカーが対戦をドタキャン。交渉4人目にして決定したのでした。
この試合は先輩の元世界王者の八重樫選手を前座にメインイベントで行われ、テレビ中継もされるなど、2戦目とは思えない注目度でした。
試合が始まると、井上選手は慎重に距離を取りながらジャブを打ち込んできます。
そして1R1分半過ぎ、突っ込んできたチュワタナに左フックのカウンターが炸裂。
一撃でキャンバスに沈んだチュワタナは足元が定まらず試合終了となりました。
後に井上選手の代名詞となる左フックのカウンターと瞬殺劇は2戦目にして始まることになります。
実はこの試合、試合経験を積むために、真吾トレーナーはすぐに倒さないように指示を出していましたが、井上選手は思わず倒してしまいました。
衝撃のKOでしたが、わずか2分足らずで試合が終わったことに対して井上選手は「KO勝利はうれしいけど足を運んでくれた皆さんに申し訳ない」と、2戦目の選手とは思えない余裕っぷりと大物っぷりを垣間見せました。
後にこの試合をみたアメリカのボクシング関係者は「シュガー・レイ・ロビンソンのようだ」と絶賛しています。
伝説の王者を引き合いに出すあたりに、井上選手の非凡性とアメリカでの話題性がうかがえますね。
佐野友樹戦
続く3戦目はプロでは初めてとなる日本人、佐野友樹選手相手に行われました。
佐野選手は日本ランク1位で17勝12KO2敗4分け、高いKO率を持つ31歳のベテランです。
プロデビュー戦、2戦目と衝撃のKOで試合を終わらせた井上選手の強さに誰もが試合を断る中、佐野選手は試合を引き受けました。
佐野選手は右目に白内障を患っており1年近く試合から遠ざかっていました。
「もしかしたら現役生活はそう長くないかもしれない。だから、消化試合のような相手とはやりたくない。強い奴とやりたい。
31歳だったし、待っていてもチャンスは来ない。僕だって怖い。だけど、逃げたくない。」
という思いがあったそうです。
この試合は国内のノンタイトル戦でありながら、地上波のゴールデンで放送されるという異例の注目度でした。
MCを務めた千原ジュニアさんは
「間違いなく、伝説のチャンピオンになるであろう男の試合を目にすることができる数少ない機会です。」
と、すでに井上選手の怪物っぷりを確信していました。
試合が始まると井上選手優勢で探り合いが続きますが、1分半に井上選手の左アッパーがヒットします。
このアッパーで佐野選手は右のまぶたをカット。
その威力は右目だけでなく左目も見えなくなるほどだったといいます。
佐野選手はこのときのことを
「最初の1分くらいで読まれているなと感じました。僕がこう動くと分かっていて、あのアッパーを打ってきたんです」
と語っています。
そして2R、井上選手は左フックでダウンを奪います。
立ち上がるも、圧倒される佐野選手。
なんとかしのぎきりますが、KOされるのは時間の問題だと思われていました。
しかし3R、井上選手に異変が起きます。
右ストレートが佐野選手の頭蓋骨をとらえた瞬間、鈍い音が響きます。
右拳を痛めたのです。
これ以降、なんとほぼ左腕一本で戦います。
プロ3戦目の新人が日本ランカー相手に片手で戦うという、過酷な任務を課されることになりました。
しかし、それでも4Rには再びダウンを奪ってみせます。
それ以降も終始圧倒しますが、佐野選手も根性で粘ります。
打たれても打たれても諦めないベテランに、しだいに井上選手の派手なKOを見に来たはずの観客から佐野コールが沸き起こります。
止められてもおかしくない状況でしたが、井上選手にも疲れが見え始め最終ラウンド。
まぶたから出血し打たれ続ける佐野選手を見たレフェリーはついに試合を止めました。
この時レフェリーは佐野選手に「佐野、ごめんな」とささやいたそうです。
佐野選手の勇姿を見てレフェリーとしても最後までやらせてやりたかったのでしょう。
試合後、佐野選手のブログやジムには「感動した」というコメントや電話が殺到したそうです。
以降、井上選手はハードパンチャーの宿命でもある拳の怪我に悩まされることになります。
佐野選手はその後、1試合をはさみ網膜剥離を患い引退しています。
そして5年半後
「あのとき僕ができることはやりきった。一生、忘れられません」
と語っています。
そしてデビュー3戦目の選手が日本1位をほぼ左1本で倒してしまうなど、とてつもないことです。
日本チャンピオンへ
田口良一戦
続く4戦目は日本タイトルに挑戦します。相手は世界ランキング11位の田口良一選手です。
井上選手の衝撃的なKOに隠れがちなこの試合ですが、井上選手を語る上で外せない名試合です。
実は二人の物語はこの約1年前から始まっていました。
井上選手は高校卒業したばかりでまだプロデビュー前、田口選手は日本ランク1位の頃です。
井上選手から田口選手にスパーリングの申込みがあったのです。
当時から評価の高かった井上選手ですが、日本王者と引き分けたことのある田口選手は「いくら強いと言っても相手は高校生。いい勝負にはなるだろう」と思っていたそうです。
しかし、結果は2度ダウンを奪われストップがかかり、4Rの予定が3Rで終了。スパーリング、試合を通してダウン経験のなかった田口選手がKOされてしまったのです。
それもそのはず、井上選手は当時すでに世界チャンピオンの八重樫選手が、スパーリングで「ボコボコにされた」と言うほどの実力で、スパーリングを受けてくれる選手がいないほどでした。
アマと日本ランカーのスパーリングであるにもかかわらず多くのギャラリーが見守る中、何もできず負けてしまった田口選手は屈辱で頭が真っ白になったといいます。
そして、悔しくて泣いたそうです。
しかしその後、田口選手は『もっとやれたはず』と今までよりも濃い練習を重ねました。
そして、1年の時が経ち田口選手は日本チャンピオンになり、初防衛として井上選手の挑戦を受けるのがこの試合となります。
1年前は『本気で殺しに来ている』と井上選手の殺気に驚いた田口選手ですが、「井上くんとやりたい」と会長につげたのです。
当時、井上選手の実力に多くの選手が試合を避けていましたが、田口選手は『逃げたと思われたくなかった』そうです。
井上選手の強さを肌で感じながらも、リベンジとして迎え入れる田口選手に男気とファイターとしてのかっこよさを感じますね。
そして、ジムの会長は「井上選手に勝ったら世界戦をやらせてやる」と約束したそうです。
試合が始まると、井上選手は鋭いジャブを突いていきます。一方しっかり顎を引きガードを固め、慎重に距離を取る田口選手。
田口選手が後に「左フックを打つ時にガードが開く」と語っていた通り、左フックの打ち終わりを狙う場面も見られます。
井上選手の攻撃に防戦一方にならずに打ち返します。要所要所でいい動きを見せる田口選手。
緊迫した時間が続きますが、徐々に井上選手が試合を掌握していきます。
田口選手のパンチを見切り、自分のパンチだけを当てていく井上選手。
打たれながらも決して逃げない田口選手。
所々良いパンチを当てますが、相手は井上尚弥。闘争心も怪物でした。
4Rには、ボディストレートからのアッパーで田口選手の顎を跳ね上げます。
普通の選手ならKOとなってもおかしくないほどの一撃でしたが田口選手は耐えきります。
井上選手の攻撃を受けながらも時折、一発を当てていく田口選手。
この試合のためにハンマーを使って練習したという左フックです。
強打を被弾しながらも気持ちで負けない田口選手に会場が沸きます。
井上選手はかなりしぶとい相手だと思ったのではないでしょうか。
試合は最終Rになりますが、両者失速するどころか全力で打ち合います。
一体どこにこんな体力が残っているのでしょう。
試合終了のゴングが鳴り、フラフラになりながら抱き合う両者。
死闘を繰り広げた二人に会場からは惜しみない拍手が送られました。
判定結果は3-0で井上選手。日本タイトル獲得となりました。
プロ入りから4戦目での日本タイトル奪取は、辰吉丈一郎選手以来23年ぶりの快挙となります。
試合後、田口選手のジムの会長は、負けたもののその戦いぶりに「絶対に世界戦をやらせてやるからな」と約束したそうです。
田口選手はこの試合から約1年半後に世界王者になり、2団体の世界王座を統一。やはり田口選手もただ者ではなかったわけですね。
そして、
「井上君より強い相手はいないと思ったら自信を持って試合に臨めたし、あの試合がなかったら世界チャンピオンにはなれなかったかもしれないとも思っています」
と、後にこの試合のことを振り返っています。
井上選手もまた、田口選手を”今までで戦った最強の相手”に上げ、両者にとって特別な試合となりました。
判定決着となったこの試合ですが、多くの人が井上選手のライトフライ級のベストバウトに上げる白熱した試合でした。
また、田口選手は井上選手が唯一ダウンを奪えなかった相手です。(2023.6現在)
東洋太平洋チャンピオンへ
へルソン・マンシオ戦
井上選手の5戦目の相手は2013年12月に行われた東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチでした。
同級2位へルソン・マンシオ(フィリピン)との決定戦。マンシオはこれまで18勝9KO3敗3分けのレコード。
ブンブン大きなパンチを振ってくる相手ですが、井上選手は初回から冷静にカウンターを合わせクリーンヒットを当てていきます。
井上選手はどうしても攻撃力に注目されがちですが、相手のパンチを見切る目の良さも持っている選手です。そしてカウンターを合わせる技術も素晴らしいです。
この試合でも2ラウンドにはダウンを奪い、5ラウンドに連打をまとめレフリーストップを呼び込み勝利。
OPBF東洋太平洋のタイトルを獲得しました。
世界チャンピオンへ
アドリアン・エルナンデス戦
そして翌年の2014年4月、プロ入りわずか6戦目にしてWBCライトフライ級世界タイトルへの挑戦が決定しました。
対戦相手はアドリアン・エルナンデス。32戦29勝18KO2敗1分。
プロ8年目で、世界王座を2度獲得、今回が5度目の防衛のベテラン王者です。
年齢も28歳とピークを迎えていました。
一方、井上選手はプロ入りわずか6戦目にして初の世界タイトルマッチ。
これに勝てば日本最短の世界王者誕生ですが、「世界挑戦はまだ早い」という声も少なからずありました。
井上選手にとって大事な初世界挑戦ですが、予期せぬ事態が起きていました。
試合の3週間前、インフルエンザにかかってしまったのです。
このせいで、1週間減量のための練習ができず、2週間で10キロもの体重を落とす過酷な減量を強いられます。
元々、ライトフライ級では減量がきつかった井上選手。計量前の3日間はほぼ絶飲絶食だったそうです。
そして、この無理な減量は大きな代償を払うことになるのでした。
一方、エルナンデスは井上選手について
「いいセンスを持っているけれど、このレベルの試合を経験していない。ちょっと早いかな」
と自信をのぞかせています。
計量直後の撮影時には、「お前も食べるか?」と井上選手に食べかけのバナナを渡します。
試合が始まると、序盤から井上選手が圧倒してみせます。
エルナンデスのパンチを見切り、ボディストレートでよろめかせると会場がどよめきます。
世界王者相手に強烈なパンチを打ち込んでいく井上選手。
試合を見ていた人は「強いとは思っていたがここまで強いのか。井上尚弥の強さは本物だ」と思ったでしょう。
今でこそ、世界王者をあっという間に倒すのが当たり前の井上選手ですが、当時のファンには衝撃的な光景でした。
2R目も一方的に攻める井上選手。このままKOするのも時間の問題だと思われました。
しかし迎えた3R、思わぬアクシデントが起きてしまいます。
ラウンド中盤、井上選手の左脚が痙攣し始めたのです。
試合前の無理な減量は、少しづつ井上選手の身体を蝕んでいました。
痙攣の影響を見せずに強いパンチを打ち込んでいく井上選手ですが、4Rからエルナンデスが前に出てきます。
そして5R、ついに井上選手の左脚がつり始めます。
動きが鈍くなり、これまでステップワークでかわしていたパンチをガードで受けるようになる井上選手。
エルナンデスはここぞとばかりに打ち込んできます。
5Rが終了し、井上選手は『このままでは脚がもたない』と思ったそうです。
そして、6Rで倒しに行くことを決意したのです。
6R、被弾しながらも強打を打ち込んでいく井上選手。珍しくインファイトで打ち合いに挑みます。
怪物は打ち合いでも強さを発揮します。
そして、次第にパンチを効かせていき、「狙っていた」という右の打ち下ろしをヒット。
エルナンデスがキャンバスに沈みます。
ゆっくりと立ち上がるエルナンデスですが、すでにその目に戦闘意志はありませんでした。
カウントを数えるレフェリーに背を向けるエルナンデス。
それを見たレフェリーは試合終了を告げました。
キャンバスに倒れ込んで喜ぶ井上選手。陣営と初の世界タイトル戴冠の喜びを分かち合います。
父、真吾トレーナーに肩車されガッツポーズをする井上選手。
その表情を見ると、怪物とはいえ一人の20歳の青年なんだなということがわかります。
試合後、井上選手は
「あそこまで打ち合ったのは初めて。強い相手で苦しかったけど、本当に楽しかった。ボクシングは素晴らしいですね」
と語り、アマ時代でも経験のなかったアクシデントに見舞われたにもかかわらず試合を楽しみ、メンタルでも怪物級ということが垣間見えました。
この試合で井上選手は、WBCの2014年4月度MVPを獲得。
アクシデントに見舞われながらも、見事日本人最速の世界チャンピオンとなったのでした。
サマートレック・ゴーキャットジム(タイ)戦
減量苦のためすぐにタイトルを返上して、階級を上げることも考えていた井上陣営ですが「防衛戦をするのは王者の務め」
として初防衛のリングに上がります。
相手は同級13位のサマートレック・ゴーキャットジム(タイ)。
WBC世界ライトフライ級13位で戦績は17勝5KO4敗。ムエタイの試合経験は200戦以上の選手です。
しかし井上選手は初回から攻め立て、挑戦者を圧倒します。
4ラウンド、6ラウンドにダウンを奪い11ラウンドTKO勝ちで、危なげなく初防衛に成功します。
圧倒的な内容で勝利した井上選手でしたが、ハードルの上がった観客からは「早く倒せ」と声が飛び、井上選手も「情けない試合」と、とてもKOで初防衛したとは思えない表情でした。
そして、この試合を最後に階級を上げる事を宣言しました。
二階級制覇~スーパーフライ級時代~
オマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦
一気に2階級アップした井上選手、それだけ減量がきつかったのでしょう。
2014年12月、スーパーフライ級初戦にしていきなりWBO世界タイトルへの挑戦が決まります。
相手のオマール・ナルバエスはフライ級世界王座を16連続防衛、スーパーフライ級王座を11連続防衛中のレジェンド級チャンピオンです。
アマチュア時代には世界選手権に2度出場し銀メダルと銅メダルを獲得、オリンピックにも2度出場。(アトランタ、シドニー大会)。
強固なガードを持った選手で、プロ・アマを通じて150戦20年以上の経験がありながら、一度もダウン経験がなく43勝1敗2分。
唯一の黒星はあのドネアからの判定負けのみで、フライ級、スーパーフライ級では14年間無敗でした。
井上選手はこれに勝てば、当時世界最速の8戦目での2階級制覇ですが、前戦のライトフライ級からフライ級を飛ばし、一気に2階級上げての挑戦となります。
実は元々フライ級に挑戦する予定だった井上選手ですが、WBAフライ級王者レベコとのマッチメイクが難航していました。
そこで、ナルバエスもマネージメントしていたレベコのマネージャーがナルバエスとの対戦を打診してきたのです。
一気に2階級上げての挑戦、しかも相手はあのナルバエス。大橋会長は悩み、井上選手と真吾トレーナーに相談します。
このとき大橋会長は、二人が少しでも迷ったら断ろうと考えていました。
しかし、二人は即答でやりたいと答え、いけると確信しこの試合を決めたそうです。
試合前、ナルバエスに唯一の黒星をつけたドネアが井上選手を直接指導し、対策を伝授しました。
今でこそPFPの井上選手ですが、当時はまだ世界戦3戦目。
21歳の、レジェンドへの挑戦に「時期尚早」との声もありました。
井上選手も「お客さんからブーイングされるような内容でもいいから勝つ」と語るほどです。
しかしその日、井上選手が観客から受けるのはブイーングではなく、称賛と拍手でした。
試合は早々に大きく動きます。
1R25秒、井上選手が右のオーバーハンドをナルバエスのおでこに叩きつけ、さらにガードの上から叩き込みダウンを奪います。
試合開始30秒も経っていない時点で、ダウン経験のない王者がダウンしたのです。
ゲストの香川照之さんは「ナルバエスが倒されるなんてないですよ」と言い、その興奮した様子がいかにこの光景が信じられないことかを表していました。
初めに効かせたパンチが当たった場所はおでこで、顎やテンプルといった急所ではありません。
そして、ダウンを奪ったパンチはガードの上からでした。
このあまりのパワーにナルバエス、観客はもちろん、井上選手自身も驚いていました
この時のパンチで、そのパワー故に右拳を痛めたのです。
のちに井上選手はこのときのことを
「最初に強いパンチを打ち込むという作戦でしたが、あの一発は自分でも驚きました。試合でテンションも上がっていて、練習で打つのとはわけが違う。ライトフライの時の感覚で打ったら、骨がビリビリって。階級を上げたことによる3.2キロが、こんなに違うんだと痛感しました」
と語っています。
立ち上がるナルバエスに井上選手が冷静に詰め、ボディに打ち分けた後、左フックをテンプルにかすらせ再びダウンを奪います。
ラウンドはまだ残り1分半ですが、そこは百戦錬磨のナルバエス。井上選手の猛攻をなんとかしのいでみせます。
1R終了のゴングが鳴ると、観客から興奮の拍手が沸き起こります。
2R、少しづつ反撃するナルバエスですが、直ぐに井上選手の倍返しが待っている状況を打開できません。
そしてラウンド中盤、前に出てきたナルバエスを待っていたのは井上選手得意の、下がりながらの左フックのカウンターでした。
井上選手のジャブに合わせてきたナルバエスの右を、バックステップと少しのスウェーでかわし、ドンピシャでテンプルを打ち抜きます。
この試合以外でも井上選手がよく使うカウンターですが、このギリギリの距離感があるからこそなせる技です。
ヨロリとキャンバスに膝をついたナルバエス、直ぐに立ち上がります。
この試合3度めのダウンですが、この打たれ強さはさすがは元ダウン経験なしの王者です。
ここで仕留めたい井上選手ですが、ナルバエスは1R同様がっちり顔面のガードを固めます。
しかし、右拳を痛めている井上選手は強く打ち込めません。
そこで井上選手が選んだのはボディ攻めでした。
ダブルジャブからの右ボディフック。左右の顔面へのフックから左ボディフック。ダブルジャブから左ボディフック。
そして最後は、右アッパーから左ボディフックです。
この右アッパーからの左ボディフックは、井上選手が最も得意とするボディのコンビネーションで、多くの試合をこのボディで決めてきました。
立て続けに強烈なボディを食らったナルバエスは少し間をおいてキャンバスに座り込みます。
苦悶の表情を浮かべるナルバエスは立ち上がれず、井上選手のKO勝利となりました。
当時世界最速の2階級制覇。しかも、レジェンド相手に2RKO。
この圧倒劇に、観客や相手陣営はもちろん、井上陣営も衝撃だったでしょう。
最後のフィニッシュブローをスローで見てみると、ナルバエスの右脇腹、レバーのある位置に井上選手の左手が強烈にめり込んでいるのがわかります。
ナルバエスはこのダウンについて「気力ではなく体が限界だった」と語っています。
レジェンドを初KOするのにふさわしいパンチでした。
試合後ナルバエス陣営は井上選手のあまりのパワーに「井上はグローブに何か仕込んでいないか?」とチェックを要請します。
それほどナルバエスがあんなに簡単に倒されるなど、信じられなかったのでしょう。
しかし、井上陣営はすぐにグローブを取り何も仕込んでいないことを見せると「素晴らしいチャンピオンだ」と納得しました。
全盛期のドネアを相手にしても「パンチを効かされたことはない」と語っていたナルバエスですが、井上選手のパンチについては
「1R目からパンチ力に驚いた。本当に強かった。もっと上の階級のパンチ力だったし、パンチが速過ぎて見えなかった。イノウエはドネアより強かった、彼は歴史的な王者になれる」と語っています。
この試合は王者の地元アルゼンチンでも放送されましたが、解説陣は「あの左フックはドネアのようだ、彼はローマン・ゴンサレスにも勝てるのではないか」と井上選手を絶賛しています。
試合後、見たことのない父親の姿にリング上で泣きじゃくるナルバエスジュニアくんですが、井上選手との年齢差は奇(く)しくも、父親のナルバエスと井上選手の年齢差と同じ18歳差です。
父親と二人三脚でボクシングをしているナルバエスジュニアくんは現在アマの国内王者。
境遇も井上選手と似ているこの息子が将来、同じ年齢で井上選手と戦うことがあればドラマチックな展開ですね。
井上選手はこの年、海外の様々なボクシングサイトから年間MVPに選ばれ、日本ボクシングコミッションからはこの年の最優秀選手賞、KO賞、そしてこの試合は年間最高試合に選出されました。
本当の意味で井上選手の怪物ぶりを見せつけた試合でした。
そして、痛めた拳は手術することになり、1年間試合から遠ざかることとなります。
スーパーフライ級防衛
ワーリト・パレナス(フィリピン)戦
1年ぶりとなる試合は初防衛戦、相手はランキング1位のワーリト・パレナス(フィリピン)選手です。
24勝中21KOのハードパンチャーで元世界王者をスパーリングでダウンさせたこともある強豪です。
入場時、弱冠表情が硬かった井上選手ですが、時折笑顔も見せます。
井上選手は初回から果敢に攻めます、1年のブランクが心配されましたが、全くブランクを感じさせない戦いぶりでした。
パンチのスピード、パワー、相手のパンチへの反応等はとても良く、好調を伺わせます。
開始早々にパワーのあるワンツーを打ち込みますがパレナスは首を振りながらニヤリと笑います。
その後も、「こんなものか」というような動作で井上選手のパンチに首をかしげます。
そして、三度(みたび)井上選手がガードの上から打ち込むと、さらに首をかしげます。これには井上選手もニヤリと笑い返します。
この時、もしかしたらパレナスは、押してはいけないスイッチを押したのかもしれません。
パレナスのパンチをかわし、ジャブやカウンター、コンビネーションを当てていく井上選手。徐々にパレナスの余裕がなくなっていきます。
そして、2R(0:27)井上選手が離れ際に飛び込んでの左フックをヒットさせます。
ふらつき後退するパレナスに、井上選手がラッシュをかけます。
ガードの上から強打を叩きつける井上選手、パレナスがぐらつくとさらにガードの上から強打を振り回しダウンを奪います。
スーパーフライ級の試合でガードの上から選手が吹き飛ばされる、という異様な光景です。
なんとか立ち上がるパレナスですが、井上選手がすぐにラッシュをかけダウン。悔しそうにキャンバスを叩くパレナスですが、レフェリーは試合を止めTKO負けとなりました。
試合前、「ファンを楽しませる試合になると思うし、たぶんKO決着でしょう」と語っていたパレナスですが、皮肉にもそれは別の意味で実現してしまいました。
試合後、パレナスは
「2Rにダウンしたパンチはスピードが速すぎて見えなかった」
「想像していたよりも強かった」
と語っていました。
ダビド・カルモナ(メキシコ)戦
2度目の防衛戦はランキング1位、指名挑戦者のダビド・カルモナ(メキシコ)選手を迎えて行われました。
井上選手はこの2試合前のナルバエス戦で右拳を痛め手術をしていました。
そして約1年後にパレナスを衝撃のKOで破り、その約5ヶ月後に組まれたのがこの試合です。
拳の怪我を治し、前戦も快勝。
「調子は今までで一番いい」という万全な状態で、今回も即KOが期待されていましたがボクシングの神様は甘くありませんでした。
試合が始まると、井上選手がいきなり強打を打ち込んでいきます。
ガードの上からでもわかるパワーに、会場がどよめきます。
1Rからカルモナのパンチを見切り、ジャブと右ストレートを中心にカルモナをぐらつかせます。
そのスピードとパワーから調子のよさをうかがわせ、1R終了時、見ていた多くの人はKOも時間の問題だと思ったでしょう。
しかし2R、井上選手の勢いは弱まり明らかに右の数が減ります。
井上選手はこの時、右の拳に異変を感じていました。
またも試合中に拳を痛めたのです。
しかも、まだ試合は始まったばかり。井上選手のプランは大きく崩れます。
L字ガードから鋭いジャブを当てていきますが、時々放つ右ストレートにはパワーがありません。
続く3R、強い右が出せない井上選手はフットワークと左で試合をコントロールします。
このままでもポイントアウトできると思われますが、井上選手が見せたい試合はファンを驚かせるようなKO劇です。
5R、井上選手は勝負に出ます。
痛めた右拳を使った怒涛のコンビネーションでカルモナを襲います。
しかし、相手もランキング2位の選手。
なんとかこのラウンドを耐えきります。
そして6R、もう強い右を打てないと感じた井上選手は、ここでようやくセコンドに右拳の怪我を伝えます。
真吾トレーナーも「拳が使えないんじゃ、アドバイスのしようもない」とこの状況に手を焼いたそうです。
7R、井上選手はジャブを主体に足を使ったボクシングをします。
そして、その中でKOできる道を模索していたそうです。
ポイントアウトで難なく勝つことができるのに、拳を怪我しながらもインパクトのある試合を見せようとする精神はさすがとしか言えませんね。
しかし今度は多用していた左拳まで痛め始めてしまいます。
ついに両腕とも強いパンチが打てなくなってしまったのです。
この事態に井上選手はジャブと、顔面より柔らかいボディへのパンチを中心に切り替えます。
そして最終ラウンド、井上選手が倒しにかかります。
次々と強烈なボディを打ち込んでいく井上選手。
そしてボディに意識がいったところで顔面へラッシュ。
死力を尽くしマシンガンのようなラッシュを浴びせます。
これにはカルモナもたまらずダウン。
この試合初めてのダウンです。
立ち上がるカルモナ、試合終了まで残り20秒。
クタクタになりながらもパンチを繰り出す井上選手。
いつ止められてもおかしくない状況ですが、ここで試合終了のゴング。
KO決着とは行きませんでしたが、両拳を痛めながらもKO寸前まで追い詰めました。
試合終了後には、負けているはずのカルモナが両腕を上げます。
それほど怪物相手に判定まで耐えたということは価値があることなのでしょう。
カルモナは「自分がもっともイノウエを苦しめた」と完敗ながらも胸を張りました。
しかし、井上選手が拳を痛めていることには気づいていませんでした。
こんなアクシデントの中で、相手に気づかれないほどの実力差を見せつけるのはさすがとしかいえません。
井上選手は試合後「みっともない試合ですみません」とコメント。
普通、両拳痛めながらも圧勝すれば自分を褒めたくなりますが、井上選手にとって自分自身が一番厳しいことがわかりますね。
ペッチバーンボーン・ゴーキャットジム(タイ)戦
カルモナ戦の約4ヶ月後、スーパーフライ級3度目の防衛戦が行われます。
対戦相手はペッチバンボーン・ゴーキャットジム。38勝18KO7敗、16連勝中のランキング1位で、2年前井上選手がKOしたサマートレック・ゴーキャットジムと同門の選手です。
試合前、順調と語る井上選手ですが、その言葉はあるアクシデントを隠していました。
試合が始まると、ジャブとボディを中心に試合を組み立てていく井上選手。
ラウンド終了間際には右のカウンターを効かせ追い詰めます。
2Rもアッパーのプルカウンターを当てるなど、的確にコンパクトなパンチを当てていきます。
いつでも倒せるが無理にいかない。このままいけば近いうちにKOだろう。
そんな余裕そうに見えましたが、実際の井上選手にそんな余裕はありませんでした。
実は試合の2週間前から腰を痛めており、身体をひねれない状態だったのです。
そのような状態では当然パワーパンチは打てません。並の選手では弱いパンチですら難しいでしょう。
試合が進むも決定打は生まれず、井上選手がアウトボクシングに徹する場面も出てきました。
そんな中でもサウスポーにスイッチしたりと、テクニックでも引き出しの多さを見せます。
しかし、腰の痛みはディフェンスにも影響します。
ローブローをアピールしようとガードを下げ珍しく連続して被弾。
再びローブローをするペッチバンボーンにローブローをアピール、焦りからか苛立っていることがわかります。
試合前、父・真吾トレーナーはこの試合に向けて井上選手のディフェンスを強化したかったそうです。
マルケスがパッキャオを一撃KOした試合を見せ、ボクシングの怖さとディフェンスの重要性を説いたといいます。
そして井上選手は試合前、腰の痛みは完治したと真吾トレーナーに伝えていました。
真吾トレーナーにとってこの状況は歯がゆいものだったでしょう。
そして、次第に右の手数が減っていく井上選手。
またしても拳を痛めたのです。
腰の痛みと拳の痛みの二重苦でむかえた10R、多少の被弾を気にせず打ち合いからパンチを効かせます。
フラフラになりながらノーガードでラッシュをかけ、ペッチバンボーンついにダウン。
そしてそのままテンカウントで試合終了。
井上選手は、らしくない戦いながらもこのピンチをKOで終わらせました。
試合が終わった瞬間、井上選手は勝者とは思えない浮かない表情でリング四方に頭を下げます。
そして、リング上で勝利者コールを受ける井上選手ですが、そこに真吾トレーナーの姿はありませんでした。
試合のパフォーマンスに加え、腰痛を隠していたこと、到底納得できるものではなかったでしょう。
記者会見にも現れず、数日家にも帰らないほどでした。
しかしその後、二人は互いの本心を話し合い再び二人三脚で歩むことを決めました。
そしてこの試合以降井上選手は、天心選手なども担当するバンテージ職人のニック永松さんにバンテージを巻いてもらうことになり、以降拳の怪我に悩まされることはなくなりました。
河野公平戦
続く4度目の防衛戦は前WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平選手でした。
スーパーフライ級4度目の防衛となるこの試合は、井上選手にとって世界戦としては初めての日本人対決でした。
対戦相手は河野公平。キャリア16年を誇る苦労人で、アマチュア経験のない叩き上げです。
驚異的なスタミナと手数の多さが特徴の選手で、3度目の世界挑戦でWBAタイトルを獲得しました。
1度王座陥落したもののその後返り咲き、3度の防衛に成功。その中には亀田興毅選手の挑戦を退(しりぞ)けた防衛も含まれます。
井上選手との試合前に王座から陥落していますので、この試合では井上選手のWBOのベルトのみかけられます。
当時、井上選手がなかなか対戦相手が決まらない中、対戦を引き受けた河野選手ですが、この試合の交渉に先立って夫人から「井上くんだけはやめて」と反対されたそうです。
ジムの会長にも「やめたほうがいいんじゃないか」と、断るよう促されました。
河野選手には他にも複数オファーがあり、一番難易度の高い井上戦を選ぶ必要はなかったのです。
しかし河野選手は
「井上くん、当時から無敵だったじゃないですか。無敵の選手に挑戦したいという思いはありましたね」
と、あえて一番強い井上選手との対戦を選んだのです。
試合が始まると、井上選手がレンガのようなジャブを打ち込んでいきます。
最初から泥臭くフルスロットルで攻め立てようと考えていた河野選手ですが、井上選手のジャブがそれを阻みます。
河野選手は後に
「井上選手の左は普通の人の右ストレート並に強くて、右はその3倍の威力だった」
と語るほど、その強打に驚いていました。
しかし、井上選手が強いことは覚悟の上で挑んだこの試合、河野選手は臆することなく前に出て強打を打ち込んでいきます。
冷静にガードする井上選手ですが、これが俺の戦い方だと言わんばかりに拳を叩きつけていく河野選手。
この試合にかける思いが伝わってきます。
しかし、相手はモンスター。河野選手の強打は空を切り井上選手のパンチだけが当たります。
河野選手は
「試合が始まって、最初から見切られている感じがすごくしました。打った瞬間『あれ、もういないのか』」
と感じていたそうです。
井上選手は、顎を引く構えの河野選手対策で練習してきたアッパーを見せ、非情なまでに冷静に的確かつ強力なパンチを打ち込んでいきます。
2R終盤にはボディを効かされ追い詰められる河野選手ですが、なんとか持ちこたえます。
3R、4Rも強烈なパンチを浴び続ける河野選手。一体何発ビッグパンチを被弾したでしょうか。
それでも前に出続ける河野選手に、モンスターも次第にイラ立ち始めます。
その一瞬の気の緩みでした。5R、ついに河野選手のパンチが顔面を捉えます。
5Rが終わると、河野陣営は「最高のラウンドだった」と河野選手を鼓舞します。
6R、河野選手は僅かな希望を胸に、持てる力を振り絞りラッシュをかけます。
しかし、そこに待っていたのはモンスターの強烈な一撃でした。
試合後「誘っていた」と語った井上選手の左フックがカウンターでヒット。
バタンとキャンバスに倒れる河野選手に、勝ちを確信しガッツポーズする井上選手ですが、レフェリーは試合を続行。
しかし、河野選手に耐え切れる力は残っていませんでした。
ガードの上からパンチを打ち込まれると、ズルズルと倒れ、うつろな目で天井を見つめる河野選手。
レフェリーはすぐにTKOを宣告しました。
モンスターの強打を耐え続けた河野選手はしばらく立ち上がれませんでした。(その後、無事立ち上がり井上選手と握手)
試合前に心配していた河野夫人ですが実は妊娠をしていました。
試合後、河野選手はショックで流産しているんじゃないかと不安に思っていたといいます。
しかし、控室に現れた夫人の表情は驚くほどすっきりしており、尊敬の眼差しでこちらを見ていたそうです。
夫人も、河野選手の勇敢な姿に心打たれたのでしょう。
井上選手はこの試合を
「足で捌いたりボディワークでかわしたりするのは出来ていたが、攻め方がブレていたので70点」
と、圧勝だったにもかかわらず辛口の自己採点をしていました。
井上選手のストイックさがわかるコメントですね。
そして、今現在(2023.6)も井上選手の世界戦での日本人対決はこの試合のみになります。
リカルド・ロドリゲス(アメリカ)戦
5度目の防衛戦の相手はランキング2位のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)選手です、現在はアメリカ国籍を保持していますが、メキシコで生まれ育った選手です。
これまで16勝5KO3敗とKO率は低いですが、好戦的なメキシカンスタイルのファイターです。
ロドリゲスは「井上は至近距離に弱点がある」と語り、序盤からパンチを放ちながら前に踏み込み、幾度となく距離を詰めてきます。
しかし井上選手はそれらをジャブで阻み、バックステップやボディワークでかわしていきます。
一方的に打たせずに打っていく井上選手。
2Rにはサウスポーにスイッチして会場を湧かせます。
そして3R、ラッシュでの左のダブルがカウンターで入りダウンを奪います。
立ち上がるロドリゲスですが、(3R1:00)再び左フックのカウンターをくらいKOとなりました。
ロドリゲスは試合終了後しばらく立ち上がれないほどでした。
アントニオ・二エベス(アメリカ)戦
そして6度目となる防衛戦で井上選手は初のアメリカ進出となりました。カルフォルニア州のスタブハブ・センター・テニスコートにて行われたローマン・ゴンサレスVSシーサケット・ソー・ルンヴィサイ戦の前座として登場しました。
メインイベントではないにしろ、井上選手にとっては初となる米国での試合に期待がかかります。
ニエベスはランキング7位で17勝9KO1敗2分け。
この試合はスーパーフライ級で行われましたが、元々バンタム級の選手で
プロボクサーでありながら銀行マンとしても働いています。
開催地はカルフォルニアで、井上選手初のアメリカでの試合となりました。
ニエベスは試合前
「彼はまだ本物であるかテストされていない。試合はほとんど日本で行われていた。過大評価されているか俺がテストしてやる」
と語り
ニエベス陣営は
「イノウエは速いし、パンチがあるのは認めるけど、対戦相手のやる気がないように見える。(過去に戦った)カルモナなんかは勝つ気が無いじゃないか。イノウエは日本でしか試合をしていない。他の場所で同じような試合ができるとは限らない。」
「イノウエは怖がっているだろうね。彼はとても小さい。(ニエベスは元々バンタム級)108パウンド(約49キロ)しかないんだ。」
と言います。
試合が始まると、井上選手の重い右にニエベスはすぐに後退します。
井上選手を小さいと言っていたニエベス陣営は、そのパワーに驚いたことでしょう。
一方、ニエベスの攻撃はすぐに倍返しされます。
2Rになると、試合はより一方的になっていきます。
ラウンド終了間際にはダウン寸前まで追い詰めますが、井上選手が終了10秒前の拍子木をゴングと間違えるミスもあり仕留めきれず。
以降、ガードを固めるニエベスに強烈なパンチを打ち込んでいく井上選手。
時々反撃に出るニエベスですが、井上選手にとってそのパンチを見切るのは簡単な仕事でした。
そして5R、井上選手の強烈なレバーブローが突き刺さり、ニエベスついにダウン。
なんとか立ち上がり、必死に逃げ切ります。
6R、ニエベスの腰は引けており、ダメージは明らかです。
消極的なニエベスに井上選手も打ってこいとアピールします。
そして6R終了時、ニエベス陣営はレフェリーにギブアップを宣告。
試合を諦めたのでした。
ニエベスは試合後
「彼はとどまることがなかった。情け容赦なかった」
とコメント。
あれほど自身満々だったニエベス陣営の心ごとノックアウトしたのでした。
この試合後の2017年10月には長男の秋波(あきは)君が誕生しています。
ヨアン・ボワイヨ(フランス)戦
スーパーフライ級ではラストの試合となる7度目の防衛戦では、ランキング6位のヨアン・ボワイヨ(フランス)選手を迎えます。
井上選手の強さに、対戦相手がなかなか決まらないなか、ボワイヨはオファーを受けいれました。
170㎝と176㎝のリーチという恵まれた体型で、ここまで41勝26KO4敗、そして目下31連勝中と波に乗る挑戦者です。
井上選手は初回はガードを高く上げ、様子を見ていきますが、それだけでも相手にプレッシャーがかかっている印象を与えます。
オープニングヒットは井上選手のボディーショットでしたが、それだけで会場はどよめきます。
1R終盤には右クロスをヒットしボワイヨをぐらつかせます。
さらにラウンド終了間際、左でダウンを奪います。
そして3R、ボディーで3度のダウンを奪い完勝しています。
試合後、海外メディアは「なぜ、対戦相手探しが大変なのか、すぐに分かった」とモンスターを絶賛。
井上選手は勝利者インタビューで「なかなか相手が決まらなかった中で試合を承諾してくれた相手に感謝します。この階級では物足りないとこがあるので1つ上のバンタム級も視野に入れてる」と、階級を上げることを示唆しました。
3階級制覇~バンタム級時代~
ジェイミー・マクドネル(イギリス)戦
前回から半年後、WBAバンタム級王者ジェイミー・マクドネルとタイトルマッチが組まれます。
この試合は、井上選手がスーパーフライ級から1階級上げたバンタム級での初めての試合で、これに勝てば3階級制覇になります。
相手のマクドネルは10年間無敗、これまでに同王座を5度防衛している強豪で、その中には亀田和毅選手を2度退けた防衛も含まれす。
さらに身長差で10cm(センチ)、リーチ(腕の長さ)差で12cm上回っており、井上選手も「いままで対戦した中で最強」と警戒を強めています。
こんな相手を階級上げての初戦に選ぶとは、井上陣営の自信が伺えますね。
マクドネルは試合前、
「イノウエのファーストネームすらどう発音するかも知らない、俺の方がタフで強い。イージーな相手だ」
と語り、試合前日の計量では1時間以上の遅刻をし、謝る素振りもなかったそうです。
これには井上選手も
「ふざけているなと思います。謝る態度1つなくて王者陣営の態度にイラっとしました。明日はそれをぶつけようと思います。1時間オーバーはないですよ」
と怒りをあらわにし、フェイス・トゥ・フェイスでは眼光鋭く睨みつけ、珍しく熱くなっている様子でした。
この時、マクドネルは減量に失敗しておりその顔は別人のように痩せこけていました。
そして、当日はなんと12キロ増量でリングに上がったのです。
しかし、減量調整もボクシングのうち。井上選手は容赦しませんでした。
試合が始まると、慎重にジャブを放っていくマクドネルですが、いきなり井上選手が豪腕を振り回します。
普段は1Rは慎重に様子を見る井上選手ですが、これだけで熱くなっている様子がわかります。
そして、井上選手が左のオーバーハンド気味のフックを上から叩きつけ、マクドネルをぐらつかせた後、ダウンを奪います。
自分よりも10cmも身長の低い相手に、上から叩きつけるようなフックで効かされたマクドネルは、さぞかし驚いたことでしょう。
ナルバエス戦のときもそうでしたが、普通階級を上げると自分のパワーが通じなくなる”階級の壁”というものが存在しますが、逆にパワーアップするのが井上選手のすごいところです。
試合開始、まだ1分半も経っていない時点でのこの光景に観客は大興奮。
立ち上がるマクドネルですが、そこに待っていたのは井上選手の怒涛のラッシュでした。
ハリケーンに飲み込まれた長身の英国人はキャンバスに崩れ落ちます。
直ぐにTKOを宣告したレフェリーでしたが、割って入るタイミングをうかがいながら慌てて止める様子が、このラッシュの勢いを物語っていました。
16戦目での3階級制覇は日本で最速記録になります。
いつも冷静で隙きを見せない井上選手ですが、この時はノーガードで強打を振り回し続けたのです。
自分よりも体格の大きい選手をガードの上からなぎ倒すなど、とても軽量級の試合とは思えません。
試合後、マクドネルは
「井上選手は本当に強かった。井上はグレート、パンチもあって素晴らしいファイターだ。地球上で1番強いバンタム級の選手と戦えた」
と、語っています。
そして井上選手は試合後のリング上で、バンタム級トーナメントWBSSへの出場を発表しました。
WBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)参戦
WBSSとは1つの階級の強い選手だけを集めて行われるトーナメント戦です。
第一回大会はクルーザー級で行われ、オレクサンドル・ウシクが優勝を飾っています。
そして第二回大会が強者が揃っているバンタム級で行われることとなりました。
7月にモスクワで組み合わせ抽選会が行われ、4人の世界王者を含む計8人のボクサーが集結しました
- WBA王者の井上選手
- 元WBAスーパー王者ファン・カルロス・パヤノ選手
- IBF王者エマニュエル・ロドリゲス選手
- IBFランキング1位ジェイソン・マロニー選手
- WBAスーパー王者ライアン・バーネット選手
- 5階級制覇王者ノニト・ドネア選手
- WBO王者ゾラニ・テテ選手(代役によりステフォンヤングに変更)
- WBAランキング5位ミーシャ・アロイヤン選手
とそうそうたる顔ぶれですが、オッズは井上選手が堂々の1位、2位ロドリゲス、3位バーネットと高い評価を受けています。
また井上選手はリング誌が発表したPFP(全選手が体重同一と想定した場合、全階級で誰が1番強いか)でランキング6位に選ばれています。
1回戦~ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)~
WBSS初戦、準々決勝の相手はファン・カルロス・パヤノ。WBA世界バンタム級タイトルマッチになります。
この試合は井上選手のバンタム級初防衛戦で、英ボクシング専門誌「ボクシングニュース」の”ボクシング史上最も偉大なワンパンチKO50選”に選ばれた衝撃的な試合です。
対戦相手のパヤノはアマチュアで528戦のキャリアを誇り、オリンピックに2度出場している20勝9KO1敗の元WBAスーパー王者で、KO負けの経験はありません。
日本の山中選手と死闘を繰り広げ、世界タイトルを12度防衛したアンセルモ・モレノにも勝っている曲者です。
試合前には
「イウエのパンチが強いからって倒れることはない 俺を倒すには俺を殺すしかないだろう」
と、強い意気込みを見せます。
井上選手も
「アマチュアの実績があり、リスペクトしている。オリンピックにも出場していてテクニックを兼ね備えた選手なので気を抜けない」
と警戒を示しており、「パヤノとの戦いは体力勝負になる」と、過去最高レベルの負荷がかかった練習をこなしたといいます。
試合が始まると、サウスポースタイルのパヤノに対して探るように、グローブをチョンチョンと合わせて様子を見る井上選手。
時折、ボディを放つパヤノ。お互いグローブを合わせながら、時計回りに円を書くようにリングをサークリングしていきます。
緊張の時間が続きますが70秒を過ぎた辺り、井上選手がグローブを合わせるタイミングをずらした瞬間、高速のワンツーがパヤノにヒット。
右にステップしたパヤノを追尾するように、身体を捻っての渾身の右ストレート。
怪物の一閃がパヤノの顎を貫くと、パヤノは後ろ向きに大の字にキャンバス倒れ込みます。
立ち上がろうとするも身体がいうことをきかないパヤノ、わずか70秒でのKOとなりました。
軽量級のボグサーが実質たった一発で相手を失神させたのです。
あっという間の試合終了に、解説を務めた元世界バンタム級王者の山中選手は「紹介される前に終わってしまいましたね」と苦笑いしていました。
そして、この負けはパヤノの8年のプロ・キャリアで初めてのKO負けとなりました。
井上選手はKOパンチを打つまでに、グローブを合わせる行為を約50回ほどしています。
この約60秒間で「すごく駆け引きをしていた」そうです。
パヤノが突っ込んできたときに放ったアッパー。これでパヤノの勢いが止まり、いけると感じたそうです。
左フックを警戒するパヤノをジャブで外側を意識させたといいます。
そしてリズムをずらしたところで、内側からジャブを入れ視界を遮った上で、深く内側に踏み込んで右ストレート。
このワンツーのステップは「子供の頃に父から教わり、今でも毎日続けている」そうです。
井上選手はこのパンチについて
「パーフェクトすぎたという感覚。狙って、計算して入ったパンチです。」
「標的にスポットライトを当てたかのような1本の光の道が見えた。」
と語っていますが、まさに天才にしかわからない境地なのでしょう。
世界中から注目されていたこの大会は、アメリカのテレビでも放送されましたが、解説陣は
「イノウエは世界中に衝撃を与えた」
「完璧なタイミングの右だった」とコメントしていました。
試合後、井上親子があるテレビ番組に出演し「試合が早く終わりすぎて、テレビ局としては困る」と冗談交じりに突っ込まれた際、父の真吾トレーナーは「親としては1秒でも早く(勝って)終わってほしい」と語っていました。
父親としての優しさのあるコメントですね。
そして井上選手は、この年のリングマガジンのノックアウト・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
2回戦~エマニュエル・ロドリゲス(プエルトリコ)~
つづく準決勝の相手はエマニュエル・ロドリゲス。IBF世界タイトルマッチになります。(井上選手はWBAスーパー王者ではなかったので、2団体統一戦とはなりませんでした。)
IBF王者のロドリゲスは1回戦でランキング1位のジェイソン・マロニーを判定で下している選手で、アマチュア171勝11敗、プロでは19戦全勝12KOとパーフェクトレコードを誇り、ダウン経験すらない実力者です。
オッズでは井上選手に次ぐ2位にランクされていて、この試合は実質上の決勝戦と言われていました。
この試合の数ヶ月前、実は井上選手はスランプに陥っていました。
井上選手はバンタム級に上がってからの2試合をいずれも1RKOで勝利しており、『次の試合も1RKOだろう』という周囲からのプレッシャーを受けていたといいます。
しかし、相手は無敗の王者。ファンの上がりすぎたハードルに「練習していても心と体が一致しなかった」そうです。
ジムの大橋会長は井上選手の不調を見て、デビュー7年目で初めてのアドバイスをするほどでした。
結局、井上選手は1か月間もボクシングから離れ、精神的にリフレッシュしたそうです。
試合はスコットランドのグラスゴーで行われましたが、実は試合前から戦いの火花は散っていました。
ロドリゲス選手の練習風景を動画撮影していた父真吾トレーナーに、ロドリゲス陣営が不満を露わにし、真吾トレーナーを突き飛ばしたのです。
この時、真吾トレーナーは「ずっと睨んでいるので、次なんかやってきたらやってやろうと、眼鏡を拓真(尚弥の弟)に渡したんです」と語っています。
ヒートアップする両陣営。尊敬する父に手を出された井上選手はこの時「腹立たしい。絶対にぶっ倒してやろう」と思ったそうです。
その場は関係者が割って入り収まりましたが、この騒動をWBSSがツイッターに流したためロドリゲスは、大ブーイングで迎えられてしまいます。
井上陣営はこの時のことを「まるでホームのようだった」と語っています。
フェイスオフではロドリゲスのトレーナーが下から覗き込むように井上選手を睨みつけ、個人ではなくチーム同士のバチバチの様相を呈してきます。
試合が始まると、井上選手の一発目のジャブにロドリゲスが右のカウンターを合わせにいきます。
この一発に井上選手は「こいつ、ただものじゃない」と、目を見開いて集中力を高めたそうです。
プレッシャーをかけてくるロドリゲス。
事実上の決勝戦という謳い文句に違わぬ、ヒリヒリとした緊張感の攻防が続きます。
少し力みのあった井上選手は「長いラウンドになる」と感じたそうです。
しかし、同時に
「1ラウンド目の感触で、負けはしないなという気持ちの余裕があった。左フックなり、右ストレートなり、当たれば倒れるという感触はあった」
とも語っています。
2Rインターバル中には決勝戦を控えているドネアが映し出され会場が盛り上がります。
2Rが始まると井上選手は”修正”をします。
プレスの強いロドリゲスに対して、「重心を落として(相手を)おさえる」ためです。
そして、徐々にギアを上げてきた井上選手が打ち合い始めると、モンスターの一撃がロドリゲスの顎を捉えます。
井上選手が1Rで感じていた「当たれば倒れる」左フックです。
ロドリゲスの左アッパーに対するカウンターですが、1Rを見返すと同じパターンの左フックを何度も放っており、その予感は正しかったことがわかります。
井上選手はこの時、試合前のロドリゲス陣営とのいざこざから
「ダウンを奪ったとき相手のセコンドに向けて、ちょっとアピールしてやろうとも思ったけれど、そこはボクシングはスポーツなので止めた」
と言います。
そして、立ち上がるロドリゲスに間髪入れず、今度はボディにダブルをねじ込みます。
顔面の次はボディであっさり倒されてしまったロドリゲス。
キャンバスに膝をつき『もう無理』と言わんばかりにセコンドに首を振ります。
なんとか立ち上がりますが、直ぐに井上選手のラッシュに沈みます。
かろうじて立ち上がったロドリゲスですが、その表情にレフェリーは試合を止めました。
2R1:19TKO。井上選手はまたも、短期KOで試合を決めるとともにWBSS決勝の切符を手に入れました。
英国の解説陣は「軽量級のマイクタイソンだ」「何て素晴らしいファイターなんだ」と驚きと絶賛の声をあげていました。
試合後、負けを認めあっさりと井上陣営に握手を求めに行くロドリゲス陣営と、真吾トレーナーとハグをするロドリゲス。
そして真吾トレーナーを突き飛ばし井上選手を睨みつけていたクルストレーナーは、試合後しばらくして偶然井上陣営の近くを通りがかると「グッドファイト」と真吾トレーナーに握手を求めたそうです。
試合が終われば、両者にあったわだかまりは消えていました。
こういったストーリーもボクシングのいいところですね。
ロドリゲスは試合後
「言い訳の余地はない。これまでにないトレーニングを積んできたのだから。準備は最高だった。」
と元王者らしく潔く負けを認めました。
そして、リングには決勝の相手ドネアが上がり、井上選手について
「彼は素晴らしいファイターだ。しかし、彼はまだ若い。彼にはまだ多くの余地がある」
とコメントします。
この試合で井上選手はリング誌のPFP4位に上昇。
日本人初のリング誌の表紙を飾りました。
決勝戦~ノニト・ドネア(フィリピン)~
2019年11月、ついに迎えたWBSS決勝戦の相手はノニト・ドネアです。
ドネアが持つWBAスーパーのベルトと井上選手が持つIBFのベルトをかけた二団体統一(エマヌエル・ロドリゲス戦の時点では井上はWBAスーパー王座ではなかったため統一戦ではなかった)で、後に”ドラマ・イン・サイタマ”と称され、多くの海外メディアが年間最高試合に選出した歴史的な試合です。
ドネアは5階級制覇をして8回も世界タイトルを取っている大ベテランで、準々決勝、準決勝をKOで進出。
ここまで40勝26KO5敗のレコードです。
これまで戦慄の左フックで数々のファイターを葬ってきました。
二人の出会いは約5年前に遡ります。
ナルバエスに当時唯一の黒星をつけたことのあるドネアは、2014年にナルバエス戦前の井上選手に対策を伝授していました。
そして2019年、かつて教えてもらう立場だった若者が最大の強敵となって目の前に現れたのです。
レジェンドボクサーのドネアですが衰えが見え始めたと言われ、戦前の予想は圧倒的に井上選手有利と出ていました。
井上選手本人も「世代交代を見せる」と語っています。
井上選手は若い頃からドネアをリスペクトしており、WBSSの抽選会では初戦でドネアとの対戦を希望していましたが、第一シードのバーネットが先にドネアを指名したため、それは叶いませんでした。
もし初戦でドネアと戦っていたらどうなっていたかはわかりませんが、二人の激闘はこの大会の決勝に相応しいものになります。
試合は2万3000人の観客を集めて、さいたまスーパーアリーナで行われました。
立ち上がりの井上選手の動きは軽快で、左ジャブを多用し、右クロス、ストレートをヒットさせます。
1Rインターバル中、大橋会長は「この調子なら早い回でKOする」と周囲に語っていたそうですが、同じように予感したファンも多かったのではないでしょうか。
しかし続く2R、ドネアのたった一発のパンチで井上陣営のプランは崩れ去ってしまいます。
2R序盤からプレスを強めた井上選手は、左ガードを下げてフリッカー気味のジャブを打つなど、少し余裕が感じられます。
しかし、2分過ぎにロープ際に詰められた井上選手が左フックで応戦したその矢先、ドネアの左がクリーンヒット。
すぐに距離を取ってディフェンスに徹する井上選手ですが、まぶたをカットしていました。
プロアマ通じて初の出血です。
試合前、大橋会長も「カウンターが怖い。カウンターのタイミングはキャリアを重ねれば重ねるほど身についていく」
と最大級に警戒していたドネアの左フックのカウンターですが、それでももらってしまったのです。
思い返せば、6年前日本タイトルマッチで戦った田口選手が狙っていた、「打つ時にガードが開く」という井上選手の左フックの打ち終わりです。
後に
「出だしの手応えが良すぎた。速く踏み込めばわりと対応できるかと思った」
と語る井上選手ですが、「フェイントからのあの左フックはうまかった。完全にボディーにくると思っていた。」とドネアの上手さを認めています。
スローで見返すとドネアが左フックを打つ前にダッキングで深くかがみ、ボディへのフェイントになっていることがわかります。
このパンチで井上選手は右目の視界を奪われます。次第に相手が二重に見えることに気が付く井上選手。
試合後に眼窩底骨折していたことが判明しますが、試合序盤にカットによるTKO負けの危機と、二重に見える、という2つのハンデを負ってしまいます。
ここでファインプレーを見せたのは、カットマンの佐久間トレーナーでした。実質50秒ほどのインターバルでピタリと完全に止血してみせます。
この2ラウンド目のインターバルの様子は、テレビでは放送されていませんでしたが、井上選手が信吾トレーナーに「血止まってる?」と聞いて、「止まってる」と答えた後に、佐久間トレーナーが大丈夫だという意味合いで「誰が止めてると思ってんだ!」と言う一コマがあり、信吾トレーナーが握手を求めていた場面がありました。
それほど素晴らしい止血の技術でしたが、試合後に佐久間トレーナーは「尚哉は本当に凄い、カットしても冷静で、呼吸も乱れない、気持ちが強いから血も止まったんだよ」と語っていました。
最小限に被害を抑えますが、やはり打たれれば傷は開き、また出血の恐れもあります。
相手が二重に見える井上選手はグローブで負傷した右目を隠して戦います。
実はこの戦法は、かつてドネアが試合中に同じトラブルに陥った際に使った戦法で、その試合を見ていた井上選手は同じ戦法を取り入れたのです。
「ドネアに悟られないようにやらなくてはならなかった」と試合後に語ってた井上選手ですが、この大舞台でこんなに冷静かつ大胆な行動に打って出るメンタルには脱帽です。
そして、井上選手は3R 終了時にセコンドに目の異常を明かし、4R終了時には「この試合ではKOは難しい。ポイントアウトする」とセコンドに伝えてます。
そして試合は一進一退の打ち合いになっていきます。
5R終盤には、井上選手が右クロスをヒット。ドネアの上体が大きく揺れます。
しかし追撃時、目のぼやけからミスブローしてしまいます。試合を見返してみると大ぶりの空振りが目立ちます。
ライブで観ていた時は「井上選手にしてはらしくない詰め方だな」と思いましたが、目のぼやけがあったことを知ると納得がいきます。
そして、8Rには右目の傷が再び開き、出血してしまいます。
これまでのラウンドでポイントを取っていると確信していた井上選手は、9~10Rは目の回復に努め、判定の印象に残りやすい11~12Rを攻めてポイントを取る作戦で行くことにしたといいます。
この状況でこの冷静さは末恐ろしいですね。
しかし迎えた9R、ドネア選手の右クロスを貰ってしまい大きくグラつきます。
慣れないクリンチと根性でしのいだ井上選手ですが、クリンチを使うほどのトラブルに陥ったのはボクシング人生で初めてのことでした。
この時、井上選手は目の前が真っ暗になり、息子の明波(あきは)くんの顔が浮かんで耐えられたといいます。
なんとか持ちこたえたものの井上選手のダメージは明らかです。
しかし、カウンターパンチャーのドネアは追いません。
ドネアは試合後に「イノウエのカウンターを警戒していけなかった」と、この試合最大の反省点として語っていました。
10R終了時には、井上選手が観客に向かって両腕を上げ、笑顔でガッツポーズをします。
この死闘の中で楽しそうにボクシングをする井上選手は、メンタルでも怪物ということがわかるシーンですね。
そして11R1分過ぎ、渾身の左ボディーがクリーンヒットします。
おもわずたたらを踏んで片膝をつくドネア選手、この試合初のダウンを奪います。
この時レフェリーは間に入るも、カウントをせず井上選手の追撃を阻止する形になったため試合後に議論を呼びました。
最終回も打ち合いが続き、ついに試合終了のゴング。死闘を終えた二人は戦友のように抱き合います。
激しい魂のぶつかり合いを見た観客はスタンディングオベーションで両雄を称えました。
判定は3-0で井上選手が見事WBSS優勝を飾るとともに、レジェンド ドネアを打ち破る快挙を成し遂げました。
井上選手は、この死闘の後「楽しかったー!」と言い、大橋会長を驚かせたといいます。
ドネアもまた、後にこの試合を”最も困難で、最も楽しかった試合”に挙げています。
そしてこの試合は、多くの海外メディアの年間最高試合に選ばれる歴史的な一戦となりました。
井上選手が望んだ早期KO決着とはなりませんでしたが、井上選手はこの試合で大きく成長し、モンスターの底力を知ることができたファンも納得の試合でした。
井上選手は試合後に、大手プロモーションであるTOPランク社と契約。軽量級ボクサーとしては破格の契約金額だそうです。
また、井上選手はリング誌のPFP3位にランクされました。
ちなみに、この決勝戦は試合後にもほっこりするエピソードがあります。
ドネアは試合前に2人の息子たちに優勝トロフィーを持ち帰ると約束していました。しかし優勝は叶いませんでした。
試合後、控室で感情的になり涙を流したといいます。
そして井上選手の控室に赴き、トロフィーを1日だけ貸してほしいと頼んだそうです。
これに井上選手は快く承諾し、ドネアはTwitterに息子たちと一緒にお礼を言っている動画を上げ話題になりました。
そして、ドネアは試合後こう思ったそうです。
「次やれば必ず勝てる」
と。
ジェイソン・マロニー(オーストラリア)戦
井上選手の次戦は2020年4月25日、3階級王者のジョンリル・カシメロ(フィリピン)選手相手に行われる予定でしたがパンデミックの影響により無期限延期、そして消滅となりました。
しかし同年10月にラスベガスにてWBOランキング1位のジェイソン・マロニー(オーストラリア)選手を相手に防衛戦が行われると発表されました。
モロニーは21勝18KO1敗、ランキング1位の選手でKO負けはありません。
唯一の黒星は井上選手が2RKOで下したエマニュエル・ロドリゲスから喫したものです。
世界王者経験はないものの総合力の高い実力者です。
試合開催日は2020年10月31日。コロナ禍による厳戒態勢での試合となり、井上陣営はアメリカ入国後2週間の自主隔離を行い、ホテルとジムの往復のみの外出制限を設けます。
食材は全て日本から持ち込み自炊、さらに試合2日前からはバブルと呼ばれる施設内で完全隔離下に置かれます。
この慣れない環境が井上選手の歯車を狂わせてしまったのかもしれません。
試合が始まると、井上選手は得意の中間距離を保ちジャブ、時おり右クロスは放ちます。
そして2R3Rと、徐々にプレッシャーを強めていきます。
4R、強引にプレッシャーをかけ倒しに行きますが、モロニーのディフェンスは固くダウンまでは奪えません。
このラウンドは唯一、2人のジャッジがモロニーを支持しました。
後に大橋会長の話で明らかになりますが、実は井上選手は3~4Rあたりから脚をつっていました。
試合前の隔離生活により減量が上手くいかなかったのでしょうか、6年前のエルナンデス戦でも試合前のインフルエンザから減量が上手くいかず、試合中脚がつるというトラブルに陥っていました。
そして井上選手は、5Rからプレッシャーを弱めます。
踏ん張りが効かず強打を打てないのか、モロニー相手に脚を使わず強引に倒すのは難しいのか、このラウンドからカウンター狙いに切り替えたといいます。
するとモロニーは誘われるように前に出てきます。
ラウンド終盤には、得意の下がるフェイントからの右をヒット。
このパンチは河野公平戦などでも見せたパンチです。
そして度々、右クロスをヒット。この試合よく右クロスを打っています。
6R、モロニーのジャブに下がりながらの左フックを合わせついにモロニーダウン。
モロニーの、ジャブを連打しながら前進してくる癖を見抜いた井上選手が、バックステップし2発目のジャブに合わせた見事なカウンターです。
狙っていたカウンターがついに炸裂しました。
モロニーは井上選手のフックが見えておらず、顎にヒットしたので効いてしまいました。
モロニーのジャブが当たってはいますが、ギリギリの距離でスリッピングアウェーで受け流しています。
仕留めにかかる井上選手ですが、試合巧者のモロニーはゴングに逃げ切ります。
そして7R、ゴング前に井上選手が脚を叩いています。
脚をつっているからなのでしょうか。
一抹の不安がよぎりますが、すぐに払拭してくれます。
ゴングが鳴ると焦らずに攻める井上選手ですが、2分過ぎに脚が復活してきたのかステップを使いだします。
そして、ラウンド終了の拍子木がなった瞬間、渾身の右クロスがヒット。
ガクリと崩れたモロニーは立ち上がれず、井上選手のKO勝利となりました。
このダウンシーンも終始井上選手が狙っていたカウンターでした。
右クロスを放つ前少し膝を曲げ、顔面をマロニーに近づけジャブを誘います。
モロニーのジャブをわずかに左へスリップし、ギリギリでかすりながらかわし、ワンツーのツーを迎え撃つ形で右ストレートを決めました。
モロニーはダウンを奪われたブロー両方が見えていなかったそうです。
フィニッシュブローをもらった後はしばらく意識もうろうとしていました。
6年前、今回とは度合いは違うと思いますが同じようなトラブルに陥いったエルナンデス戦ではインファイトでKOした井上選手ですが、今回はよりスマートにKOし、6年間の成長を感じさせる試合でした。
マイケル・ダスマリナス戦
そして約半年後に組まれたのが、IBF同級1位のマイケル・ダスマリナス。WBA・7IBFのタイトルをかけた指名挑戦者です。
30勝20KO2敗1分、IBF1位の選手ですが実力的には格下で、戦前では井上選手圧勝の予想がほとんどでした。
開催地は前戦に引き続きラスベガスです。
試合は開始早々、井上選手がダスマリナスのジャブにカウンターを合わせていきます。
ヒットこそしませんでしたが、ダスマリナスは次第に腰が引けてしまい、距離を取ってリングをサークリングする展開になります。
1R終了時点で井上選手は『こんなものか』と思ったそうです。
そして2R、得意の右アッパーからの左ボディで、ボディでのダウン経験のないダスマリナスからダウンを奪います。
ダスマリナスはゴングに逃げたものの、3Rに再びレバーブローをくらいダウン。
立ち上がったもののすぐに詰められ三度(みたび)ダウンしたところでTKOとなりました。
2団体の防衛に成功したにもかかわらず、あっけらかんとした表情の井上選手。かなりの実力差があったのがわかります。
ボディが当たった瞬間のバチンという大きな音が印象的でした。
試合後、井上選手は次戦の相手として噂になっているドネアvsカシメロの勝者について聞かれ「ドネアと戦うことがあればドラマチックな展開ですね」と、ドネアとの再戦を希望していました。
アラン・ディパエン戦
前回から約半年後、WBA10位&IBF5位アラン・ディパエンとの試合が決定します。
噂されていたドネアvsカシメロの勝者との試合ですが、カシメロがドーピング検査を拒否しドネアvsカシメロが消滅。立ち消えとなっていました。
なかなか進まない団体統一、勝負論のない対戦相手などファンからは不満の声があがっていました。
試合が始まると、終始井上選手が打ち込んでいく優位な展開となります。
何度もいいショットをヒットしていきますが、ディパエンは元ムエタイ選手らしいタフネスを見せ耐え続けます。
驚異的なハードパンチャーの井上選手ですが、この時「もしかして俺パンチないのかな」と、自信がなくなりかけたと言います。
しかし8R、ついにディパエンがダウン。立ち上がったものの井上選手が追撃すると、すぐにレフェリーストップとなりました。
試合後ディパエンは「ボディーもうまいし、パンチもある。(最後は)我慢できなかった」と語り、倒れなかったのは「タイ人のため」と、負けたもののそのタフネスさに多くのファンは驚かされました。
ノニト・ドネア戦2
そして2022年6月、ファンを喜ばせるカードが発表されます。
ノニト・ドネアとの2戦目、ドネアが持つWBCのベルトと井上選手がもつWBA・IBFのベルトをかけた三団体統一戦です。
ドラマ・イン・サイタマと称されたドネアとの激闘から約2年半後に行われたこの試合は、初戦を上回る衝撃的な試合となります。
全盛期を過ぎ、衰えたと言われていたドネア。
井上選手との再戦を希望しますが、ベルトを失ったドネアにそれは叶わないと思われていました。
しかしその後、WBC無敗の王者ウバーリ4RKOで下し王座返り咲きを果たします。
さらに、無敗のWBC暫定王者の25歳ガバーリョと対戦し、またも4RKO勝ちを収め団体内王座統一及び初防衛に成功。
全盛期を思わせるパフォーマンスで評価を上げ、ベルトを持って井上選手の前に現れたのです。
一方、井上選手は3戦3KOと相変わらずの強さを見せていましたが、勝って当たり前の井上選手の評価は上がらず、目標に掲げていた4団体統一も中々進展せずにいました。(2020年、カシメロとのタイトルマッチが決まっていたが流行り病により中止)
そこで発表された、あの名試合を繰り広げたドネアとの三団体統一戦にファンは多くの期待を寄せました。
前回のドネア戦後、「目の怪我がなければ早いラウンドで倒せた」と仲間内に語っていた井上選手。
今回の試合について
「前回の続きで13R目からのスタートだと思っている。圧倒的な差をつけて勝つ。ドラマにするつもりはない。KOで勝って引導を渡す」
と強気なコメントを残し、過去最高のコンディションといいます。
一方ドネアは
「自分のパワーを使ってすべてを出し尽くすつもりだ。井上が何をしてきても、すべてに対応してみせる、賢く、獰猛なファイターになる。勝つために必要なことは何でもする」
と全てをかけて挑むつもりです。
試合前の計量会見では、互いに初戦では見せていたような笑顔はなく、常に険しい表情で目を合わさず握手もありませんでした。
良好な関係を築いている両者なだけに、この試合に対する意気込みの強さが伝わります。
戦前の予想は、多くの人が井上選手有利としながらも、前回の戦いやドネアの勢いから苦戦や長期決戦の予想が多くありました。
しかし、井上選手はその予想を遥かに超える光景を見せてくれます。
会場は初戦と同じさいたまスーパーアリーナ。
試合が始まるとすぐにドネアが飛び込んでの左フックを放ってきます。
このパンチが右目に当たった井上選手は初戦の悪夢がよみがえり、「気を引き締めなきゃ」とスイッチが入ったといいます。
そして、両者互いにジャブ、フェイントを入れながらギリギリの距離を保ち、ヒリヒリとした緊張が続きます。
解説の山中さんはドネアが前回以上の調子の良さだと言い、井上選手はしっかりとガードを上げ、前回よりもハイレベルな攻防が続きます。
ラウンド終盤になると両者次第にギアが入っていきます。
ドネアはこの時のことを「冷静さを失い、殴り合いたくなってしまった」と闘争心に火がついたと言っていますが、その闘争心が命取りとなったのでした。
1R終了直前、打ち合いの中で井上選手の右ストレートが炸裂。
観ていた人は一瞬何が起こったかわからないほどの一閃にドネアは尻もちをつきます。
この時、ドネア自身も何が起こったのかわからず、気づいたらレフェリーがカウントしていたそうです。
困惑するドネアですが、このピンチを救ったのがレイチェル夫人でした。
キャンバスを叩き「ファイティングポーズを取って!」と必死に声をかけると、ドネアは我に返りファイティングポーズを取ります。
そして、試合続行とともに1R終了。期待以上の展開にさいたまスーパーアリーナが沸きます。
実はダウンを奪ったこのパンチ、ちょっとしたストーリーがありました。
井上選手はこの右を打つ前にジャブのモーションをしており、それにカウンターを合わせようとしたドネアのテンプルを撃ちいています。
このドネアが合わせようとしたジャブに対するカウンターは、初戦で井上選手をぐらつかせたパンチでした。
初戦で手応えのあったパンチに活路を見いだしていたのでしょう。
しかし、それは大きなしっぺ返しを食らったのでした。
ドネアの研ぎ澄まされた反射神経があったからこそ生まれた一撃でした。
大きなアドバンテージを得た井上選手ですが、1Rのインターバルで「2Rは倒しにいかないよ」とセコンドに伝えたそうです。
これは、焦らないように自分を言い聞かせるためのあえての発言だったといいます。
どんな場面でも冷静な井上選手らしいエピソードですね。
2Rが始まると、次々と強打を打ち込んでいく井上選手。
ドネアも必死に挽回を狙いますが、井上選手は常にガードを上げ、打ち終わりはバックステップで距離を取り隙きを見せません。
ノーガードでラッシュをかけたマクドネル戦とは別人のようです。
ボディへの打ち分けなど、人を破壊するマシーンのように冷静にダメージを与えていく井上選手。
そして1分すぎ、左フックでドネアを大きくぐらつかせます。
KOするチャンスですが、この時井上選手はすぐに追撃をしませんでした。
井上選手は後にこの時のことを
「ちょっと様子見てたんですけど、レフェリーに『止めてくれ』って思ったんですよ。『もう殴りたくない』と。第一戦で交流もあるし憧れのレジェンドでもあったんで、自分的にはもう勝負はついていたと思った」
と語っています。
ロープ際に追い込まれたドネアですが、その目は諦めておらず起死回生を狙っています。
常に、必殺の左フックのカウンターを狙っているドネア。
これほどパンチを効かされながらも最後まで諦めないファイティングスピリッツには、目頭が熱くなりますね。
しかし、井上選手は冷静にコンパクトなパンチを打ち込んでいき、最後はワンツーからの左フックでついにドネアがキャンバスに崩れ落ちます。
その瞬間レフェリーはTKOを宣告。
2R1分24秒TKO。初戦を36分間戦い抜いた両雄の再戦はたった4分半で決着がついたのです。
この光景に会場は大興奮の歓声が沸き、しばらく拍手が止みませんでした。
井上選手は日本人史上初の三団体統一をこれ以上ない内容で成し遂げました。
実は試合終了直後、井上選手の父真吾トレーナーが息子の勝利を祝うよりも、真っ先にドネアの元に駆けつけダメージを心配していた場面がありました。
親子ともども冷静かつドネアをリスペクトしていたことがわかりますね。
そして、ドネアは駆け寄ってきた井上選手をハグし
「アリガトウ、コングラッチュレーション」
と勝利を称えました。
さらに四方の観客には深々と頭を下げ、観客からは惜しみない拍手が降り注ぎます。
退場の際には、観客からの声にも頭を下げ、転んだマネージャーを助けるなど、人間としてもチャンピオンであることを見せます。
敗者でありながらこの行動に、見ていた多くの日本人は心を打たれたでしょう。
ちなみに、フィニッシュとなったフックはドネアの同郷、フィリピンのパッキャオから直接教わったパンチです。
試合後、井上選手は
「ドネアがいたからこそ、バンタムで輝けた。WBSS決勝からまたWBCで返り咲いたことがこの感動を呼んだ。ドネアにも本当に感謝したい」
と語り、
「初戦で見せたかった納得する勝ち方ができた。100点をつけられる内容」
と、珍しく満点の自己評価をつけました。
ドネアは
「井上はとても強く、勝者に値する選手だった。おめでとう。
(1回目のダウンは)殴られた時、自分が倒されたことを分かっていなかった。私が今までで打たれた中でもっとも難しいパンチだったと言っても過言ではない。」
と語り、控室で井上選手に「フェザー級でも通用する」と伝えたそうです。
AmazonPrimeで放送されたこの試合は、国内の初日配信視聴数史上1位を記録。
そして試合後、日本人初のリング誌PFP1位を獲得するという快挙を達成。
井上選手自身も
「この試合が終わるまでは自分のベストバウト候補はいくつかあったけど、この試合が終わってからはこの試合が1位です」
と、自他ともに認めるベストバウトでした。
井上選手と日本タイトルマッチで死闘を繰り広げた田口選手は
「自分が戦った時の井上くん(当時20歳)と、今の井上くんでは別人です。29歳が彼の全盛期かどうか分かりませんが、デビュー以来、今が最強でしょう」
と、モンスターの成長ぶりに驚いていました。
ポール・バトラー戦
衝撃のドネア戦から約半年後、WBO王者ポール・バトラーとの4団体統一戦が決定します。
2戦連続の王者同士のタイトルマッチ。続けざまに統一戦が決まります。
2年前からずっと統一戦が組まれなかったのが嘘のようです。
相手のバトラーは34勝15KO2敗のレコードを誇るWBO王者ですが、WBOのタイトルは対戦予定のカシメロの度重なるキャンセル(胃腸炎や規約違反など)により、直接王者から奪ったものではなく、代役のジョナス・スルタンとの暫定王座決定戦での勝利から繰り上げで獲得したタイトルです。
ディフェンスに定評がありブロッキングの上手い選手ですが、井上選手が負かしたエマニュエル・ロドリゲスに黒星を喫している選手です。
王者同士の対決でしたが、オッズは井上選手が1.02倍、バトラーが13倍と、井上選手有利が大方の予想でした。
試合前、ドキュメンタリー番組のインタビューで、井上選手自身「モチベーションが上がらない」と心境を吐露していました。
計量では井上選手が珍しく53.55キロで30グラムのオーバー(53.52がリミット)するというハプニングが起きますが、3分後の再計量は無事53.45キロとマイナス70グラムでクリアします。
実は軽量の際、バトラー側から電子の体重計を使ってくれとの申し出があり、その体重計が0.05キロ単位でしか表示されないために起きたとの噂があります。
試合が始まると、バトラーは終始ガードを固めながらサークリングで距離を取る戦法で戦います。
時折ジャブ、カウンターを狙いますが井上選手はスウェーで外します。
消極的なバトラーですが3Rには井上選手がコーナーに詰め、これでもかとパワーパンチを叩きつけます。
軽量級とは思えないヘビー級のような迫力です。
その後も、モハメド・アリやナジーム・ハメドさながらのノーガードシャッフルや、ロイ・ジョーンズを彷彿とさせる後ろに手を組んでのノーガードでバトラーを挑発します。
後に井上選手は、期待しているお客さんのために試合を盛り上げたかったと語っていますが、試合の”魅せ方”においてもプロ意識が高いのはさすがですね。
そして11R、ゴング前に井上選手が両腕を振りギアを上げます。
ゴングが鳴ると、それが合図だったかのように、バトラーはロープに詰められラッシュをかけらるとズルズルと崩れ落ちます。
30分間耐え続けたバトラーがついにダウン。
カウントするレフェリーを横に首をふるバトラー。バトラーの心が折れた瞬間でした。
そのままカウントアウトで井上選手のKO勝利。
見事、世界初のバンタム級4団体統一に成功しました。
リング上で、爽やかな表情で井上選手と写真を撮ってもらうバトラー。11R耐えたことを誇らしげに感じているように見えます。
試合後、バトラーの消極的な戦法に批判がありましたが、バトラー陣営は「イノウエのショットはまるで銃声音のようだった。あなた達も『それを受けてみろ』と言いたい」と語っています。
この試合はdTVの独占配信でしたが、試合直前に想定以上のアクセスが集中しエラーが発生したため、急遽会員登録なしの無料で配信されるほど注目度の高い試合でした。
スーパーバンタム級へ
バンタム級で4団体統一を達成した井上選手はスーパーバンタム級への転向を発表します。
バトラー戦後に大橋会長が、減量のためか実は井上選手が足をつり気味だったことを明かしています。
それもそのはず、井上選手の身体はバンタム級初戦の頃よりかなり大きくなっています。
スティーブン・フルトン戦
スーパーバンタム級での初戦は色々な対戦相手が噂される中、井上陣営が選んだのは同階級で一番強いとされているWBC・WBO統一王者スティーブン・フルトンでした。
階級を上げての初戦に一番強い相手を選んだことに、多くのファンは興奮し称賛しました。
フルトンは以前より、井上選手との対戦について聞かれ「俺にとって井上は小さい、圧倒して勝てる」と答えていましたが、直近ではフェザー級での試合を優先すると語っていたため、実現は難しいと思われていました。
しかしフルトンは、自らプロモーターに頼み、バンタムから上がってきたモンスターの挑戦を受けたのです。
当初、開催は5月7日の予定でしたが井上選手の拳の怪我により7月25日に延期となります。
実は井上選手はドネアとの2戦目の前にも肩を痛めていました。試合前、大橋会長が肩の調子を聞くと「温存していたので大丈夫です」と答えます。
これを聞いた大橋会長は『無理をさせてしまったな』と思い、後悔したそうです。
そんなこともあり、今回の試合前の怪我は迷わずにすぐに延期を申し出たそうです。
フルトンは21戦21勝8KO無敗の王者で、KO率は高くありませんが、21勝のうち9人の無敗のボクサーを破ってきた選手です。
スーパーバンタムでは一番強いとの声も多くありました。
しかしフルトンは、自らプロモーターに頼み、バンタムから上がってきたモンスターの挑戦を受けたのです。
この試合は世界的にも注目度が高く、多くの著名ボクサーがこの試合について語り、ファイトマネーの最低保証額は井上選手が6億4000万円、フルトンが3億8000万円という軽量級ではかなりの破格で、いかにこの試合がメガマッチかを物語っていました。
井上選手は前回のバトラー戦とは違い「過去最高のモチベーション」と意気込みを語り「勝つか、負けるか。そのヒリヒリ感としてはかなり久々。この試合は技術戦になる」と最大の警戒を示します。
一方フルトンは
「100%の自信がある。俺は何でもできる。俺の長所は知性。実力の差を見せる」
と強い自信をのぞかせます。
試合前会見では、フルトン側から井上選手のバンテージの巻き方について異例のクレームが入ります。
手に直にテーピングをするのは、アメリカでは禁止にしている州が多く、手首が固定されることでパンチの威力が増すというのです。
しかし、怪我から守るという意味合いもあり、この試合が行われる日本のボクシングコミッションでは禁止されていませんでした。
結局、バンテージの巻き方はテープの下に一枚ガーゼを巻くという、北米式の折衷案で巻かれることになります。
計量後のフェイスオフでは珍しく井上選手が睨みつけ、試合前からバチバチの様相を呈してきます。
会場は満員の有明アリーナ。
大歓声の中、いよいよ世界が注目する一戦の火蓋が切られました。
井上選手はフィリーシェルの構え(L字ガード)を取ります。
身長が高いフルトンですが、スタンスを大きく広げ井上選手より低く見えます。
お互い距離を測る展開が続きます。
フルトンは下がりながらジャブを放ちますが届かず、井上選手がジャブ、ボディジャブを当てていき、ビッグパンチを振りながら追いかけます。
2Rには井上選手がフルトンのパンチを見切り、挑発する場面が見られます。
井上選手はフルトンのジャブを外し、フルトンは井上選手のスピードについていけず、実力差があるように見えます。
積極的にボディジャブを当てていく井上選手。
そして、このボディジャブがこの試合を決める大きな布石となるのでした。
しかし、相手は過去最強の敵フルトン。
4Rあたりから、フルトンが井上選手のパンチに慣れてきたのか、ジャブの差し合いで勝つ場面が出てきます。
これまで徹していたブロッキングから、カウンターを狙っていきます。
5Rには、ワンツーをクリーンヒットさせ緊張感が増す展開に。
しかし、井上選手はコツコツとボディジャブを的確に当てていき、積極的に攻めていきます。
フルトンは徐々に井上選手の攻撃にアジャストし、持ち前のディフェンス力を活かし、得意のボディワークやステップを見せます。
井上選手が優位に試合を進めるも、井上選手のパワーパンチやコンビネーションもブロッキングやボディワークで外し、浅いヒットはあるものの、決定打は当てさせません。
7Rにはフルトンが右をヒットし、このラウンドは3人のジャッジがフルトンを支持。
ここまでのポイントでは井上選手が優勢ですが、徐々にフルトンがリズムに乗り始めた8Rでした。
突如、井上選手のボディジャブからのワンツーがフルトンの顎を貫きます。
グラついたフルトンに、すかさず左フックを追加しフルトンダウン。
ダウン経験のないディフェンスマスターがキャンバスに転がります。
突然の光景に会場は大歓声。
この試合、終始井上選手が当てていたボディジャブから右ストレートですが、前半はボディジャブを受けてもガードが下がらなかったフルトン。
しかし、何度も被弾していくうちにガードが下がるようになっていたのでした。
立ち上がったフルトンですが、井上選手はコーナーに詰め、怒涛のラッシュを浴びせます。
フルトンのクリンチにもしっかり対応してみせます。
そしてフルトンが腰を落としたと同時にレフェリーストップ。
8R1分14秒TKO。
井上選手は、過去最大の敵と言われた無敗の王者から、見事KOで二本のベルトを奪ってみせたのでした。
四階級制覇と同時にニ団体統一という快挙を達成。
試合後、井上選手はリング上で、試合を観に来ていたWBA・IBF世界スーパーバンタム級統一王者タパレスに、年内の四団体統一戦をオファー。
タパレスはこれを了承し、なんと試合後のリング上で次戦のタイトルマッチが決まるというサプライズがありました。
井上選手は試合後
「スーパーバンタム級の壁は感じずに戦えた。」と語り、ダウンを奪ったワンツーについては「練習を重ねていたパンチ、これは必ず当たるだろうと思っていたパンチが当たった。」
「突破口としては左のボディジャブ。そこで散らしながら、前半は単発で持っていきながら、フルトンが落ちてきて、自分も距離間に慣れてきた所に、自分の右を当てようと。一瞬の隙をついた」
と語っています。
一方、フルトンは
「イノウエはグレートファイターで素晴らしい選手。今日は彼が勝つべき日だった。」
ダウンとなったワンツーについては「見えていなかった」と語っています。
フルトン相手に衝撃のKOを演じた井上選手に、世界のメディアは称賛を送り、パッキャオは「イノウエのパンチは驚くべきスピードとパワーだ。彼は特別なボクサーだ!」と興奮気味にツイート。
今後の井上尚弥
フェザー級までは階級を上げると公言している井上選手ですが、階級を上げても変わらずモンスターでいられるのでしょうか。
さらに上の階級まで行くのでしょうか。
フェザー級では、フルトン戦の前座でKO防衛した王者ロベイシー・ラミレスなどの強敵が待ち構えます。
大橋会長はラスボスの構想としてジャーボンティ・デービスの名を挙げ、すでに井上選手に打ち明けたと言います。
他にも天心選手など日本人としては確実に盛り上がりそうなマッチアップも期待されています。現時点で日本人最高到達地点に達しているボクサーですが、いったいどこまで伝説を塗り替えていくのでしょうか。
今後もファンの予想を超える光景を見せてくれることを楽しみにしています。
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